杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第307回: トランプのようでなければ死ぬしかない

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2021.
01.29Fri

トランプのようでなければ死ぬしかない

筋の通らぬ理屈に従うよう強要されたとき、思考を停止して従うことはできる。しかしそれと同時に主体性を求められるとわたしにはその相反する要求を満たすことはできない。別の人間になるよう求められたことになるからだ。筋が通らぬという認識はわたし個人のものでしかない。だれとも共有されていない。社会において共有、という言葉が用いられるとき、その意味するところは全体で正しいとされた認識に沿って発言しろ、ということだ。全体に抗ってまで我を通そうとは思わない。結局のところわたしは何も理解していない。全体にとって正しい理屈があるのならそれが正しいのだろう。であればそれに従う。従いはするがそこで前提とされた認識がわたしとは相容れない以上、主体的であることは論理的に不可能だ。全体としては、相容れない時点でわたしの過ちであり、その誤りは正さなければならないということになる。であればそれは結局のところ主体的という言葉の定義に反する。しかし言葉の定義なんてものはそれが用いられる集団によって異なりうるものだ。全体、といったところで結局は局所的な集団でしかない。相容れなければよそへ行く自由がある。しかしそれはあくまで能力がある人間の話であって、何をやらせてもだめな人間には行くべき「よそ」がない。変化は悪化に直結する。暮らしが立ちゆかなくなる。これは実社会(本業)においてでも比喩(出版)としてでもそうで Amazon を離れて本は売れない。わたしは脳に障害があり健常者が当たり前にやれることの多くができない。努力はしているが周囲からはふざけて怠けているようにしか見えない。生きているだけで迷惑なので顰蹙を買い、社会から排除される。ここで重要なのはそれが悪であると適正な判断がなされ社会から排除されることだ。わたしには過剰な自己愛はない、はずだ。少なくとも精神医学的には問題ないと診断されているし、だれかれなく他者を見下したりはしない。そう易々と他人を見下せるほど自分を高く見積もってはいない。自分に何か価値があるかのように取り違えたりもしない(書いたものに価値があると思いたいが現実にはそうでないのを理解している。他者に対して積極的に害をなしたりすることもない。ところが強烈な自己愛と独特のこだわりを持ち、だれかれなく他者を見下し、自分のルールを押しつけ、自分を絶対に正しいと信じて疑わず、批判はすべて不当ないじめだと感じてそのように吹聴する種類の人間は、社会的に適正なものと認められやすい。上長によってそれが正しく、その「正しさ」に違和感をおぼえる側が不正であり、まちがっており、劣っており、修正ないし排除されるべきだと見なされる。つまりはお墨付きが与えられる。お墨付きが与えられることによってそれが正しいことになる。そのようにしてそうしたひとびとは社会にまかり通る。そのような人物が入り込んだ組織(企業であれ家庭であれ)は、組織としては問題なく運営されるにしても所属するそれ以外の人間はすべて疲弊する。誤っている側と認定されるからだ。お墨付きがある以上は自己愛者のいいぶんが正しいことになり、そうである以上はそれ以外の人間は誤っており劣っておりその人物を虐げていることにされてしまう。だれに悩みを訴えても断罪されるだけだ。受け入れてやらねばならない、差別だ、などとあべこべに批難される。いわゆるカサンドラ症候群だ。ある人間は暴力を受け入れねばならず、ある人間はあるがままにだれに対してもひどい仕打ちをして構わない、というこの差はどうして生じるのだろう。人格に問題があってもみずからの欠陥を顧みるところがなく、他人のせいにして社会にまかり通る(自分を疑わないからまかり通るし、まかり通るから自分を疑わない)ひとたちは、どうしてそのようにうまくやれるのだろう。そのひとたちとわたしは何がちがうのだろう。ひとつには人間性という観点では社会のプロトコルから大きく逸脱していながら人間性を疎外する要素においては都合よく既存のプロトコルを利用できる才覚があるかどうかだ。それがゆえに異常者である点では大差ないのにわたしは罰を受け、彼らは罰を他人に押しつけたうえにその他人を世間の先に立って批難する。そのようになりたいかと問われたら、うーん、なりたくはないのだけれど世間はそうしたひとたちの味方であり、そうしたひとたちが社会では正しいとされるので、社会的にまちがった人間(わたし)であるよりは適切な人間でありたい。しかし彼らが正しいとされるのは踏みつけにされた(誤りを押しつけられた)ひとたちがいるからであって、実際(という言葉の定義がもはや怪しくなるが)には彼らは正しくない。そのように立ちまわっただけだ。そのように立ちまわる方法を知りたいだろうか、よくわからない。他人を苦しめたくはない。苦しめたくないから適切になりたいのであって、適切になるために苦しめるのでは意味がない。


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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