杜 昌彦

GONZO

第20話: 指先からの波及

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.01.31

 地方在住の高校生が考えることなど似通ったもので、マスコミにも警察にもこの手の通報は山ほど寄せられており、前者はいずれの社も当然のごとく取り合わなかったが後者は違った。情報はしかるべき部署に迅速に伝達され、即座に重要性が判断されて人員が配置された。極秘のうちに行われた作戦はホテルの従業員や泊まり客、近隣の住民には避難訓練と説明された。信じた者も何が起きているか理解した者もいなかった。不安と困惑、それに予定を乱された怒りだけが彼らにはあった。レビューサイトに多数書き込まれた悪評が、姫川尊誘拐事件と関わりのあるものとして見出され、ソーシャルメディアで話題となるのはずっと後のことである。
 ばか窓から離れろ狙撃されるぞとゴンゾは部屋の奥に向かって低く叫んだ。ミコトは鏡台にかがみ込んで髪やドレスの乱れを直し、化粧を確かめた。ふたりには知りようもなかったがロビーにはすでに特殊急襲部隊が集結し、階段の下にもエレベータ前にもアサルトスーツの武装警官が待機していた。己の不可視性を過信していたとはいえ殺し屋が尾行に気づかぬわけがなく、敵の待ち構える潜む宿にノコノコと戻るはずもない。部屋に戻るなり特殊部隊が現れたかに記述したのは例によってわたしの演出だ。
 部隊は腰を落とし足音を立てずに列をなして扉に近づいた。先頭が手で合図し、後続の隊員が扉の左右の壁に張りついた。自動錠が解除されて先頭の男が扉を蹴り開ける。銃の筒先、つづいて隊員の眼が警戒しながら室内を窺う。姫川邸の惨劇を聞かされており猛烈な攻撃を予期したが拍子抜けした。短い廊下の先の部屋では、小学校高学年か、せいぜい中学生くらいに見える黒ドレスとエナメル靴の女児がひとり、背筋を伸ばし膝に手を置いてベッドに腰掛けているだけだ。**それ**はゴスロリで売り出したアイドル写真集の一頁のようで、不自然に青ざめた膚は小児性愛者向けのシリコン人形にも見え、いかにも場違いな光景に思われた。
 あら新しいペットね、と美少女は児童劇団の演技さながらに愛らしく微笑んだ。まるで人間味の感じられぬ微笑だった。どんな芸ができるの、楽しみ、早く見せて。亡霊の指先が触れたかのような悪寒が隊員の背筋に走った。警察です、姫川尊さんですね、あなたを救出に来ましたと隊員は告げながら壁沿いにじりじりと前進した。誘拐被害者の反応は訓練におけるあらゆる想定に反した。えっわたしを? だれから救出するの、あなたから? 喪服めいた黒ドレスの女児は蔑み哀れむように痙攣めいた笑い声をあげた。大仰な装備で突入したことを恥じ入らせるような、善意を踏みにじる態度だった。それおもしろいと思ってるの、だれかとまちがえてるんじゃない、ねえお父様。
 その言葉を耳にするよりも先に隊員は冷たい刃先を首筋に感じた。銃を床に落とし、背後に撤退の合図を示したが運命は変えられなかった。押し当てられた刃の冷たさは熱さに変わり、懸命に傷口を押さえるが血の噴水は止まらない。数分後に息絶える男はそのことを知って怯えながら犬のように短く呼吸しヨタヨタと無様に踊った。ヘルメットとマスクのあいだの、バイザーに覆われた眼がすがるように美少女を見た。愉快な演し物を見る子どものような笑みが返ってきた。人生の最後に見るにはあまりに怖ろしい光景だった。
 後続の隊員らは発砲を躊躇した。人命よりも情報の救出が最優先とされてはいたものの、容れ物たる姫川尊は可能なかぎり生きたまま回収するよう命じられていた。狭い室内で発砲すれば首を押さえてよろめく同僚や、その奥の標的に当たる畏れもあった。規則や命令と現実を天秤にかけたその一瞬が命取りとなった。横から飛び出してきた何者かが、失血死しつつある同僚を盾にしてブルドーザーよろしく猛烈に迫った。気圧された部隊は退却しようとしたが、陰となって姿の見えぬその男に続々と射殺され、仰向けに倒れて腹を踏み越えられた。
