杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第290回: 世界を出し抜く

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
10.19Mon

世界を出し抜く

ソーシャルメディアでもモールでも国家でも、なんでユーザは見せられたものを正しいと思いこむのだろう。違う視点を提供するとよってたかって叩かれる。戦前戦中の日本と変わりない。そうした社会から排除されるのはマーケットによる自然淘汰なんかではありえない。そんな民主的で自然なものではない。どうしてそれがわからないんだろう。だれだって排除される可能性はあるのに。ファシズムを肯定するようなものだ。あるいは差別を。ただ、そういう権力による「淘汰」に抗うことは確かに現実には不可能だろうとも思う。抗う表現は非表示にされるからだ。ないことにされる。権力による「淘汰」とはそういうことだ。権力の側につく表現をするのか、抗うのか。どちらの側で書くのか。人格OverDriveは明確に抗う側を意図している。ソーシャルメディアにせよモールにせよ意図があって何をどう見せるか決めている、ということを皮膚感覚として理解できるひととできないひとがいるのかもしれない。できないひとにとってみれば自分が空気のように当然と思っていることを疑われたら、自分が依って立つ足場を否定されたことになり、侮辱されたように感じるのかもしれない。腹を立て、一方的に殴っていい相手と認定するのだろう。それは権力に都合のいい側の思考なのでだれもが加担する。その暴力は社会的に正しいものとされる。そちら側にいない者はどんなに侮辱されてもアンクル・トムさながらに作り笑いでやり過ごすことを強要される。抗えば一方的に殴っていい相手認定され袋叩きにされる。アンクル・トム扱いからの、のび太のくせに生意気だ、一方的に殴ってもいいやつ認定。作家にせよ読者にせよ編集者にせよ、読書や出版という営みにおける主体でなければならない。そう考えたくないひとたち、権力に与えられたものをただ享受する立場でいたいひとたちにとって、主体的であろうとするひとたちは都合が悪い。だから一方的に殴る。あらかじめ嘲笑の対象として位置づけられており、逸脱は許されない。薄笑いを浮かべて侮蔑を受け入れている分には許されるが、抗うと袋叩きに遭う。だからといってそのような扱いを甘んじて受け入れねばならない理屈はない。そういう低い次元に交わればこちらまでくだらなくなる。世界を出し抜かねばならない。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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