イシュマエル・ノヴォーク

イシュマエル・ノヴォーク短編集

第8話: 二つの部分と五つのハプニング

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.11.28

 水曜の晩。居間でラスターが砂糖入りコーヒーを飲んでいるとルームメイトのワシリーが部屋から出てきた。ワシリーはスポーツ用ジャージを着ており、作業に没頭していたのか汗ばんだ臭いが漂っていた。ワシリーは椅子に深々と腰掛け
「金曜の夜なんだが、予定はあるか?」
「ないよ」
「仕事に追われているってわけだ」
「やらなくちゃいけないことがあるんだ。だから、予定は入れていない」
「気晴らしになるような話があるんだが、聞くか?」
「聞くだけなら」
「金曜の夜にダウンタウンのクラブでDJをするんだが、用事が出来たから穴埋めが必要になったんだ」
「へぇ、それで?」
「穴埋めを頼みたいんだ」
「クラブDJなんてやったことないよ」
「簡単な仕事だ」
「みんなが踊るのをうまく演出するなんて、ぼくには向いていないよ。なんせ、ぼく自身が踊ったりしないんだから」
「踊らないにせよ、お前はいいトラックを作る。この前アップした曲だって、中々のヒット数だ」
「ぼくは君みたいにレーベルと契約しているわけじゃない」
「そう言うな。このままやっていれば、きっと誰かの目に留まる。大目玉だ」
「だといいけれど」
「見聞を広めようとは思わないか? 図書館と部屋の中を行ったり来たりするのも十分、冒険だろうが、それ以外の世界もあるんだ」
「どういうチョイスをすればいいの?」
「感じたままにやればいい。難しいなら、おれが使っている音源を渡すよ。BPMだけ整えればいい」
「うまくできるかわからないけれど、やってみるよ」
 口笛を一吹きしたワシリーが「その意気だ」

 金曜日の夕方、リュックサックにノートパソコンを詰め込んだラスターがクラブに着くと、死人のように色の白い痩せた男がフラフラと近づいてきた。男の視線は始終、落ち着かず、会話も要領を得なかったが、男がクラブのマネージャーだということはわかったので、ラスターはノートパソコンを変換ジャック、自前の小さなミキサーに繋げてパソコンを起動させた。ワシリーから渡された音源をひとしきり確認し終えると、瓶入りのコーラを注文した。男がよろめきながらラスターにコーラを渡した。

 客たちが姿を見せ始めるとラスターはエンターキーを押した。他にやることもないので、ラスターはDJブースから客たちを眺める。オビオイドを中心に合成された違法カクテルで陶酔しきった者たちの旋回、刺青の隙間を埋めるような引っ掻き傷、締まりのない笑い声。単調なビートが繰り返されるだけの退屈な音楽。ラスターは欠伸を噛み殺してコーラを飲む。
 ジョン・ケージ、あるいはフルクサス的なハプニングが引き起こされる。ドアが開き、制服警官たちが雪崩込んでくる。地面に刻まれるステップ。陶酔しきって床に寝転がっていた何人かが下敷きになり、意識の半分が現実に戻された者は恐慌状態になりながら壁に激突した。抽象と具象の中間に迷い込んだ晩年のジャクソン・ポロックのような人影、血の筋が壁に押し付けられる。
 ラスターが呆気にとられているとソファを飛び越えてブースにやってきた警官が皮棍棒を振りながら「音を止めろ」と言った。ラスターはエンターキーを押して音楽を止めた。警官が
「さぁ、来い。ジャンキーどもめ」
 手錠を後ろ手にかけられ、警官に首根っこを掴まれたラスターがクラブを出ると、パトロールカーに押し込まれた。ラスターは運転席と後部座席を分かつ頑丈な金網に指で触れる。

 繋がれたままの無線が通りの名前や起こったばかりの事件、犯人の特徴を告げる。通りでは顔を白く塗ったパントマイム芸人が見えない壁に手で触れ、驚いた顔をする。一瞬の無言劇を見たラスターが笑うとハンドルを握る警官が舌打ちした。

