杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第296回: 責任を負う権利を買う金がない

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
11.24Tue

責任を負う権利を買う金がない

人権侵害やそれに加担する表現の上に芸術は成り立つかとの問いには明確に否と答える。それはリベンジポルノと大差ない。そんなつもりがあろうがなかろうが侵害された側には知ったこっちゃない。なにしろ三十年も前の話なのでうろおぼえだが、『石に泳ぐ魚』の著者はたしか「喜んでもらえると思った」云々と発言していたはずだ。彼女の作品は朝日に連載された一作しか読んでいないからなんともいえないし、わたしたちの地方での現在の活動には共感するところ大だけれど、くだんの作品については十代だった当時、親しい友人の気持すら推し量れない時点で芸術として失敗じゃないかと考えた。文学としてそもそもの、最低限のところでまちがっていると感じたのだ。DV作家井上ひさしの編集者は井上の妻に、「作品のために殴られてください」と笑顔で要求したそうだけれど、そのようにして書かれた作品に価値があるとは思えないし、最低のくそ野郎である事実までは変えられなくとも、わたしはせめて井上やその編集者のような人間にだけはなりたくない。デヴィッド・フォスター・ウォレスはDV加害者でストーカーだったし、チャールズ・ミンガスはスーズ・ロトロの回想録によれば、女性共演者に対して客の面前で、公然とひどい仕打ちをしていたらしい、おそらくは芸術の名目で。結果として残された作品の価値は疑いようもないが、しかしだからといって彼らの暴力は正当化されるのか。そしてこれから書かれ演奏される作品はどうなのか。天才が、その芸術の成長にとって必然の過程として、それを世に出すことに責任を負う立場にとって看過しがたいものを書いてきたとき、編集者はどうふるまうべきなのか。ペドフィリアであり性犯罪者であるウディ・アレンの伝記に対して、版元の社員はストライキを行い、出版を取りやめさせた。そのことに対してPENアメリカやスティーヴン・キングは言論統制につながりかねないと危惧した。どちらの立場も理解できるしどちらが正しいのかわからない。一方わが国では社会病質の殺人犯がみずからを正当化する言葉を、公共の電波がなんのためらいもなく垂れ流して世に広め、大出版社が出版して、全国の書店が取次に要求されるまま平積みにし、だれもが好奇の態度でこぞって買い求めてベストセラーに祭り上げ、被害者遺族に平然と二次加害をしつづける反面、そうした暴力に抗う言葉はまずもって電波に乗らず、出版もされない。このような状況がおかしいということだけは断言できるし、だからわざわざepubやPODやWordPressやMastdonを用い、D.I.Y.でサミズダートするのだが、かといってわたしがくそ加害者でないということにはならない。自分の言葉なら負わねばならぬ責任を負える。真似事とはいえ編集者のようにふるまう以上、わたしには寄稿者の言葉にも読者に対して責任がある。ことによると著者自身以上に。その責任にどう向き合うかと考えると、これは可能性の話で実際にいまどうこうというものではないのだが、無償で寄稿していただく厚かましさが足枷となる。これだけもらっているからいいやと思えるほどの金を支払っていれば口を出す権利も生じるが、現状はそして今後も、決してそうではない。そもそもが寄稿者にとって割に合わない労働で、いわゆるやりがい搾取の上に成立している。作家のブランディングに寄与するような、金以外の見返りが提供できているならまだしも、それさえまったくできていない。その状況でもしもわたしの人権意識に相容れない作品が寄せられたらどうするか。意見は言う。どう感じたか、どんな気持にさせられたかは伝える。そのように感じたのがなぜであるか、信じるところについて説明する。読者としてひとりの人間として、そのくらいの権利はあると考えるからだ。たとえば「女性に優しくしている」なる男性のものいいは往々にして傲慢なまなざしであり、奴隷を丁寧に扱っていると自慢するような、アンクル・トム的な媚へつらいを強要するような、上から目線の厚かましい態度にほかならないと伝える。なんなら継続していいつづける。しかしそれ以上は踏み込みようがない。議論の生じる余地さえない。ぽかんとされたり「へぇそんなふうに思うひともいるんですね」と不思議そうな顔をされたりするだけだ。もちろん原稿を断ることもできる。それはそれで運営者としてのわたしの権利だ。しかし断ればその作家の成長を阻害することになる。向き合うべきものに気づくのも作家には必要な才能で、その機会を奪う権利などわたしにはない。そもそもが、あんたそんなに偉いの、という話でもある。天才に差し出口をきく権利などわたしにはない。あるなどと思い上がればそれは幼稚な暴力であり支配欲でしかなくなる。結局のところわたしはわたしの言葉と向き合う以外の何もすべきではないのかもしれない。あるいは出版さえも。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告