ペリフェラル・ボディーズ
第4話: デッドマンズ・ナイト~サタデー・ナイト・サタナイト・ショー
モーテルでシャワーを浴びたデッドマンはぬるま湯を洗顔タオルで拭き取ってベッドに腰掛けた。 デッドマンが自身を 〈死んだ男〉 と名乗るようになったのは三年前に事業に失敗して債権者に追われる日々から逃れるために自動車に乗り込んだ日から。 デッドマンは死に場所を探している。 本当の所、 場所はどうでもよかったが、 三年という月日を確保する必要がある。 なぜなら、 失踪する直前に支払いを終えた生命保険、 自殺による保険金支払い免除期間をクリアする必要があるから。
絶対に三年生きなくてはならなかった。 そうすれば、 妻のリースと息子のグラントに保険金を残すことができる。
デッドマンはささやかな贅沢、 もしくは祝杯である缶ビールの蓋を開けて一口飲んだが美味いとは感じられなかった。 元々、 デッドマンには酒を飲む習慣がなく、 飲みたいと思うことすらなかった。 彼にとって酒は現実逃避であり、 金の無駄遣いに他ならなかった。
携帯電話を開いて録画モードを起動する。 動画ならば五分ほど録画することができる。 かつては困難なプレゼンテーションを得意としていたデッドマンにとって、 決まった時間を最大限に活用することは造作もない。 デッドマンは脳内で入念なリハーサルを繰り返す。
社会への憎悪、 歪んだ構造への正義の鉄槌、 そして家族への愛。
デッドマンはカメラに時計が映り込むように配慮する。 携帯電話の時計機能だけでは意地悪な保険調査員によって支払いがなされないことがあることを知っているから。
ベッドに転がる拳銃、 スミス&ウェッソンM三六〇を握る。 典型的なホワイトカラーであるデッドマンは拳銃を撃ったことがない。 これは失踪する何年か前に護身用にとリースに買わされたものだ。 デッドマンはこめかみに突き付けた銃口と引き金を引く自身の姿、 その一部始終が映り込んだ携帯電話を脳内でリハーサルすることができるものの、 どうやって拳銃を撃ったらいいのかわからないでいる。
残りのビールを一口で飲み干したデッドマンは拳銃を入念に触り、 セーフティを外した。 デッドマンが微笑を浮かべて携帯電話に手を伸ばす。 震えた手が押したのはラジオモードの起動スイッチ。 陽気で軽快な音楽が鳴り響き、 リヴァーブがかった声で
〈サタデー・ナイト・サタナイト・ショー〉
慌てたデッドマンが拳銃をカーペットの上に落とした。
番組のイントロはベックの 『負け犬』、 デッドマンから姿の見えない男は双頭マイクの前で首を縦に振りながらリズムをとる。 男はアフロヘアーにブルース・リー風の黄色い全身タイツ姿。 顔にはトンボ、 あるいはミラーボール状サングラス。 首には、 これまで一度も護身用として使われた試しのないヌンチャク。 男が首を振る度に鎖が擦れて双頭マイクがノイズを拾う。
ロサンゼルスのラジオ放送局 〈スーパーカリフォルニアエクステンドシドヴィシャス〉 DJ、 ジョニー・オーロラはアフロヘアーを揉みながら
「今夜、 一発目の曲はベックの 『ルーザー』、 皆、 この曲を覚えていたかい? おれはこいつを聴く度、 いつも間違えちまうんだ。 これ、 ジャック・ホワイトだっけ? いいや、 キャプテン・ビーフハート? 歌が始まって、 ようやくピンとくる。 つまり、 おれたちのことだってさ」
ブースの外、 ミキシングコンソールの前に座るイースタン・ジェイコブスが腕組する。 ジェイコブスの腕にはドラゴンの刺青が彫られているものの、 昨年に挑戦したキャベツ減量法、 別名カンダ・リヴァー・ダイエットの影響でドラゴンはウミヘビ、 あるいはタツノオトシゴのように見える。 ジェイコブスが手を叩くが、 その音はジョニーに聞こえない。 ジョニーはガラス窓越しに皮膚が弛んだジェイコブスに向かって親指を突き立てた。 ジョニーは鳥の巣状の髪をポンと叩いて
「OKに同意。 さぁ、 今夜も張り切っていこう。 ハガキを読んでいくよ。 さて、 一通目。 差出人の名前はなし。 えぇっと、 〈あなたの番組は信心に欠け、 国家に対する忠誠心にも欠けています。 あなたは人生を見つめ直すべきだ〉」
マイクに向かってジョニーが笑う。 コンソールの前に座るジェイコブスは突き立てた親指を下げる。
「一発目から景気がいい。 明日の株式市場はうなぎのぼりだ。 この間、 知り合いから言われたんだ。 〈君に批判的なハガキを読んだ次の日の市場の相場は上々に推移する〉 ってさ。 おれは言ってやったんだ。 それが俗にいう否定的弁証法っていうやつかい? マーカスの時代はうんと昔ってな。 小難しいこと言った。 さぁ、 二通目。 〈腑抜けの腰抜け野郎〉 これだけかい? こいつはキツイ。 名前も書いていないし、 きっとストレスだ。 ストレスのせいでガンになるし、 聞いたこともない病気にもなる。 これまで爆弾よりもナイフのほうが人を殺しただろうが、 ナイフよりもストレスのほうが人を殺しただろう。 辛気臭くなってきた所で曲を流すよ。 曲はサイプレス・ヒル 『おれがどうやって、 あいつを殺すのか』
三〇分の番組が終わった時、 デッドマンは外の電線がガラス窓を振動させていることに気が付いた。 デッドマンは 「バカバカしい」 と言うなり拳銃を握ったまま、 上半身裸のままモーテルの外に出た。
サイレン、 二発の銃声。
口を開けたままの携帯電話が節電モードに移行した。