イシュマエル・ノヴォーク

ペリフェラル・ボディーズ

第6話: トラック・メイカー

書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.11.14

 ラスターとワシリーは二人揃って狭いガラス張りのブースを見つめているブースの中でアルトサックスを吹いているのはジャズ・プレイヤーのイツホク・フェルドマンラスターがフェルドマンと知り合ったのは初めてのガールフレンドであるディルシーとのデート中のことだったショッピングモールのフードコートで飲む卵白を泡立てたような野菜ジュース天井から垂れ下がったシャンデリア風照明安価で短命な衣料品店のロゴ隣に腰掛ける中年女性から漂う甘ったるい干し草の上にかけた猫の小便のような臭いラスターはこの臭いを知っている自身は家族全員から反対されたもの顔を顰めたラスターがディルシーを見つめる首筋耳たぶ胸元鎖骨の順に
 アナウンスが流れ毎週末恒例のビッグバンドの演奏がはじまった
 ドラムロールの次にサミー・ネスティコ風のアレンジ一人一二小節のソロは危なげなく引き継がれて展開されるアルトサックスの老人にバトンが渡されると立ち上がった老人が吹きはじめる

 綿花畑の隅っこに立てられた小屋の中でアパラチア山脈の麓でルイジアナの湿地でも奏でられた青
 孤独やるせなさ教義奴隷としての心得は都会的な代替和音
 まわりの奏者が怪訝な顔で老人を見ている

 演奏が終わるとラスターはディルシーを置いて老人を追った老人は駐車場で黒のセダンに寄りかかりながら紙巻き煙草を吸っていた老人が
何の用だ?
ぼくはラスターラスター・ライカーガス
フェルドマンだ
 フェルドマンは短く刈った髪を左右に振るラスターが凄い演奏だったね
ジャズが好きなのか?
詳しくはないけどYOU TUBEで聴いたりするよ
 フェルドマンがそうかと言ってポケットからとり出した携帯灰皿で紙巻煙草を揉み消した
 フェルドマンがセダンに乗り込もうとするとラスターが言う
ぼくトラック・メイカーなんだ
自動車を製造しているのか? その齢で大したもんだ
ううん曲を作るほう
 フェルドマンは緩やかなカーブを描いた後頭部を撫でると胸ポケットから名刺をとり出して
縁があったら呼んでくれ
 名刺にはイツホク・フェルドマンという名前と固定電話の番号がタイプされていた
 フートコードに戻るとディルシーの姿は既になく携帯電話が罵りのメッセージを受信していた

 ラスターがアパートに帰るとルームメイトのワシリー・スタフスキーが居間で牛乳を飲んでいた牛乳の紙パックの側面にはマジックでと書いてあるラスターがぼくのだよと言うとワシリーがテーブルの上に置いた一ドル札を指差し買った
一ドル二五セントだよ
 ワシリーは首を横にそれから紙パックを振り
明日になれば廃棄処分でしかも飲みかけお釣りが欲しいぐらいだ大体こんなバカみたいに高い牛乳
身体にいいって書いてあったからね
たしかに身体には良さそうだでもサイフに悪い
 ラスターがポケットに一ドル札を突っ込むワシリーが
今日は帰って来ないと思った
そう?
うまくいかなったわけだどちらにせようまくいくはずがない
どうしてそう思うの?
 手をヒラつかせたワシリーが
そりゃあ一番の恋人がラップトップの中にいるからさ
 ラスターは椅子に腰掛け面白い話があるんだ聞いてくれるかい?
その様子だと嫌だと言っても喋るつもりだろ? さぁ聞かせてくれよ
うんじゃあフェルドマンっていうサックス・プレイヤーに会ったんだ
へぇそれで?
それだけ
 額を叩いたワシリーが
助言するつもりはさらさらないがあったことを簡潔に言われてもな面白いものを作ろうっていう人間のすることじゃないぞ?
ごめん
謝るようなことじゃないそれでそのフェルドマンっていうのは?
 ラスターは名刺をとり出してワシリーに見せたワシリーがユダヤ系みたいだな
かもねぼくはあんまり人種について考えないようにしているんだ
それはおれもだよおれはロシア系だけどそれらしい振舞いなんてからっきしさ強い酒を飲むわけでもなければスパイでもないお前はアフロ小銭を渡されたら笑顔を振りまいてピアノを弾いたりしない
そうだねピアノは弾けないし
目に見えない靄みたいなものが漂っているその中にいると相手のことは見えなくて靄しか見えない
バイアス?
 手を叩いたワシリーがそれだ
 ワシリーは飲み終えて空になった牛乳パックをゴミ箱に放り投げ
その調子で突っ走るといいレコーディングしたくなったら言ってくれ知り合いがスタジオを安く使わせてくれるんだ