 室外の隊員も応戦したが銃声の嵐はすぐにやんだ。ボロ布で包んだ挽肉のようになった遺体をゴンゾは放り出し、床に転がる別の遺体から弾薬を回収しはじめた。旅行鞄を手にしたミコトがその背後から様子を窺う。硝煙が立ち籠め、アサルトスーツの遺体が廊下中に転がっていた。掃除が大変そうとミコトは感想を述べ、ああ敷物の染みを落とすのが大変なんだ、餓鬼の頃にはよくやらされたよとゴンゾは答えた。それから、首を引っ込めていろ、まだ階段に何人かいると告げ、あいつらが撃つのを見ていたかと尋ねた。ミコトが曖昧に返事するとじゃあ撃ち方はわかるな、同じように構えろ、おれの真似はするなとゴンゾは命じて遺体の手からM三九一三を奪い、ミコトに手渡した。えっえっとミコトは驚き戸惑った。狙って撃つ、それだけだろうがとゴンゾは呆れた。わかんないよとミコトは弱音を吐いた。しょうがねえやつだな、両脚を肩幅より少し広げろ、左右均等、そうだ右手はもっと上、左手は右手を包む、親指を添えてそのまま両腕をまっすぐ上げて、ホレ引き金をひいてみろ。
 ぱん。
 ミコトは家庭教師の肩越しに発砲した。その先に人間がいることに殺すまで気づかなかった。ふたりを狙っていた隊員が仰向けに倒れ、あっと叫んで階段を転落した。その声が遠ざかり床に叩きつけられる音とともに絶えた。誘拐犯とその被害者を撃つはずだった弾丸は天井を穿ち、上階で銃を構えていた隊員にも命中した。その男は獣のように唸り、一瞬遅れて降ってきて、手摺にからだを打ちつけながら落下して二度目の地響きを立てた。ミコトは茫然としてその様子を見つめた。人間が落ちると建物が揺れるのだと知った。生まれて初めてひとを殺した。ふたりも。緊張のあまり短銃から両手が離れなくなるのではと畏れたがそんなことはなかった。いつもの自分だ。慄えてさえいない。右手を見つめた。まだ熱い銃は絵筆と同じように掌中に馴染んでいた。
 殺し屋は蟹目のサングラス越しにニッコリと笑った。な、簡単だろ。あんた才能があるよ。いまのが当てやすい構えだ。急に飛び出してきた敵も殺せる。当てられにくい構えは右足を引く、右腕を押して左腕を引く感じ、映画でよくやってるみたいにな。おれは肥っていて力があるしナイフを使いたいからおかしな持ち方をしている。良心の呵責はあるかと尋ねられたミコトはわからないと答えた。だろう、あるわけないんだ、だって知らない他人だし、あんたを殺そうとしてたんだから。じきにやみつきになる。自分がやられる側にまわらなければ暴力は楽しいんだ。だから人類の存続するかぎり犯罪も戦争も地上からなくならない。呑気に講釈を垂れる家庭教師にミコトは猛烈な怒りを憶えた。アドレナリンが血中を駆け巡っていた。なんてことしてくれるんだよ、僕まで犯罪者になっちゃったじゃないか、と腹立ち紛れに彼は叫んだ。うるせえな、脅されて仕方なくやったとでもいえばいいだろうとゴンゾは顔をしかめながら、空の弾倉を床に落として遺体から回収したものを代わりに装填した。どうやって脱出するんだよ、外は警官で一杯だよとミコトがわめいていると、エレベータがあたかもオーブンが焼き上がりを報せるかのような鈴の音を立てた。ふたりはそちらを見た。
 ロビーでは指揮官が作戦の進捗に苛立っていた。先陣からの通信は銃撃戦とともに途絶え、階段に配置したうちの二名が撃たれて転落死した。ありえない方向に四肢を投げ出したふたつの遺体を、部下へ指示して、上階から狙われない場所へ回収させると、後続の部隊を階段へ向かわせた。同時にエレベータにも人員を配置する。誘拐犯と人質がいる階へ到達するなり、エレベータと階段の両側から銃撃を開始する段取りだった。籠に乗り込んだ二名は過去にテロや籠城事件で活躍した精鋭だった。足音もなく息も切らさずに階段を駆け上がる六名もそうだった。あちらは素人ふたり、こちらは税金で訓練を受けたプロの特殊部隊。多勢に無勢というやつだ。このところ急に涼しくなってきた、さっさと片づけて熱い饂飩でも啜りたい。自分の熱い内臓が饂飩よろしくこぼれ出るはめになるなどとは想像もしていなかった。先陣が全滅したこの期に及んでもなお、訓練の成果を試すいい機会だと指揮官は考えていた。
