イシュマエル・ノヴォーク

コロナの時代の愛

第7話: パーフェクト・デイ

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.12.05

 水色の平屋の周りには背の高い杉が植えられている。家の裏手にはガレージがあり、白いワンボックスカーが停まっているのが見えた。
 歩行器を押すチャーネットはネクタイのコブを撫でながら咳払いした。言うべきこと、かつて言うべきだったが喉の奥ですり潰してしまった言葉を思い描きながら呼び鈴を押す。

 揺り椅子に腰掛けるアニー・モフェットは目盛りを半分まで上げたテレビ、ニュース番組を観ている。画面の中では、夫が好きだったボクシング・チャンピオンで、私生活は品行方正とはとうてい言えなかった男がミット打ちを披露している。男は既に五〇歳をとうに過ぎており、顎鬚は白く染まっている。顔の半分は刺青が彫られている。俊敏なジャブは現役当時に比べれば劣るものの、現役当時には見られなかった純粋なものが見えた。呼び鈴に気が付いたアニーが膝を労わりながら立ち上がって廊下を歩く。廊下には額装された息子、孫たちの写真。勝訴した夫が笑顔を浮かべている新聞の切り抜き記事。黄ばんだ花柄プリントの壁紙を横目にアニーが
「誰だか知らないですけど、開いていますよ」
 チャーネットは歩行器から手を離してドアを引く。今は皺が寄ってはいるものの、かつて最も近くで見た顔が。チャーネットが言う。
「やぁ、久しぶりだね。今日はバスに乗って来たんだ。かつて、君がワシントンまで行こうと言ってくれたみたいに」
 チャーネットが皺の寄った額を撫で
「今更、こんなことを言うことは間違っていると思う。自分勝手なことだとわかっている。でも、どうしても、どうしても言いたいんだ……許して欲しい。愛しているよ」
 アニーが彼の名前を呼び、ドアから床にかけて貼られた皮膜、透明のビニールに触れる。チャーネットはビニール越しにアニーに触れる。

 居間にあるテレビ、画面の中では仏頂面の大統領が一方的に語っている。語り終えた大統領は記者たちの質問を全て無視して舞台から降りた。


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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