うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第40回: 恋心ダイナマイト

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.10.17

 就職活動さえままならないのに、私は大学生のSちゃんと寝た。この時期になにを悠長にマッチングアプリなんてやってるいるのだ、と言われても、疼くものは疼くのだから仕方がない。それは性欲なのかわからない。私の自慰は、快楽というよりストレスの発散という側面があるように思う。だからセックスもその延長線上と考えられるかもしれない。
 彼女に好きな作家を尋ねると川上未映子や金原ひとみという答えが返ってきた。連絡先を交換する前に、彼女が好きだという『すべて真夜中の恋人たち』を即座に買って3日で読んだ。これまでの私であれば、到底受け入れられない歯の浮くようなタイトルから先入観を持った状態で読もうとはせず、仮に手に取って読んだとしても、訝りながら粗を探すばかりで、読んだことを後悔する類の本だったかもしれない。だが、私が大人になったからなのか、あるいは彼女が読み、そこから彼女が何を感じ取ったのか、と純粋に興味が湧いたからなのか、わからない。しかしそこには自然と粗を探すよりも何かしらを掬える部分にアンテナを張っている自分がいた。
 当初マッチングアプリを始めた理由は真面目な恋人探しのつもりだった。そしてそのつもりでSちゃんともLINEの連絡先を交換した。しかし彼女の目的は違った。LINEでのやり取りを何往復かしたあとで、彼女は唐突にこのように告げた。
「過去に沼ってた人と別れちゃって、それで別の沼れる人を探してたんです。うへさんは真面目に恋人探されてる感じですよね。いままでお話し付き合っていただけてうれしかったです」
 それに対して私は今までより返信スピードを急速に上げて、「いや、でもなんていうか、もう長らくしてないから、恋人というか、人肌恋しいというか。だからその、相手になってくれませんか?」そんな間抜けな返事をしたと思う。それから1日〜2日が経って「とりあえず、お話してみたいです」という返事をもらえた。これはおそらくOKという意味だろう。

 私は彼女にこちらのサイトにエッセイを寄稿している旨を伝えていた。というのも、彼女は文芸サークルに所属しており、小説を書いては仲間内で批評し合っているということを訊いたからだ。(いや、正確にはこれまでマッチングアプリを介してやり取りをしてきた4人のうち彼女を含め3人の女性に教えている)その話の流れから私もここに書いているよとURLを送ったわけだ。ようするに彼女もこの記事を読んでいる可能性はある。私がまだ彼女に興味を持たれていればの話だが。おもえば最初の彼女の冷静な感想が、私の心に何かしらの影響を与えたように思う。
 彼女はまず、それらの文章を読んで「捻くれてますね」と言った。それを前置きした上で、それが味になっていて面白くていくつか読んでしまったと言っていた。私はその飾らない感想を言われたとき、体に電流が走ったような気がした。私は、「捻くれていたのか……」と。自分でわかっていたつもりだったが、それはもはや形骸化した概念であって、名前の一部であるかのように無意識の領域に追いやられていた。それが彼女に指摘されたことで、そこに「在る」ことを認識させられ、私は「捻くれている」のだ、ということを再度実感させられたのであった。私の心が動かされたのはこのときからだったかもしれない。彼女のプロフィール写真は俯いていてぼやけたものだったし、(それでも可愛らしい童顔だということはなんとなく想像ができた)面食いであるはずの私が、はっきりとした顔の造形を確かめるという手順をすっ飛ばして純粋に「もっと彼女のことを知りたい」と思ったことに偽りはない。21とは思えぬ落ち着き払った文面。返信に対する受け答え。マイペースな返信速度。「好意」という萌芽を自分でも認識できたのは、本当にここ10年来のことであった。
 私は正常位と後背位と騎乗位くらいしか知らないし、早漏で痩身で、セックスに自信がない。「おれってさ、自分が気持ちよくなるより、相手が気持ちよくなるの見てるほうが気持ちいいんだよね」などと涼しい顔で吐かしたが、その実それは精一杯の虚勢で、いざ挿入となれば入ったかどうか、その一点に気を取られて、彼女への配慮がおざなりになるという始末。私は行為となると、相手の体も自分の体も直視することができない。見るという行為への罪悪や、己の劣悪な姿が相手の目に晒されているということに耐えきれないのだ。
 ほんとうは、手を繋ぎたかった。ホテルをあとにしたとき。いや、正直まだあのときは迷っていた。自分のあの告白は、果たしてなんだったのかと。咄嗟に口を突いて出た出任せではなかったのかと。

「男の人は、こうやって都合よく寝れる相手がいたら、ラッキーですよね」
「いや、そういう意味じゃないよ、おれはその……付き合ってほしいな、って思って」
「私はてっきり1回きりで終わりなのかなって思ってました。エッセイとか読んでると」
「ちがうよ、そのなんていうか、もっとSちゃんのこと知りたいと思ったし、だから付き合ってくれない?」
 アンサーはもらえなかった。それは当然だろう。やる前の男はベッドの上で愛も囁やけば平気で嘘もつく。だからこそ当日の私はまだ自分の告白に対して、いまひとつ確信が持てなかったのだ。しかしこうして1日が経ち、2日経ち、3日が経って、一週間以上経った冷めた頭で考えてみても彼女のひとつひとつの言動が、私の朧な記憶の中で、明滅を繰り返しながら発光している。お気に入りだという韓国で買った可愛いワンポイントのマークが入ったオーバーサイズのスウェットから覗く指先。風に煽られて崩れる前髪を必死に抑えようとする仕草。話しているときの目線。茶色いカラーコンタクトの奥の瞳。ツボに入ったときの笑った顔。
 これまでの私は、礼儀として相手のことを尋ねていた。こちらが訊かれたぶんだけ、礼儀として尋ね返す。だが彼女の場合は出会ったときから違うのだ。純粋な欲求。知りたいから、尋ねるという基本的なこと。自分に言い聞かせるまでもなく、自然と話を聞き出している私がいた。
 体を合わせたとき、ますます虜になった。体が先か心が先か。そんなこと私にはわからない。昔誰かが「体から始まる関係なんて、長くは続かない」と言った。だがそれは、男が満足して女を捨てるからではないだろうか。どこに行き着くかなどわからない。ただ私は純粋に、彼女に対するこの好奇心と興味の糸を、できうる事なら手繰っていきたいと思った。ひとまず彼女がとくに好きだといった、金原ひとみの『アッシュベイビー』を購入し、すぐに読み終えた。セックスで始まる恋もあるんじゃないかと私は思う。時代に沿ってはいないだろう。だからといってそれを不健全だとは私は思わない。

 彼女からは4日間連絡がない。どう転ぶかわからない。と言いつつ、彼女も見ているかもしれないここに言葉を綴るのはフェアじゃないなと思う。思うけれども、この文章も本当は出会って3日目には書き終えていた。もちろん時系列を書き換えはしたが、その大部分は手を加えていない。本当はどこにも載せる気はなかったのだが、連絡の取れない不安から我慢ができず、こうして姑息にも記事としてアップしたというわけだ。これが恋心というやつなのか。だがその不安さえ、スパイスになっているような気はする。簡単には振り向かない彼女に惚れているという側面もきっとあるからだ。(もっというとセフレとしてしか見做されておらず、「恋人関係」を望む鬱陶しいやつに引っ掛かったな、と思われている可能性だってないとは言えない)

 読者諸君。じつは私はフリーターを卒業することになった。来週から正社員として働くことが決まったからだ。その報告も、自分の口から彼女にしたいと思う。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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