うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第44回: 届かない祖母の手

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.11.14

 父方の祖母は嫌われていた。私と私の姉と母によって。私の母はいつも子供たちに吹聴していた。
「年甲斐もなく派手にしてから」
「マニキュアが剥がれて料理に入るのを見た」
「あんまり食べなさんなよ。剥がれたマニキュアが混入してるから」
本当か嘘かは確かめようがない。そしてそれが悪いことなのかどうかはわからない。マニキュアが少し剥がれたくらいで、それが胃袋に入ったからといって、なにが問題になるのか私にはよくわからなかった。
 祖母と台所に並んで立ち、作業をしていた母が陰で子供たちにそう言った。それでも私は滅多に家ではお目にかかれない天ぷらを前にして、内心では舌なめずりをしていた。しかし母の手前、美味しそうに天ぷらを頬張るとその表情がかき曇ることを恐れて、私は毒の混入を訝りながら飲み下すような仕草と、せっかく孫のために振る舞った手料理を嫌々食している姿を見たら、祖母はどんな気持ちになるだろうかと考え、板挟みの感情の狭間で揺れながらも、懸命にバランスをとっていた。それぞれがそれぞれの思惑で食卓を囲みながら。幸い祖母は鈍感な人で、相手の表情から何かを察するという能力が著しく低いように見えた。それは母が常に祖母に対して隠しきれていない嫌悪感を、祖母自身は感じ取れていないシーンをよく目にしたし、そのたびにこちらが肝を冷やされる格好になった。
「もっとこう振る舞えばいいのに……」
真っ赤なマニキュアがお気に入りで、白粉はいつも濃かった。お洒落のベクトルが母とはまるで真逆だったことも、祖母のことが母のお気に召さない理由のひとつだったのかもしれない。
「えっ、お義母さんこれ、賞味期限だいぶ過ぎてますよ?」
数日過ぎた牛乳パックの中身と匂いを確認しながらそのことを祖母に伝えても「あらそう?」と嫌味でもなく素のままにまったく意に介さずそう答えた。そんなわけで、母への配慮8割、祖母への配慮2割といった塩梅で、私は天ぷらを食す演技を間に合わせた。天ぷらの味がどうだったかなど覚えていない。
「衣が多い」「油ものばっか」
そんな言葉を陰で吐いていた母の台詞のほうが鮮明に記憶に残っている。だからといって、母の吹聴が祖母に対する私の好き嫌いすべてに影響したかというとそんなことはない。たしかに祖母のそういう愚鈍さや大雑把さは、母の吹聴がなくとも不快を感じることは多々あったし、祖母のことが好きだったかと問われると、首を縦に振ることは難しい。

 それでも私は、祖母の家へ行くこと自体は嫌いじゃなかった。むしろ母方の実家より気に入っていたとさえいえる。寝泊りする十六畳はあろうかという広い座敷と、そこから眺める広い窓越しの庭の植え込みの景色が好きだった。祖母は生け花の先生でもあった。縁側でお絵描きをするのびのびとした時間の流れの体験は、その瞬間だけ、間違いなく私の精神を落ち着かせた。
 母が父と離婚してから子供たちは母親のもとに残ることになった。それ以来、祖母に会ったのは2回を数えない。あちらの家はあちらの家で偏狭で屈折した精神を持つ二人の息子が招き入れた災難によって、祖母も相当苦しんだようだ。最期は独り、狭い老人ホームのようなところに追いやられ、鬱と認知症を患ったまま亡くなった。母と姉は宗教の教義に背くことになるかもしれない罰を恐れ、体裁だけで何度かそんな憔悴した祖母のもとへ通ったようだ。私はそんなところに赴く勇気はなかった。いや、もう関心がなかったといっていい。気にはなっていても、必ず付きまとう母の絡まるような視線が面倒で、行動を起こす気にはなれなかったのだ。
「汚くて狭い部屋だった。こんなところに追いやるなんて、ひどい」と母は言っていたが、私は母が幼い子供たちに祖母に懐かないよう仕向けていたことは忘れていない。
 幼い頃からいつも祖母は私に期待していた。将来は立派な会社に勤めて、立派な大人になり、立派な立派になることを夢想していたようだ。時折母に連絡を取ってきた際にも、聞けば私のことばかり尋ねていたそうだ。ごめんね、ばあちゃん。おれは立派な人間にはなれなかったし、どちらかというと、低俗じゃないほうの最低な人間に育ったよ。

「葬儀に列席するのなら、俺は行かない」
私の父は父の兄を通じて、そんな子供じみた理由を母に寄越してきた。母は当然憤っていた。私は「行かない口実ができて、よかったじゃん」と思った。自分の母親の葬式に、元婚約者が現れるなら行かない、などと言えるその子供より幼稚なその神経に、思いがけず「父らしさ」を感じた。相変わらずだなと十年以上前のことを思い出したりした。
 謝りたい気持ちはどこから来ているんだろう。抑圧された子供の頃の精神への懺悔か。それを克服できもせず、祖母の「ただ顔が見たい」という要望さえ無下にした私の精神的成長の停滞に対する懺悔なのか。あるいはすべて、母親に対する憎しみとイコールなのかもしれない。
 時間はもう戻らない。私はすべての祖父母を失った。そのいずれのときも、私はガキだった。ガキのままだった。だからといって残る母親の死など、私にとって問題ではない。むしろ当然の報いなのではないかとさえ思う。家族とは一体、なんなのであろうか。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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