 報告を受けて無線で合図するや頭上で短く激しい銃撃戦が生じた。楽観を裏づけるかのように全視界制圧オールクリア、人質確保と無線で低い声が伝えた。ロビーに待機した全員がほっと安堵の息をつき、張り詰めた空気が緩んだ。了解よくやった降りてこい、と指揮官は応じた。エレベータの回数表示が四階、三階……と近づいてきた。音高く鈴が響いて扉が左右にひらいた。だれもが息を呑んで反射的に銃の狙いをつけた。籠の内部は血まみれで弾痕だらけだった。黒ドレスの華奢な美少女が青ざめ怯えきって立ちすくんでいた。その表情の理由は一目瞭然だった。肥った隊員に背後から片手で羽交い締めにされていたのだ。男は膨れ上がった腹を上下させて喘ぎながら、もう一方の手で人質の頭に銃を突きつけていた。バイザーは脂汗の蒸気で曇っていた。
 仲間に支えられながら瀕死のていで階段を降りてきた隊員がエレベータを指さし、あいつは贋物だと叫んだ。背後の男が怯んだ隙に、その膨れた腹にミコトは肘鉄を喰らわせ、猛然と腕を振りほどいて金切り声で叫びながら飛び出した。部隊が人質を確保するのと射撃が開始されるのは同時だった。籠のなかで肥った男は壁に叩きつけられ、痙攣するようにのたうちながら全身を穿たれた。銃声がやみ、硝煙が立ち籠めた。締まろうとした扉はすり鉢状の陥没で波打ったように変形し、ぎくしゃくと動きを停めた。重量制限のブザーが誤作動で鳴りだした。なかば閉ざされた扉の隙間から、ぐちゃぐちゃの肉塊となった男が壁にもたれて座り、頭を垂れているのが覗いた。居眠りするかにも人生の結末に落胆したかにも見えた。
 数名が扉をこじ開けて遺体を検分した。ブザーは神経に障る音で鳴りつづけた。防弾ベストやアサルトスーツをむりやり二重に着せられ、漫画のように着膨れた同僚の死にざまに気づいた彼らは、茫然と指揮官を見やった。指揮官に言葉はなかった。水面に空気を求める金魚のようにぱくぱくと彼は口を動かした。催眠術が解けたかのように一名がふと気づくと人質は姿を消していた。ナイフで脅して芝居に付き合わせた隊員の首をゴンゾは掻き切り、階段に累々と横たわる刺殺体の仲間に加えてやると同時に、ロビーにお集まりのみなさんに贈り物を放り投げて身を伏せた。目の前に落ちてきた黒い果物をだれもが茫然と見つめた。それは確かに見慣れた装備品ではあったが、どうしてそれがそこにあるのかだれにもわからず、次の瞬間にはそんなことはだれにとってもどうでもよくなった。
 ホテルの一階が膨れ上がって黒煙と紅の炎を噴き出し、ガラス片やコンクリート塊を撒き散らすのをミコトはロードスターの助手席から遠巻きに眺めていた。駐車場は離れた場所にあったが、それにしても警察が犯人の車に気づかなかったのが彼には不思議に思われた。三つボタンつきの黒い上衣を脇に抱え、旅行鞄を手にして駆け寄るゴンゾに彼は、遅い、と苛立った罵声を浴びせた。いやあ悪い悪い、と家庭教師はニタニタしながら運転席に乗り込んだ。帽子を脱いでニットタイを結ぼうとする彼に、人質たるミコトは何やってんの早く車を出してよ、そんなのいいからと厳然と命令した。どっかでシャワー浴びてご飯食べたいと希望も述べた。彼はここ数年なかったほど空腹を感じていた。爆風とともに心中のもやが晴れたかのようだった。蟹目のサングラスをかけたゴンゾは、その濃い緑のレンズ越しにおもしろそうに助手席を見やった。つんと澄まして前方を睨むミコトの横顔が、これまでとは多少なりとも違って映った。グローブボックスから出した不織布マスクで顔半分を覆うと、ゴンゾは車を出した。


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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