D.I.Y.出版日誌

連載第301回: ナボコフはわたしを読まなくていい

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2021.
01.03Sun

ナボコフはわたしを読まなくていい

問題を認めなかったり美点であるかのようにすり替えたりすることで責任や不利益を他者に押しつけ自分を正しい優れたものと見なす一方でそのために苦しむ他者を無能であるかのように蔑む自己愛者をわたしは憎むしかしこれをソーシャルメディアで表明するとヘイトであるということになってしまうソーシャルメディアにおける善悪は資本主義企業が決めたアルゴリズムに最適化された人格でしかないそこで祝福された著名人のみが正義となりうまくやれない無名人は何においても誤りとされるそこではあらゆる無名人が著名人のすべての言葉を読み文脈を正しく把握することが求められる逆は成立しない。 「問題を認めなかったり美点であるかのようにすり替えたりすることで責任や不利益を他者に押しつけ自分を正しい優れたものと見なす一方でそのために苦しむ他者を無能であるかのように蔑む自己愛者を憎むというわたしの投稿の背後にはわたしがこれまでどのように生きてきたかといった個別の事情があるその文脈はわたしの全著作を読めばある程度は推し量れるしかしそんなことは当然だれも行わないわたしがそのような要求をすることも当然許されない一方でソーシャルメディアにおいて価値のあるものとされた著名人は当然のようにその権利を主張し従うことを要求する従わなければ信者らの前で吊し上げられ吊し上げられた無名人は大勢から石で打たれるついている機能を使ってみたら自分しかいないはずの画面に他人の発言が流れはじめて面喰らったついている機能を見ると使わねばならないような気分になり使うと機能にふりまわされ行動や考えや気分が機能によって規定されがちになるというのは困ったものだ自分のそういう性質が自分の性に合わないことばは一方通行でいい小説と会話やら交流やら議論やらをしようとは思わない読んで何かをいいたくなったら今度は自分が小説を書くわたしはナボコフを読むがナボコフはわたしの小説を読まないそういうものだ高名な作家や批評家が個に向き合うな真剣にやるな適当に軽薄にやって大勢にちやほやされろ名刺を配って顔を売れtwitter 大喜利の紛い物こそがあるべき小説の姿だと説く一年前の記事を読んだCOVID-19 の直前までこんな恥ずかしいことが権威のある偉い方々によって語られていたのかと呆れたそんなのだれが読むんだよそんなもの書いて出版して何がしたいのつまらない連中の前で媚を売ってちやほやされたいのかそれがあるべき小説の姿なのかそれが儲かるからよいのだというのならなるほど商業出版は廃れるわけだ滅びていいよ彼らはいまでも同じこといってるのだろうか名刺交換して大喜利でちやほやされようそれが小説です編集者はそういうのを求めていてそういうのが出版されますというのであればだれもいないところで勝手にやってくれと思うあいにく実際にそれが金になるので読書の嗜好を持たない客つまり限られていない非常に多くの人間を相手に商売できるから)、 モールの表示はそういうので埋め尽くされている何を読もうがそういうのに関連づけられ本として表示されるのはそういうものばかりになりしたがって小説ってのは twitter 大喜利になろうとしてもなりきれないものなんだな読書ってつまらないな本物の twitter 大喜利のほうがいいやということになってしまう出版社は読者を育てる努力を怠って世の中をそのようにした出版においてもディスカバラビリティにおいても現状のインターネットのありようは使いものにならない何か別の在り方を見出さねばならない旧共産圏において巨匠とマルガリータやルー・リードの詩集がまわし読みされたようなディスカバラビリティの前に流通だな出版流通見出されやすさ出版には epub や POD がある流通にはたとえば WordPress がある出版の民主化!)、 epub をそこで配ればいいわけだ金がほしけりゃ WooCommerce を使えばいいしかし見出されることはできない何がどう優先的に表示されるかすなわちひとびとが見る認識する世界を決めているのは Amazon なり twitter なり Facebook なり Google なりだからだしかしどのみちそういう視野しか持ち得ない客層は小説を読まない権威者に押しつけられた視野をありがたがってすべてだと思うようなことと読書とは対極にある読書は個と向き合う作業だからだであるならば別の視野を提供する何かがあってもいい個が個であるままで新たな向き合い方を見いだせるようなネットワークそういう意味で ActivityPub でなんかできたらと夢を思い描いたのだけれど結局それはある特定の層がつながるソーシャルな何かでしかなくそうであるからには twitter やなんかと同様に無名人を寄ってたかって石で打ってもいいやつ認定するゲームにしかなり得ないのではないかという気がするそこで小説を見出すなんてことにはならない気がするActivityPub プラグインを有効にしている WordPress サイトでコメント欄に Fediverse から投稿できるようにしてみようかと一瞬血迷ったけれども冷静に考えたら一上から目線でばかにするめんどくさい連中が集まるだけURL が言及されたツイートを拾ってきて表示するやつと何も変わらない読書と交流は真逆のものだし他人の顔など見たくない⋯⋯といったさまざまな理由からあほらしくなってやめたいやでもそもそも見出したり見出されたりする必要なくね? とも思う過去の名作だけ読んでいれば充分じゃないか小説は twitter 大喜利の出来損ないになりましたあっそうじゃあいいわもっとほかにいい本があるから空気を読んで媚を売ってチヤホヤされるのが小説ならそういう的な密なやつはもう要らないよごちゃごちゃひしめく人間にはうんざり生計を立てるためには他人と関わらなきゃいけないのだからプライベートでまで他人の顔を見たくないだれともかかわらずにナボコフでも読んでたほうがいいわtwitter 大喜利の紛い物みたいなものを喜ぶ客に読まれたって嬉しくない金だけはありがたく頂戴するけれど


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。