うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第43回: 私がオジさんになっても

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.11.08

 体が不調に陥り普段どおりに肉体の自由が利かなくなったとき、考えることがある。それは歳を取っていずれ訪れるであろう不定愁訴。つねに付き纏う体の不調に対して、私はそれらと上手く付き合っていくことができるのだろうかということだ。私は人一倍痛みに敏感で、微弱な不快感に囚われたが最後、もう思考の大半を占めるのは「苦しい」というその一点のみで、健常であれば取り組めたであろうことを次々に恨めしく思い浮かべては、ただ床で天井の白壁を眺め、指を咥えながら嘆息し続けるのがオチなのである。私は中学の時分から心身の不調が首に出るというおよそ腰痛ほどには社会的地位を認められていない持病に悩まされている。昔ほど痛みは酷くはなく、その症状に見舞われるのも一年に一度あるかないかといった感じで緩和してきてはいる。……とはいうものの、痛みに敏い私は、裁縫の針が1~2ミリほど指先に「チクリ」としただけで、もう家から一歩も出られない重病人のごとく寝込んでしまうのである。もし痛みや苦しみというものを相対化できる装置があって、それで計測したならば、一般的な人であれば80の痛みで会社を欠勤するところを、私は30の痛みで欠勤するのである。(このことは、これまで私が正社員勤めを避け続けていた理由の一つでもあるのかもしれない)
 寝込む以外に考えられないほどの苦しみであれば、ただ「睡眠をとる」「横になる」「なにもしない」ということは最優先事項となり、それらを行うことは肉体の回復を促すための必須の時間であり、有意な時間といえる。だが、30の痛みで欠勤の連絡を終えたこのときの私はといえば、欠勤連絡のそわそわと落ち着かない感覚とその後の安堵が去来してから数分経つと「私はいま、有意な時間を過ごせていない。無駄な時間を過ごしている」という想いに囚われはじめる。たしかに若いうちはその感覚でも対処できるかもしれない。治癒すればまたその時間を取り返そうと物事に取り組めるからだ。だがしかしこの考え方の危険なところは、その思考はいずれ「腐る」ということである。なぜなら年老いてしまえば、肉体の不調から完全に回復することなど、おそらくなくなるからだ。
 プロスポーツ選手などは、つねに体のどこかに万年痛みを抱えているという。痛みを抱えていない絶好調の選手など存在しないようだ。この話を聞いたとき、私は「ひっ」と想像しただけでお腹が痛くなってトイレに駆け込んだ。そしてもっと厄介なのが、この「無駄な時間を過ごしている」という感覚はいずれ年老いていく自分に限らず、すでにお歳を召された老人に対しても、無意識にその矛先が向いているのかもしれないということである。
 私の敬愛する吉村萬壱(敬称略)の『生きていくうえで、かけがえのないこと』というエッセイのなかにある「老いる」というテーマの中に、こんなエピソードがある。

ある日歩道を歩いていると、向こうから三人の女子高生が横並びになってやってきた。当然道を譲ってもらえると思っていたが、車道に降りて道を譲ったのは私の方だった。彼女達には私のような初老の男は風景に過ぎず、それどころか見えてすらいないのだと気付いた。老いるということは、出来ていたことが出来なくなるということであり、社会の役に立たなくなるということである。(中略)しかし、生産力がなく、何の役にも立たない人間を排除しようとする社会が恐ろしい社会であることは、歴史が証明している。

誰しもがいずれそちら側に回る可能性を秘めているというのに、彼女らはまだそれを知らないのだ。生きていれば、それだけで加害者になりうるのがこの人類社会といえど、これほど身近にも悲しい現実があるのだということを知ると、気持ちが塞ぐ。いや、そもそもこうした「役に立っている」「無駄な時間を過ごしている」という認識は、他人はもちろん年老いた自分でなくとも、現在の自分さえ否定し傷付けかねない危うい思想なのだ。明日半身不随になったら。私は自分を責めるだろう。「役に立たない」という理由で。存在そのものを否定しにかかるだろう。だがその心の余裕のなさは、五体満足の今現在、そのまま見知らぬ誰かへと矛先が向けられてもいるということだ。
 どのような自分になろうとも、たとえ明日から社会の役に立てなくなろうとも、存在しているというその一点のみで自らを認めてあげられない限り、他人に寛容になどなれる気がしない。痛みに過敏でへなちょこな自分も、許してあげられるようになりたいものだ。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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