うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第45回: 消えて

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.11.23

 別れ際の話になったときの男女ほど狡猾で潔くない生き物ってあるだろうか。あと何度、この感じを味わえばいいのだろう。あれはもう十三年も前の話になる。彼女の誕生日は1120日。今年もまた例年通り、1120日のあの日、彼女のことを思い出していた。それはいつも突然に、唐突に。今年は仕事中に日付を確認したときだった。「あー、あの娘の」と。
 正直言ってもう覚えていたくもない。まさか十三年も覚えているなんて。二番目の不倫彼女も、三番目のラブホ彼女も、誕生日を思い出そうと思えば思い出せる。だがべつにその日を過ごしていても、意識に上ってくることはない。どういうわけか、1120日だけが頭から離れないのである。初めての彼女だったから? いや、そんな理由が通じるなら世の男女は最初の相手に未練に溢れた人間でいっぱいになっているだろう。だがそんな話はあまり聞かない。

 期末テスト前、学校の図書館で勉強をしていたときにそれは唐突に届いた。二つ折りのケータイ電話。いつも通りの長文メールで、いつもと少し違ったのは、それが恋文であったことだった。告白された。正直顔も好みじゃないし、私は彼女を好きだったのかと言えば、どちらでもなかった。ただ周りの煽りに乗せられたのと、「彼女」というものを取得したことがなかった私は、「実は僕も好きだった」などという旨の返事をした。それも食い気味で。だが話はここで終わらない。その恋文に書かれていたのは単なる告白だけではなかったからだ。彼女は母親の信仰する宗教による規則で、子供は二十歳になるまで不順異性交遊を持ってはいけないし、キスはおろか、手を繋ぐことさえ許されていないのだという。それでも彼女は、どうしても気持ちを打ち明けずにはいられなかったと。
「告白をしたからといって、そうした男女の関係になれるわけではないから、うへくんにとってこの告白は、正直困るよね……」とも彼女は言った。私はただ、断ることができなかっただけなのかもしれない。そうまでして思い切って打ち明けた彼女の胸の告白を、「あなたのことが好きではありません」と断ることは、何を意味するか。間違いなく、彼女は傷付き、ひどく落ち込むだろう。ましてや期末テストの直前。彼女は勉強に身が入らないからこそ、悶々とした気持ちを抱えているのが嫌で吐き出したのではなかったか。ここでもし私が断れば、彼女の期末テストは散々な結果に……。そんなこんなを考えていると、私に「断る」という選択の余地はなかった。

「そもそも、付き合うってなに? 男女のそういう関係、意味がわからない」とツイートした彼女は18歳になっていた。彼女の家は転勤族で、高校一年生のときその告白を受けた数か月後、彼女はあっけなく愛知県へと引っ越していった。最後にバス停の前で握手をして、見送った。元気でね。連絡するよ。思い出といえば、学校の音楽発表会でピアノとギターと歌でセッションをしたこと。当時好きだったアーティストについて帰り道の別れ際、寒風吹きすさぶなか立ち話をし続けたこと。そして、いくつもの長文メール。いつからだろう。好きの気持ちが完全に逆転していたのは。
 彼女は遠距離になった途端、私の知らない彼女になっていった気がした。例のツイートは私がまだ、彼女と付き合っていたと思っていた矢先のつぶやきだった。
「振り回してごめんね、正直いまの私はわからないんだ。付き合うとか、そういうの。自分から告白しといてあれなんだけど……。好きって気持ちに変わりはないよ。だけどうへくんにはもっといい人いるよ。だから私とはそういう関係、もうやめよう。そもそも正式に付き合ってないんだしさ笑」
「うへくんが苦しいだけだよ」
もう既にどれだけ苦しんでいるか、彼女はわかって言っているのだろうか。告白を受けたあの日から、私は彼女の何かを受け取ったのに。それから次第に連絡を取る回数は減っていった。

 数年後、彼女は中国の大学に通いながら、休暇中に日本に出稼ぎにくるというスタイルをとっていた。聞けばちょうど、いまは愛知の実家に戻って働いている期間らしい。私は思った。このタイミングで連絡をしてきたこと。それは偶然ではないだろう。福岡にもいきたいな~、と会話のなかで漏らしていたこと。足りないのは私の勇気だけだと思った。重たがられるのは嫌だから、あくまで自然に、旅行のついでにという体裁で私はこう切り出した。
「じつは来週、名古屋行くんよね。美術館とか科学館とか行きたいとこあって。新幹線も宿ももう抑えたし、1時間でも会って話せないかな」
もちろん私のメインの目的は、彼女を一目見ること、だった。元気にしている姿を一目見られれば、旅の目的はそれでもう十分だった。
「ごめん、会う勇気がない」
彼女はいつもこう答えた。日本にいるときも、過去に何度か「会えないだろうか」と私が彼女を誘ったとき、決まって彼女はそう言った。
「いまの私は、うへくんに会っていい人間じゃないから」

「わたしは、かれと一緒にいられることが、ほんとうにしあわせです」
彼女はスタンプで顔を隠した見知らぬ男に腕を絡ませ、ベンチに座ったツーショット写真を添えて、そんなツイートをしていた。これは去年の話だ。

 会うことを許されなかった当時の私は「ぜんぜんいいよ、まあついでだったわけだし笑」とすっかり荒廃した己の胸の空洞を見て見ぬふりをし、二泊三日の目的のない旅行に出掛け、一人水族館を敢行した。そこには学生の集団やカップル、そして家族連れしかおらず、単身者の私は浮いていた。私は水槽に漂う口角に粘っこい糸を引いていた覇気のないマンボウと目が合った気がして、しばらく見つめ合っていた。三年前のあの連絡を境に、彼女とは連絡を取り合っていない。

 水族館の約束も反故にされ、ここにチケットが一枚だけある。忘れたとでも思ったか? おれは未練がましく潔くない粘着質な「男らしさ」とはかけ離れた精神の持ち主なんだよ。
「やっぱりそんなに本気じゃなかったんだ」
そんな気持ちがお前の心に過ったことは私には手に取るようにわかるし、もうこういう別れ際の(付き合ってもいないけどそんなことは百も承知の上)女の狡猾さにはうんざりなんだよ。悪者にはなりたくない。みんなそうだ。綺麗に終わろうとする。女なんてだいっきらいだ。とある記事と惚気書評を消したのは、彼女の頼みだった。おれは数秒で消した。もうなにもかも消えてしまえ。消えろ。消えろ、消えろ。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
amazon