杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第301回: ひとりでなければ生きられない

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2021.
01.01Fri

ひとりでなければ生きられない

身体性が伴ったり他者との距離が密であることが要求されたりする娯楽、たとえばダンスのようなものは廃れると思う。事実COVID-19以前はギターソロのある曲は売れないといわれてエレクトロな音ばかりが流行していたけれどいまではヴァイナルがCDより売れ、伝統的なロックが再び聴かれるようになっている。絆とかなんとかより個が見直されたらよいのだが。実際ソーシャルメディアって今後どうなるんだろうか。悪い意味でのピークが去年だったような気がする。COVID-19によってソーシャルメディアがどう転ぶか。絆の密が死に直結する時代では、社会における位置づけや他者とのかかわりにおいて価値を見出すゲームはそろそろ厭われはじめるのではないか。Black Lives MatterやTime’s UpやLGBTQの時代では、他人や社会とのかかわりのなかで見出す相対的な相対的な価値よりも、自己のうちに絶対的な評価軸を見出すのが主流になっていく気がする。一方で身体的な接触が疎まれる時代では生身の顔を知らないままに、ネットワーク越しの画像や短文や短い動画で、御簾ごしに和歌でやりとりする平安時代のような恋愛が一般的になっていくとも予想されるので、あるいは二極化が進むのかもしれない。そうなるとしたらソーシャルメディアはオールドメディア化するだろう。現在のテレビがそうであるように、知的水準の低い層によって支持される。そしてその支持はおそらく政権と結託した広告代理店によって洗脳のように利用される。薄暗い感情を書き連ねることは個と向き合うことで、小説を書いたり読んだり出版したりすることにも通じ、扱いにさえ気をつければそれはよいことだと考える。政治的な(宗教的な?)偏りのある広告代理店によって表示機会が管理され、彼らのアルゴリズムに最適化された人格にのみ高い値がつき、適応できない人格が貶められる状況は、本質的に個を疎外するものだ。小説は個と向き合うもので、今後はそうしたものの価値が再認識されるのではないか。実際ロックダウンによって本はよく売れたらしいので。それでジェフ・ベゾスただひとりが富豪の頂点に上り詰めるのは、彼の倉庫で働くひとびとがこの状況下でどのように扱われているかを思えば、それはそれでおかしな話に思える。内面を吐き出す作業は自己と向き合う作業であり、それが娯楽たり得るのであればそれはとてもよいことだ。問題はその価値が社会的にはかられることや、内面と向き合う作業は自分自身の問題でしかないのに、他者や社会の評価を求めがちなことだ。そして実際にはソーシャルメディアは広告代理店が決めたルールによって運用されていて、そのアルゴリズムに最適化された人格のみが正義とされる。つまり本来は徹頭徹尾、個の問題でしかないはずのものを広告代理店が点数をつけて裁いてしまうことや、本来は垂れ流しさえできればよくて、他者にどう見られるかなどどうでもよかったはずなのに、そうしたゲームの場に組み入れられることで自然と点数を求めるようになってしまうことに問題がある。現状のソーシャルメディアにはそのような乖離があって、そこに生きづらさが生じる。五年ほど前からBuddyPressなどで個人専用のソーシャルメディア(いまでいうお一人様インスタンス的なもの)を試していたのはそういう動機だった。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告