杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第295回: 手紙

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
11.10Tue

手紙

ハリウッド版『ゴジラ』は、本多猪四郎の1954年版と日本文化に対する敬意が感じられて、同時期に日本人が撮ったものより好ましく感じられました(「文化の盗用」との批判を封じるためかと思います)。福島で起きたことへの視点が、日本人の撮ったほうが明確に「よその土地で起きたこと」として描かれていた(たしか台詞にもその旨の言及がありました)のに対して、遠く離れた土地に暮らす米国人の撮ったもののほうが「わたしたちの問題」として感じられたのは奇妙なことです。冷戦の終結に関して芸術が果たした役割についてよく考えます。自由な言葉が禁じられた世界で、ヴァーツラフ・ハヴェルはこっそり所有していたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのレコードを仲間と聴いていたそうです。彼らはルー・リードの詩集を地下出版(サミズダート)してまわし読みしていました。そこに書かれていることは彼らを勇気づけました。『巨匠とマルガリータ』もそのように読まれた本です。わたしはそうしたものの力を信じています。それを「宗教的な心情」と呼ぶこともできるでしょう。あらゆる食品が毒物に汚染されているとか、手をかざすと健康になるとかいったことを信じている方々がいます。それは制度としての宗教ですが、一方でそうした枠組を疑う力としての宗教もあります。イエスがやったのもそのようなことだったと考えております。売春婦やハンセン病患者とつきあうのは、当時としては相当に反抗的だったのではないでしょうか。「ロックは死んだ」のような物言いはレニー・クラヴィッツの時代から大きらいでした。なんの意味もない慣用句だと思います。日本の出版においてジャンルとしてのSFが死滅した、というのはそれとは異なります。90年代後半のある時期、文字通り出版されなくなったのです。そしてそのことにオウムや震災といった時代的なものは影響しています(数年前にバズった中川いさみの漫画にも、それで仕事が減った旨の言及がありました)。わたしが編集者たちにいわれたことは、単に下手くそな原稿を断るのに都合がよかっただけなのでしょうが……。その後SFジャンルは、ライトノベルやゲーム・アニメの延長上として再び出版されるようになりました。かつてSFは「正しいとされているもの」を異なった視点から捉えなおす装置でした。いまは別な視点を排除し、「正しいとされているもの」を強化するだけに感じられます。かつてわたしとともにあった言葉はそこにはありません。出版社を経ない出版を選んだのはそれが大きな理由です。2001年9月以降わたしはずっとテロリズムについて書いています。直接に言及したのはピンチョンの影響を強く受けた『Pの刺激』です。モスクワ劇場占拠事件やベスラン学校占拠事件にもおなじことを感じ、そのことは『悪魔とドライヴ』と『ぼっちの帝国』に書きました。『逆さの月』を書いていたときはOddiseeのYou Grew Upをくりかえし聴いていました。貧しい白人と裕福な黒人の親友どうしが成長するにつれて分断される話です。こうしたことは日本でも身近に起きています。偏在していて見えにくいだけです。米国の分断もひとごとではありません。かつて高学歴の若者がオウムに吸い寄せられたのもそのようなことだったのかもしれませんが、いまはもっと相互のかかわりが断たれ、ばらばらに偏在しているようです。生還を前提としない自爆テロは日本人が世界に広めました。車で通行者へ突っ込むテロはわたしの街から世界へ広がりました。アニメ制作会社への放火テロは氷河期世代の自称作家志望者が犯人でした。ガソリンはどこでも買えますし、それはアシッドアタックでもおなじです。こうしたことについてずっと考えています。おなじ状況に追い詰められても暴力に引き寄せられないひともいます。むしろそのほうが多いはずです。まともな人間はそんなことをしません。自己愛や対人コントロール欲求の強すぎる人間が、自己肯定感とのつりあいをとるために、そのようなことをするのではないか。そうした自己愛が、他者によって与えられた枠組を都合よく必要とするのではないか(社会病質であるわたしの父にとってその枠組とは「教育」でした)。現時点ではそのように考えております。神は、ほんとうにひとりであることの拠り所ともなりますし(十字架にかかったとき、イエスはほんとうにひとりでした)、ひとりになるだけの強さを持たぬひとにとっては、安易で虫のいい正当化にも使われます。『銀河鉄道の夜』の初期稿に描かれる緑色の切符は、「どこまでもひとりで歩ける」という意味で前者のように思えますが(ジョバンニ=ヨハネは作家と活版工の守護聖人です)、賢治が信仰していた宗教が侵略戦争に与えた影響を思うと、どうもそう簡単にはいいきれぬような、複雑な気持になります。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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