プルーデンス・ファローについて調べていて木の肺なるものを知った。 フリー・ソフトウェアやクリエイティヴ・コモンズの考え方の元祖という気がする。 たとえば今後、 自動車は企業のプロプライエタリ・ソフトウェア商品としての性質を強めていく。 自分で修理したりメンテナンスしたりする権利はどうなるのか。 Fediverse にも似たような希望をかつては抱いていたのだけれど、 実際には twitter 以上に女性差別主義のペドフィリアが跋扈する世界だった。 Fediverse について何やら偉そうなことを主張しているアカウントのアイコンが女児を象ったアニメ風の画像で、 あたかも愉快な冗談であるかのように女性差別的な投稿をくりかえすのを目にしたとき、 そしてそれが Fediverse では一般的なアカウントであることを知ったとき、 心底この国の無教養に失望した。 Mastodon が議会襲撃事件のようなフラッシュクラッシュを生じせしめないとしたらそれは単に利用者が少ないからだ。 そして Amazon を代替するもっとましなものは存在しない。 木の肺のような善意ある発明は今後現れないだろう。 Google というか YouTube は嗜好のパラメータを付与するためにユーザにタグ付けをやらせていて、 これはまぁいい方法だと思う。 タグの選択肢があれでいいのかという問題はあるけれど。 BookLive! は、 というかたぶん電子取次でやっている作業なんじゃないかという気がするけれど、 売る側の論理でタグ付けをやっていて、 最近はそれを積極的に開示している。 しょうじき首をひねるようなタグばかりではあるけれど、 あれはあれで売りたいように売る店の権利と、 表示されたものから読みたいものを選ぶ読者の権利を、 そこそこ両立させているように思う。 金魚にとっての水のようにあまりに当たり前の存在になってしまって意識しようがないから、 というのもあるけれどユーザの嗜好を無視はしていないという点で、 つまり個別の嗜好を金にする方法を知っているという点で、 Google に対してはどれだけ個人情報を吸い上げられても不満が少ない。 Amazon と twitter はそれとは真逆で、 嗜好をはじめとする個人の差違を極力、 意図的に排除しようとする。 彼らの商売の都合に基づいてすべてのユーザに等しく均一にふるまうよう強要し、 逸脱したものを凍結なり表示機会を抑制するなどして 「淘汰」 して、 売りつけたい商品のみを優先表示する。 結果として twitter は議会襲撃事件というフラッシュクラッシュを招き、 同様の帰結として Amazon はあたかも小説というものがつまらぬものであるかのような風潮を形成した (ただ Amazon については権利者の説得に時間をかけすぎた出版業界の責任も大きいと思う、 しくじった初期の表示がそのまま核となって雪だるま式に増大して現在があるからだ)。 ゴミの優先表示と、 そうでない本の表示機会の抑制により読書文化は根絶やしにされ、 次の読者を育てる努力を怠った出版業界は、 読書文化を巻き添えにしていずれ滅びる。 理解している者をほかに見たことがないが、 Amazon は少なくとも電子書籍においては個人のゴミを売りたいんだよな。 ちゃんとした本よりもそのほうが強い権利を持てるから。 音楽や映画のデータ販売やストリーミングサービスでもそうだけどコンテンツビジネスはコンテンツを売る商売ではなく権利ビジネスなんだよ。 ストアが売りたがる商品を素直に買う客はストアによって調教された客層であり、 ゴミを好むので、 ゴミであればあるほど高く評価し、 そうでなければ貶める。 そういうのが主な顧客である電子版はわたしにはミスマッチだ。 だから今後は印刷版を主軸に据えるつもりではいる。 電子版はどうでもいい。 印刷版に対して Amazon は AmazonPOD でさえも電子版ほど強い権利をもたない。 単に流通と販路の問題となる。 電子版は何かと制約をつけられ専売を選ぶよりほかなくなるが、 印刷版ではそんなことはない。 しかしそんなことをしたところで何の意味もない。 だれも読まない本のために人生の大事な時間をむだにするのはばからしい。 分冊として単行本を出せばつづきを知るために連載が読まれるかと思ったが、 そんなことは一ミリもなかった。 そもそも単行本がだれにも需要がない。 『ぼっちの帝国』 は二連休があればきっちり二話分、 20 枚書けた。 『GONZO』 はだめだ。 三連休でも数枚がやっと。 一枚も進まないときもある。 きのうのは前回の二連休で八割書けていたものに数枚足しただけだ。 きょうは一文字も書かなかった。 書く努力をする元気もない。 だれにも読まれず、 ばかにされるだけのものを死ぬ思いで苦しんで書く、 というのがもう体力的にむりになった。 無料でも読まれないんだからな。 ひと月で三話分、 30 枚しか進まない。 分冊の第二集を出せるのは四月になってしまう。 それで全体の半分強。 今回は第三幕を十話で終わらせる予定だから後半のほうが少ない理屈にはなるけれども、 それでも夏には書き上がらない。 今年中に紙の単行本を出せるだろうか。 次の冬が来るまでに書き上げられればいいやと決めた。 どうせだれも読まないことがわかったので今回は好きな文体で書いている。 前回までは改行を殖やしたり鉤括弧を加えたりしていた。 読まれやすさを意識してそのような妥協をするのはやめた。 手っ取り早く自己肯定感が得られるのは読書なんだよな。 社会的に価値があると見なされている本を読み通すことができて、 なおかつその価値を理解できたぞ、 という客観的に公正な指標を満たすことができる。 体にいいものを食べた感というか。 長い距離を走破した達成感というか。 今後はそういうものを求めることに決めた。 むりはしない。
2021.
02.16Tue
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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