杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第311回: 『GONZO』分冊版を出版した

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2021.
02.10Wed

『 GONZO 』分冊版を出版した


Facebook の起ち上げを支援したヴェンチャー・キャピタリストの記事を読んだ。わたしが何年ものあいだずっといいつづけてきたことのうち一部が語られていた。それでもまだおためごかしのように感じられる。議会襲撃事件は金になる表示の行き着く先であり、企業によって意図された結果であるというだけではなく、ソーシャルメディアはそのために普段から検閲をやっている。暴動を扇動するような優先表示はやる一方で、差別に抗う表示は抑制するし、無名人によるまったく害のない投稿でさえも、それが無名であり金にならないからという理由で排除する。彼らは不都合なものを選別し「淘汰」する。見せられているものは決して偶然でも自然にできたものでもない。彼らが意図したものだ。暴力を助長するばかりではなく検閲を彼らは最初からやっている。それに対してわたしが 2015年頃からずっと BuddyPress や GNU Social や Mastodon で試してきたことは単純に思考の垂れ流しだ。わたしというきちがいが垂れ流す文章を見たいやつが勝手に見ればいい、という性質のものでしかない。基本的には壁打ちのようなもので日記や小説にあとで転用したりする。いちおう他人も参加できるようにはしてあってもだれも参加しない。だからオールトゥモロウズ・パーティーズなんて名前をつけたのだ。目的は果たせているし精神衛生にも役立っている。しかしそれとは別に、自分が受け入れられる場も心のどこかでは求めている。これは自己肯定感のために他人を前提とする考えで不健全だと理解しているが、人間として避けられない感情であるとも思っている。自分に対してはあまり許したくないが、他人がそう望んだらそれはしょうがないよねと認めるだろう。そう考えれば必ずしも病的な考えとはいえない。現実にはどんな場にもわたしは馴染めない。自分と似たような仲間を見つけることがどうしてもできない。もしそれを見いだせたらそれが適正な客筋ということになるだろう。たとえば差別主義者なら Gab に行けばいいだろうし、ペドフィリアなら Pawoo に行けばいい。twitter ならどちらも温かく迎え入れられる。自分にはそうした約束の地がない。twitter で読書関連のアカウントを探しても知識でマウントする高学歴のひとたちか、見栄えのする本をかわいい部屋に飾るお洒落アカウントか、そういう自分とは相容れない世界しか見つからない。だいたい COVID-19 以降これだけ他人との接触が厭われる時代に、なんでまだ著名人の音声に有象無象が搾取されるためだけに群がったり、絆の名のもとに意識の高いマウント合戦やら何やらをやってるんだよ。個であることの価値に目を向ける発想はないのか。ないよなそれは。金にならないもん。搾取する著名人の胴元ないしポン引きになったり議会襲撃事件みたいなものを扇動したりするほうがてっとりばやく金になるんだよ。観察していると twitter でフォロワーが増えるタイミングって炎上中の話題に絡みにいったとか衆人環視のもとで注目される他人と会話したとか、そういうことなんだな。そういうことに耐えられるだけの人格の適正さが大事。つまり正しくない人格であれば四人囃子「おまつり」みたいなことになるし、話しかけたこと自体が暴力になる。わたしがやりたいのはそういうことじゃない。金を稼ぐよりも適正な客層に読まれたい。十年やっているがいまだその客筋に到達できていない『GONZO』の第一幕つまり 14話までを分冊版として出版した。電子版は四分冊の予定で一年は専売にもしない。読み放題はたしかに金になるが、対応作品が限られている状況では客筋のミスマッチが生じやすくなる。まともな単行本は印刷版だけで提供するつもりでいる。一年ぶりに KDP を使ったら Kindle 版の試し読み機能が有効になっていた。日本語でも解禁されたのか、と驚いたが正式名称は忘れたけど OGP に出るやつは機能していない。