杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第304回: 死なない程度に生きる(死んだらそれはそれでいい)

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2021.
01.08Fri

死なない程度に生きる(死んだらそれはそれでいい)

オール・トゥモロウズ・パーティーズにはあとで日記にまとめるつもりで垂れ流しているのだけれど一週間以上も放置していたら溜まりすぎて整理のしようがなくなった。さまざまなことがあほらしく感じられるようもなり日記にまとめる意義も感じなくなった。出版活動にも意欲を感じなくなった。脳の発達遅滞によって知能や社会的能力に障害があるのだが、にもかかわらずコミュニケーションの仕事に就き、大勢の他人に頭を下げて生計を立てている。まいにち罵倒され人格否定され嘲笑され恫喝されている。おまえの自宅まで行って殺害してやると宣告されることもしばしば。ふだんは周囲がコミュニケーションのプロばかりなのでこんな不具者でもどうにか生活できていて、世間にはわたしと大差なくとも立派な人間だと錯覚して生きている人間がごまんといるのだし、生きていたって構わないのではないかと錯覚しそうになるのだが、そして社会的あるいは道義的に適正であるかは別としてそのように錯覚することが生存には不可欠なのだが、しかしごくまれに新人採用や臨時採用で、自分が絶対に正しいとの信念を持ち、独自のこだわりを持ち、都合よく話をすり替え、指図する以外のコミュニケーションをご存じない方がいらっしゃると、その方の認めるふるまいがわたしにはうまくできず、職場で大きな問題を起こしてしまうことがある。やはりわたしはだめなのだと思う、まぁ別にだめでもいいのだが。わたしは脳の障害のために不条理なまでに無能であり、ということは何をやらせてもだめということで、複数の医師からも医療の対象外だが一生治らない異常である旨をまさにそのままの言葉で宣告されており、生きるのも満足にやれぬ一方で、死ぬにもしくじるに決まっており、そしてそのときの社会的また経済的コストは、生きる上でのコストを大きく上まわるのがわかっており、であればだらだらと先延ばしにして、迷惑がられながら死ぬまで生きたほうがいいと判断する。それは別に構わないのだが、私生活でまでそんな目に遭いつづけたいとは思わないのであって、編集者めいたことを試みたり、書いて出版したものを他人に読んでもらおうとしたりするような、社会的能力がまともでなければ本来は許されぬ行為を、厚かましくも試みるような浅ましく愚かしいふるまいは、年が改まったこのタイミングでやめるべきではないか。オール・トゥモロウズ・パーティーズの、どういう機能のものなのかわからなかった「通知」アイコンに一瞬、青い数字が表示される(普段は目にする機会がないのでCSSで青をオレンジに変えきれていない)。設定で非表示にしてある通知が亡霊のように表示されるらしい。怖ろしくなった。書いたことを他人に報せる機能で何がしたかったのだろうとわれに返った。偏執的中傷者に餌をやる以外の何があるというのか。苦痛に耐え、自己肯定感を低下させてまで他人と関わるのは生活のためでしかない。私生活では他人を意識から排除することで自己肯定感を向上させたい。それなのになぜ他人の存在を意識させるような表示を自ら進んで行うのか。パブリッシュはしたいがソーシャルでありたいとは思わない。出版したからといって他人と関わらねばならないわけではない。ソーシャルで認知されなければ出版したことにはならないのかもしれないけれど、それならそれで構わない。生計手段のほかに他人と関わって得られるものは、ほぼ何もない。親友と月に一度のむだけで充分だ。書いて出版したものはだれにも読まれないが読まれたところでばかにされるだけだ。自己肯定感を低下させるためにやっているのではない。自分はこれだけのことを努力して成し遂げた、という自己満足によって自己肯定感を高めたいだけだ。であればソーシャルである必要はないしパブリックでさえある必要がない。というわけで人格OverDriveのActivityPubプラグインは必要なときだけ有効化するようにした。だれからも憎まれ蔑まれる無能のくそ野郎である事実をいっとき忘れたいだけなのに、あべこべにそれを強く想起させるものからは全力で逃れたい。日本のFediverse利用者のジェンダーバランスが極めて悪いという話を読んだことがあって、その調査にどれだけの信憑性があるか、かなり偏ったものである可能性は感じるけれども、でもさもありなんという気はする。そもそもが自分とは合わない場所なのかもしれない。BuddyPressのUIはトゥーマッチだったしGNU Socialのは古めかしく感じた。Mastodonは思考垂れ流しツールとしては最適のUIに思えたけれども晒し者にされ笑いものにされてしまうリスクまでは考えていなかった。完全に閉じることはできないものか。閉じるといっても外部から閲覧不可にするということではない。だれでも自由に閲覧できる必要がある。そうでありながら一方通行の読む対象でしかないありようが望ましい。書いて出版するのは脳障害に伴う病態だからやむをえない。それを人前に出そうとしたり、他人に書いてもらおうとしたりするから他人の迷惑になるのであって、そういう厚かましく愚かしいふるまい、だれから見ても明らかに蔑まれるべきふるまいは、もうやめるべきなのかもしれない。迷惑だからやめるべきという社会的判断ばかりではなく、蔑まれ笑われ憎まれるという点において、自己肯定感を毀損するばかりなので精神衛生上、やめたほうがいいという利己的な判断でもある。まったく浅ましい蔑むべき人間だ。しかしだからこそ他人とかかわるリスクのある要素は極力、排除したほうがいい。自分のためにも他人のためにも。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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