杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第288回: タオルとレモン

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
10.18Sun

タオルとレモン

わたしはサイコパスの息子としてサイコパスの遺伝子を受け継ぎサイコパスに虐待されて育ったのだが、病識はあるし共感能力もそれなりの倫理観もあるのでサイコパスそのものではない。が、某中央集権の資本主義サービスを覗き見ると、運営によって優先表示される投稿のほぼすべてが……なんというか特有の思考であることに驚かされる。まぁ日本版はそういう企業が運営しているからそれはそうなのだろうけれど。昭和の作家について調べるとみんな若い頃からの知り合いで、同人誌をやっていたりそこから見出されたりしているので、つい当時の才能はすげえなと思わされがちなのだけれど、そうではなくて一部のひとたちの活動がそのまま権威づけられただけなんだよな、ほかにやるやつが少なかったかなんかで。逆にいえばいまから仲間内ではじめた動きを世間に受け入れさせていけばあたかもそれが正しかったかのようになるわけだ。ただ当時といまとではメディアのありようが異なる。いまはゲーム的な才覚でビッグテックの表示アルゴリズムに最適化されていなければならない。五年前は瀬戸内レモンとか今治タオルみたいなブランドをつくる話をしていたけれど結局だれも理解しなかった。直後にKUがはじまって単品売りの時代ではなくなったのでいまとなってはもうどうでもいい話だけれど。話したうちの百分の一くらいの、全体からすればわりとどうでもいい部分だけをとりあげて、理解したような顔をされると心底がっかりする。たぶんいま書いていることも三十年くらいしないとだれも理解しないし、理解したところでわたしが話していたことと結びつけるやつはだれひとりいない。それにその頃にはわたしはもうこの世にはいない。以前、Facebook経由で知って購入した商品は満足度が高いと書いたけれど、ビッグテックの関連付けサジェストは積極的に調教の手を入れてやらなければすぐ濁る。Facebookはしばらく放置したらゴミみたいな広告表示をするようになった。googleの関連サービスのサジェストは依存度が高すぎるおかげでまだましだ。逆にいえば、われわれの生活に完全に浸透しているという点でgoogleがいちばん怖ろしい。われわれはもう彼らを疑うことができない。体内を巡る酸素や血液を疑うことができないように。いまのまま嗜好をないがしろにしつづけていたらAmazonはたぶん三十年以内に凋落する。AppleやFacebookも安泰とはかぎらない。でもgoogleはよくも悪くも、というかおそらく悪いほうで今後もわれわれの生活の基盤として沈着する。Microsoftはビジネスの基盤として定着したから残る。ただビジネスというものの性質上これより悪くはならないと思う。だれだって働くのはきらいだろ。いやだと思いながら使いつづける分には安全なんだよ。MicrosoftもAdobeもまったく脅威には感じない。道具としての分をわきまえているかに感じる。それらはわれわれの認知の枠組を変容させない。われわれの認知は彼らに依存しない。ほんとは文学やロックンロールが変容させなきゃいけないのだけれど、ひとたび権威と化して認知の枠組を決定づける立場になった企業は、その安定を脅かすものは排除するだろうね。文学やロックンロールは表示アルゴリズムに淘汰されるか、抗うか。D.I.Y.の出版はいまのところAmazonのインフラに依存しているけれど、幸いにもそれが本質になるところまでは行っていない。モールに焚書されてもepubとWordPressさえあれば、もっと極端なことをいえば最低限HTMLとCSSがあればどうにかなる。WordPressもgoogle八分にあえば存在しないも同じになる、それはそうなんだけれど、でもわれわれにはActivityPubがある。いずれ本はMastodonの検索窓で口づてに見出されるようになる。恐怖政治下の地下出版のように。なんのためにわたしがオール・トゥモロウズ・パーティーズをやっているか、人格OverDriveをActivityPub対応させたかといえば、そういうことだ。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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