Look Inside が Kindle にも対応したと考えるべきかもしれない。一年前に出した『ガーベッジ・コレクション』では試し読みが出ていない『ぼっちの帝国』では印刷版の試し読みが表示される。ひさしぶりに Kindle ストアの表示を確認して再認識したのだけれど、Amazon は異様なまでに素人のゴミを優先表示する。てっとりばやく金になるからだ。twitter や Facebook が陰謀論を助長するのとおなじだ。いい本であるほど売りにくいので表示を抑制される。いい本よりもゴミ、プロよりも素人のほうが扱いやすい。Uber がやっていることとおなじだ。大資本の後ろ盾のない個人はどう扱っても不都合がない。何か問題が生じたらその個人に押しつけて切り棄てればいい。将来的には Amazon はプロだろうと素人だろうとそのように著者を扱いたいと思っていて、そのために出版社や取次は邪魔だと考えている。そして長い時間をかけてくりかえし読まれ、ほかの何ものとも替えがきかない本よりも、条件反射的なクリックによって一瞬で読まれて次々に購入され、代わり映えのない(つまり学習コストが低い)本のほうが効率よく金を稼ぐので、連中はそちらを優先する。それはソーシャルメディアにしても同じで、その点で Kindle ストアはソーシャルメディアと親和性が高い(レビューを含めたそれ自体が広義のソーシャルメディアでもある。そんな状況においてどう出版するか。短くてすぐに読み切れると同時に内容も薄くて雑に書けるようなもの、を絶え間なく次々に出版するのがランキングに表示されやすく、ストアと親和性の高い出版だといわれる。つまり Kindle ストアをソーシャルメディアとして捉えた売り方だ。しかしそんなことがもし仮にできたところでゴミを好む読者に読まれるだけで、わたしの本とは極めて相性が悪い客層であることはすでに思い知らされている。であれば分冊方式はあまり自分には向いていないかもしれない。今回は書くのにあまりにも時間がかかりすぎていて、ウェブだと読みにくいから単行本化されたら読もう、と考えている読者(イマジナリーフレンドのようなもので実在はしない。要はもうひとりの自分だ)を待たせすぎているための利便性からやったことなのでしょうがないけれど、今後も継続してすべきことではない「作家になりたければひとりで机に向かって長編をコツコツ書くな、ソーシャルメディアで顔を売るのが何より大事、書くなら一瞬で読める掌編を」と藤井太洋さんが主張されている記事を読んだときは心の底からがっかりした。そんな社会にはどうがんばったって適応できないしそんな客に読まれたところでミスマッチにしかならない。そもそも出版や読書がそんなことになれば文化は滅びる。作家が加担してどうするのかと暗澹たる気分になる。ソーシャルメディアにもストアにも親和性がない、どちらの客層も合わない、むりをしてすり寄って下手に読まれても筋の悪い読み方しかされない。ではどう売るか。まだ目に見える成果は出ていないけれど、ご寄稿いただいた方からのつながりでペイパーバックが少し動いているような気配があるんだよな。いまは亡き CreateSpace で出版した本は売れても co.jp の管理画面には表示されない。インプレスの管理画面もめったに覗かないので把握していなかった。寄稿者やそのファンの読書傾向はまさに理想の客層で、そして彼らはまだ電子書籍に馴染みがなく印刷版を好む。この妄想を現実にするにはどうすればいいか。印刷版と理想の客筋に親和性があるのだとすれば、印刷版に注力すべきだ。それをもっと手に取りやすくしなければならない。ネックとなるのは価格だ。プリントオンデマンドはどうしても高くつく。見栄えも劣る。CreateSpace で出版した本は出版した当初こそインプレスを使うより安くできたが、売れないのでアルゴリズムが自動的に価格をつり上げた。インプレスを使ういまでは価格は固定されているし、裏表紙を商品画像にされたり日本語が使えなかったりといった問題も解決したが、しかし売りにくい代物であることに変わりはない。このあたりをどうにかしたいが、モノをよくしたところで正しい客筋には届かないんだよなぁ。結局はソーシャルに自分を最適化するしかないのか。むりです。


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告