イシュマエル・ノヴォーク

コロナの時代の愛

第6話: 汝の母、もしアルバートの妻なりせば

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.12.05

 静まり返った居間、ソファに身を投げ出したアルバートが紙巻煙草を吸っている。ガラス製の灰皿には吸い殻が消化不良を起こしており、低いテーブルの上に灰が落ちている。居間を転がるパディントンのぬいぐるみ、アイアンマンの人形、正方形や三角錐のブロック、ダンボールにマジックで書かれた〈ジョンのいえ〉という拙い文字。
苦笑いを浮かべたアルバートがテレビを点けた。画面に広がる現職大統領と大統領候補の討論会。一週間前までは毎日、居間で繰り返されていたような稚拙な言い合い。アルバートはチャンネルを天気予報専門チャンネルに変える。北米大陸の気温と湿度が表示され、薄っすらと隠れるように流れているのは囁き声のボサノヴァ・アレンジされた『サティスファクション』
 声量に乏しい囁き声が不満を並び立て、アコースティックギターが特徴的なBマイナーのリフを爪弾く。うんざり顔のアルバートがテレビを消し、揉み消すために紙巻煙草に火を点ける。

 うたた寝と覚醒を何度も繰り返した昼下がり。アルバートは咳払いするとソファに埋もれていたヒューストン・アストロズの帽子を掘り起こしてかぶると外に出た。

 家の前をフェデックスのトラックが通り過ぎる。庭先に立てられた支持表明、芝生の上でクルクル回る時間式スプリンクラー、名前も知らない常緑樹の葉が風に揺られ、細長い木漏れ日がアスファルトに突き刺さる。通りに人の姿は見えない。アルバートは首を鳴らして歩き出す。

 三〇分ほどの散歩を終えたトニオ・ファルコーネのバーに着いた時、アルバートは息切れを起こしており、シャツは背中に張り付いていた。アルバートがカウンターにある丸椅子に腰掛けるとファルコーネは片目を細めて数歩後ずさった。ファルコーネが言う。
「死んだって聞いた」
「まだ死んじゃいない」
「らしいな。でも、あんまり具合が良くなさそうだ」
「そうか? 気のせいだよ」
 ファルコーネの顔は透明プラスチックで覆われており、規則的な鼻息で顔を曇らせた。ファルコーネが言う。
「ビールにするか?」
 アルバートがうなずくと、ファルコーネがビン入りビールを差し出した。一口、ビールを飲んだアルバートが眉をひそめて「ひどい味だ」
「昔からそういう味だ。アル、お前は常連だし、友だちだと思っている。本当だぞ? でも、今日はそれを飲んだら帰ってくれ」
「おれにはビールを飲む自由もないのか? この国は自由も捨てちまったのか?」
「自由はなくなってない。今はそういう時じゃないんだ」
「そういう時じゃないから自由を捨てちまっていいのか? おれみたいにさ!」
 ファルコーネが窘めるような調子で「ゾーイも子どもたちもお前を捨てたわけじゃない。おふくろさんの家に行っただけだ」
「じゃあ、なんだ?」
「お前は病気なんだ。とはいえ、入院しなくていいほどだし、運が良かったじゃないか。家でゆっくりテレビでも観てくつろいでいればいい。映画チャンネルを契約すれば時間なんていくらでも潰せるぞ? つい最近まで、一人の時間がないだのと不満を言っていたじゃないか。だから、願いが叶ったと思ってみるのはどうだ?」
「おれは……」
 言い淀んだアルバートが小さく咳き込む。ファルコーネがさらに数歩後ずさる。ファルコーネが
「悪いが、金はそこに置いてくれ」と言ってカウンターを指差した。アルバートはポケットから小銭をとり出して置いた。
「また来るよ」
「二週間は駄目だ……悪いな」
 アルバートはビール瓶を手に持ったまま外に出る。

 フェデックスのトラックが通り過ぎる。赤と青の支持表明、動きを止めて水が滴る時間式スプリンクラー、名前も知らない常緑樹の葉が風に揺られ、細長い木漏れ日がアスファルトを引っ掻く。帽子のつばを撫でたアルバートがビールを飲みながら歩き出した。


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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