ペリフェラル・ボディーズ
第14話: 箱の中から
モーテルの前にある電話ボックスの中にはアフロヘアーにトンボのようなサングラス、 ブルース・リー風の全身タイツ姿のジョニー・オーロラが笑顔を振りまいている。
「よぅ、 みんな元気にしているかい? 今、 おれは電話ボックスの中にいる。 ここから見えるのは、 まずは電話。 そろそろコインを入れてくれと物欲しそうな顔をしているから、 まずはコインを入れさせてもらうよ。 それで、 ボタンを押す。 ひと昔前はダイヤルを回していたけど、 あれはどこに消えちまったんだ? さて、 これから電話する相手はアパートの大家だ。 今月の家賃を一週間か二週間待ってもらうための交渉をする。 所で、 この電話ボックスは一体、 どうして作られたんだ? ガラスに囲まれているからって、 別に声が外に漏れないわけじゃない。 外界と遮断するため。 そう、 ベーコンの絵みたいなものさ。 心をシャットアウトするんだ。 この中で着替えを済ませるヒーローがいるし、 くり抜いた電話帳からヤクを取引する奴だっている。 色んな奴がいる。 ひょっとすると、 電話帳には 〈間抜け〉 とか、 〈お前を見ているぞ〉 とか、 そういう強迫めいたメモが挟まれているかも知れない。 試しに見てみよう……ちぇっ、 何もなかった。 ひょっとしたら、 サスペンス映画の主人公みたいになれるかも知れないのにって思ったのに残念だよ。 さぁ、 ここから正念場だ。 大家の電話番号は覚えている。 多分、 逆からでも読み上げられる。 試しに……やっぱりやめとくよ。 今日は調子が悪いみたいだ」
黒縁メガネにカーキ色のコートを着た中年がモーテルの駐車場にやってくると、 ホンダとフォードの間で屈んだ。
ジョニーが受話器にむかって 「こんばんは、 フォックスさん。 あぁ、 家賃について話したいんだ。 支払いを一週間か一か月、 欲を言えば一年ぐらい待って欲しいんだ」
銀色のキャデラックが駐車場に入って来る。 キャデラックは乱暴な運転で、 斜めに停まった。 中からマイケル・ダグラスのような中年男と、 彼の腕に縋りつく若い女が出てくる。 女は超ミニのスカートで、 露わになった臀部と水色の下着が見えた。 女が締める大きな腰ベルトはキャデラックのように斜めに留められている。
ホンダとフォードの間で屈んでいる男はポケットから携帯電話をとり出してボタンを押した。
電話ボックスの中でジョニーは哀願するような調子で 「聞いているかい? 今、 オケラなんだ。 それもこれも、 ティフアナで歯を抜いたから。 だから、 金がないのは、 おれのせいじゃなくて、 アメリカの医療制度のせいだ。 いや、 ちょっと待ってくれ。 よく聞いてくれ。 不思議に思ったことぐらいあるだろ? どうしてこの国には公平さがないんだってさ。 どうして、 歯の治療よりもハンドガンのほうが安い? あぁ、 そうか。 奥歯を弾丸で吹っ飛ばせばいいのか。 冗談キツいぜ。 まぁ、 憂鬱の処方箋はハンドガンかも知れないけどな」
モーテルの部屋に明かりが点き、 すぐにカーテンが閉められる。 遮光性カーテンではないのか、 クリスチャン・ボルタンスキー風の影絵芝居が展開されている。 芝居は赤ん坊のベッドの上でクルクル回るガラガラのよう。 あるいは、 ダンスホールに華を添えるが、 掃除するとなると困難を強要するミラーボールのように滑稽。
猛スピードで灰色のセダンが駐車場に滑り込み、 駐車していたクーペの後部を突いた。 セダンから中年女が下りてくるのを見ると、 ホンダとフォードの間で屈んでいた黒縁メガネの男が近付き、 何か言っている。 中年女が黒縁メガネに金を渡し、 金を受け取った黒縁メガネがカーキ色のコートの襟を立ててフィリップ・マーロウのように通りを歩き出す。 おそらく、 この後、 彼はギムレットを飲む。 意を決したように中年女がハンドバッグに手を伸ばし、 モーテルに入って行く。
ジョニーはアフロヘアーを揉みながら 「だから、 金だよ。 金がないんだ。 払えないんだよ。 支払えないなら出て行けって? 待ってくれよ。 来月には金が入るんだ。 そう、 給料。 労働の対価。 資本主義万歳! 一か月待つのが何だ? たったの一か月でこの世が地獄に早変わりするのかい? おれの話が地獄みたいだって? フォックスさん、 上手いこと言うな。 今度、 スタジオに来てくれよ。 あんたなら人気者さ」
カーテンと窓ガラスに穴が空き、 全裸の中年男が割れた窓から飛び出してくる。 男はガラスの破片で全身を真っ赤に染めているが、 弛んだ身体を見事に駆使して駐車場を走り抜けて行く。 割れた窓から中年女が顔を出し、 通りに響き渡るような大声で罵る。
「聞いてくれ、 フォックスさん。 今、 とんでもないことが起きているんだ。 生命の危機ってやつさ。 まるで……まるでなんだ? そう、 頭がこんがらかるようなこと。 とにかくとんでもないんだ。 おれもヤバいかも知れない。 いや、 おれは関係ないんだ。 クリーニングに出したシャツみたいに潔白なんだが、 たとえ、 おれがそうだとしても、 関係ない。 わかるかい? 世の中は洗濯機みたいなものだ。 とにかく、 金は待ってくれ。 色は付けられないにせよ……」
電話ボックスが叩かれ、 ジョニーは肝を冷やす。 おそるおそる、 ジョニーが振り向くと、 パトロール警官が棍棒を弄んでいた。 ジョニーは電話ボックスを開け
「よぉ、 丁度良かった。 今、 とんでもないことが起きているんだ」
警官は眉を顰めて 「通報があった。 アフロ頭のおかしな奴が電話ボックスで喚いているってな」
「おれかい? それよりも、 もっと大きなことがあるだろ? たとえば、 あのモーテルだ」
首を傾げた警官が 「課が違う。 アフロ頭のおかしな奴なんて、 お前ぐらいしかいないだろうよ。 大方、 ドラッグでもやっているんだろうが、 こんな深夜に喚かれちゃあ、 近所迷惑だ。 さぁ、 署まで行こう。 朝までぐっすり眠れるぞ」
「待ってくれ。 おかしな話だ。 おれがおかしな恰好していることは関係ないだろ? 喚いた? 電話で話していただけだよ。 ちょっと待ってくれ。 フォックスさん。 今、 警官と話しているんだ。 嘘じゃない。 いや、 だから金は来月まで」
ジョニーから受話器を奪った警官が受話器に向かって 「取り込み中だ」 と言って電話を切った。
「アパートから追い出されたら、 あんたの家に行っていいかい? DJなら任せてくれ。 『サタデー・ナイト・サタナイト・ショー』 の人気DJ、 ジョニー・オーロラだ。 よろしくな。 シャツにサインするかい?」
ジョニーが手を差し出すと、 警官はジョニーの肩を叩き 「さぁ、 行くぞ」
アマンダ・フォックスは受話器を置き、 流れるようにテレビを点ける。 画面の中では司会者が手を振り、 カメラが引いて行く。 旋回したカメラが観客たちの笑顔を映し出す。 フェードアウト。