 留置場に連れて行かれたラスターは金属製のベッドに腰掛けた。丸まった毛布からはネズミの死骸のような臭いがした。目を瞑り、記憶の断片が手繰られコラージュされる。

 心配そうな顔の母親がテーブルに頬杖をついている。神妙な面持ちの兄たちが黙ってソファに腰掛けるか、壁にもたれかかって何かを待っている。呼び鈴が鳴ると二番目の兄が廊下を早足で歩いてドアを開ける音が聞こえた。長兄の「ただいま」という声が聞こえ、立ち上がった母親と兄たちが玄関に向かう。ラスターは廊下の先からその様子を見ている。唇が切れ、目の下が紫色に変色した長兄が母親と抱き合う。長兄が初めて逮捕され、釈放されて帰って来た夜の記憶。

 翌朝になって指紋と写真をとられたラスターは警察署から追い出された。石階段を下りながらノートパソコンとリュックサックの行方について考えるが、絶望的な状況であることは手にとるようにわかった。階段を下りると、駐車禁止の標識に寄りかかりながら手を振るワシリーの姿が見えた。ワシリーは片手にラスターのリュックサックを持っていた。ラスターは小走りで近付くとワシリーが
「善良な市民が落とし物を届けにきたぜ」
「警察が来ることを知っていた?」
「知っているか、知らないかだけを答えるのなら、イエス。その前に言っておく。おれはドラッグをやっていないし、売ったことも、勧めたこともない」
「だから? 君はこうなると知っていて、ぼくを行かせた。裏切りだよ」
「カッカするな。まずは落ち着け。ブリトーでも食うか?」
「そういう気分じゃない」 
「そうだな。おれもそういう気分じゃない」
「ワシリー、君はぼくを裏切った」
「裏切ったわけじゃない。お前を信用したからだ」
「どういうこと?」
「お前は真っ白だ。あぁ、人種ジョークを言いたかったんじゃない。犯罪歴がないって意味だぞ」
「ワシリーは?」
「そんなものあるか。今も昔も、これからも、ドラッグも人殺しもレイプもやらない」
「じゃあ、どうして?」
 ワシリーは声を詰まらせ、髪の毛を掻く。それから鼻の頭を撫で
「誰にも言わないでくれよ?」
「うん」
「おれの親父はシカゴじゃあ有名なヤクザ者だ。兄貴も、姉貴も、弟も。飼い犬のヴォイテクまで家業に首まで浸かっている。おれは兄貴みたいに死体の指を全部切り落として冷蔵庫に詰めたら、どこだかに埋める仕事をするのが嫌でニューヨークに来た。お前は知らないだろうが、ヤクザ者っていうのは、うまく商売するために警官と仲が良いんだ。何もしていなくても、おれが捕まったなんて噂がシカゴまで風に乗っていったりすれば連れ戻される。そうすれば、今度こそ同じ道を行くことになる。だから、絶対に親父に居場所を知られたくない」
「ぼくの兄さんたちはイングルウッドでストリートをやっているよ」
 ワシリーは微動だにせずラスターを見た。そして大きく息を吐き、両手を広げてラスターの肩を抱いた。
「ようやく合点がいった」
「どういう意味?」
「なんで、お前に親近感が湧いたのかって話だよ。ネットの知り合いとルームシェアするなんて、ガラじゃないのにな。自分自身、ずっと不思議に思っていたんだ」
「不思議?」
「お前はイングルウッドのアフロアメリカンで、おれはシカゴのイワン。似たような境遇だったってわけだ。お互い、家族とか土地とかに心底ウンザリしている」
「別に家族は嫌いじゃないよ」
「そうか? なら、なんでここにいる?」
「遠くに行きたかったんだ」
「おれもそうさ。腕っぷしとか、ずる賢さとかじゃない自分の力で生きていきたいと思っている」
 ワシリーからリュックサックを受け取ったラスターがリュックサックを背負う。ワシリーが言う。
「長々とお喋りしたらハラが減ったな。ブリトーでも食うか?」
「うん」
 牛革ジャケットのポケットに手を突っ込んだワシリーが
「奢らせてくれよ。それぐらいはいいだろ?」
「お願いするよ。帰ったら続きをやらなきゃ」
「その前に寝たほうがいい」
「ちょっとだけでもいい。進めたいんだ」
「強情だな。筋金入りだ」
「もう、クラブDJは引き受けたくないな。こりごりだ。ぼくには向いてないし」
 二人は交差点を横切り、屋台に向かって歩いて行く。


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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