杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第298回: ただこれだけの文章を書くために三時間もかかった

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
12.11Fri

ただこれだけの文章を書くために三時間もかかった

過ちを経なければよい作家になれぬのは事実とはいえ、いかに天才であろうと無自覚でありつづければ作家たり得ないと、おまえなんかに学ぶことは何ひとつないと宣言されてもなお、そう思う。作家は向上のために何をすべきか。現状のまま表には出せない、どこかを直さねばならぬとの漠然たる指摘しか編集者はできない。どこがどう悪い、どう直すべきといった答えは作家自身が見出さねばならぬ。いっぽう作家であればどこがどうまずいか、どう対処すべきか、積み重ねた経験に基づいて助言はできる。それでもやはり実際になすべきことは、作品に取り組む作家自身が苦労して見出すしかない。編集者の意見に耳を傾けるのは単にそれが金を稼ぐ仕事だからだ。職業人としての仕事の進め方は編集者から学ばねばならぬ、見合うだけの報酬をもらっていればの話だが。それに対して作家の意見に耳を傾けるのはよりよい作品を書くため、よりよい作家になるためで、だれに学ぶかは作家自身が決めねばならない。以前、人権感覚について婉曲に意見したときには、へぇそんなふうに感じるひともいるんですね、でも自分は正しい、ありのままの自分から変わるつもりはないと宣言され、話が通じないし天才に書いてもらう機会を喪うのが怖ろしかったので、あきらめて黙ってしまった。そのときにはわたしのほうがおかしいのだと自分にいい聞かせ、納得しようとした。しかし人格OverDriveはいちおう理想としては、差別や暴力といった人権侵害に抗う側でありたい、なんらかのつらい思いを抱えた読者に寄り添うレーベルでありたいと望み、そこに何か安堵や共感のようなものを感じてくれる読者を、顧客として想定している。看過することで相反するものに加担しかねない気配を感じ、やはり編集者として少しでも責任を負うために、意見することも学ばねばならぬと考えるに至った。少しずつ口を出していこうと決め、人権がどうということではなく、単につまらなかった(書評が書評のていをなしていなかった)のが理由で、書きなおしを所望したところ、全原稿を引き上げアカウントを削除するという回答が返ってきた。かたくなな態度がいいまわしに至るまで同一であったので、以前のあれもやはり確信をもってその価値観を押し通すつもりだ、との意思を示されたのだといまは理解している。それはそれで作家の自由だし、掲載しないのも編集者の自由だ。もとより原稿を借りた以上の権利はないし、上司でも金を出してもいないのに向上心を他人がとやかくいうべきではない。これまでに関わった範囲でいえば、大手出版社やウェブの業者にとっては偉そうな態度でただ働きを要求するのが当然のようだが(編プロ出身のアフィリエイトブロガーには金品を要求する輩までいた)、わたしの面の皮はそこまで厚くない。意見は口にするが作品をどうするかは作家が決めることだ。何より過ちか否かは主観でしかなく、世間一般においては受け入れがたい価値観こそが正義である。それに何よりこの文章自体が、尾を咥えた蛇めいた身勝手な過ちにすぎない。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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