 翌朝ラスターは図書館に足を運んで著作権の切れたレコードを山ほど借りたうず高く積んだレコードにペシャンコにされそうになりながらアパートに戻りレコード・プレイヤーを持っていないことを思い出したので大慌てでワシリーから機材を借りた

 昔々の歓声フィドルのピチカートボタン式アコーディオンの物悲しいソロ洗濯板をかき鳴らしたリズムティンパニのロール先住民たちのポリフォニー経年劣化で聞き取れない誰かの演説行進する足音破裂音手拍子と讃歌ラスターはこれらの土台になるべきベースをパッドで叩いて刻んでいく
 
 夜になって土台を作り終えたラスターは言うべきことを予行演習してから携帯電話を握り番号を押した
もしもし?
えぇっとぼくはラスター先日ショッピングモールで話した
作曲家のやつだな仕事の話か?
はい吹き込みを依頼したくて
日時と場所金額を言ってくれ
 ラスターが予行演習通りに言うとフェルドマンがわかったと言って電話を切った

 ラスターとワシリーの二人は狭いガラス張りのブースを見つめているブースの中でアルトサックスを吹いているのはジャズ・プレイヤーのイツホク・フェルドマンワシリーが調べた所によるとフェルドマンは一九五〇年代後半からニューヨークを拠点に活動しており主にユダヤ・コミュニティでの演奏で生計を立てているコンデンスマイクに向かってフェルドマンが音を流してくれ
 トラックを聴いたフェルドマンはコードは一つだけかこういう演奏が流行った一晩中同じスケールで吹くんだ
 細く小さなマイクに向かってラスターが合図してくれたらすぐに始められるよ
 フェルドマンが右手を挙げるとラスターがノートパソコンのエンターキーを押した

 歓声フィドルのピチカートボタン式アコーディオンのグリッサンド洗濯板をかき鳴らした音ティンパニのロール先住民たちのポリフォニー誰かの演説軍靴の足音破裂音手拍子と讃歌マウスピースを口にくわえたフェルドマンが息を吹き込む
 半音上からはじまるドミナントの動きは連続し連結する一小節ごとに繰り返される長三度の転調鋭角的な跳躍が身も心も揺さぶるジョン・コルトレーンが発展させた難攻不落の城壁はアルトサックスの音に侵攻されジェリコの壁を飛び越える音はシーツの上を滑る肢体のようにヘビのようにくねりながら前進する
ラスターが感心しきった顔で
凄いねひょっとして彼は凄いプレイヤーだったのかな?
いいプレイヤーだってことは誰が聴いてもわかるまぁ有名であるかは別だけどなとはいえいい演奏だ

 五分ほどの演奏を終えたフェルドマンがガラス張りのブースから出てくると短く刈った頭を一撫でしてから紙コップに注がれたコーヒーを飲み
もう一回やるか?
 ヘッドフォンで演奏を聴き返していたラスターは音量を下げて立ち上がって
ありがとう凄くいい演奏だったよ
もういいのか?
うん
 首を捻ったフェルドマンがそうかと言ってうなずくと金を受け取り上着のポケットにいれたフェルドマンはサックスをケースにしまい終えると
また何かあったら呼んでくれと言って握手を交わした

 ラスターとワシリーはアパートに戻るなりすぐに音源を聴き返し肘で脇腹を突きながら笑った
こいつはいいでも一つ欠けているものがある
何?
言葉だよトラックの中に少しは入っているがそれじゃあ足りないもっと前にあるものが必要だ
歌手を探すの?
トラックに入っていた演説テープがあっただろう? あれを変調して繋ぎ合わせてみようどうせ著作権者は墓の中だ問題ない
うまくいくかな?
ラス物事にはうまくいかないことなんかない作ったものやらかしたことを自分が気に入るか気に入らないかだけだ自分が気に入るようなものを作ればいいそうすればうまくいく
とりあえずやってみるよ
その意気だ

 昼なき昼夜なき夜

 自室で作業を終えたラスターがインターネット上の投稿サイトを開くマウスをスクロールし左クリック数秒後にアップロード完了を伝えるメッセージが浮かび上がりラスターは安堵の溜息をついた


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
amazon