大学テニスチームのホワイトという名のコーチや幾人かの大学の部局長を踏まえた面接が進むにつれて、 ハルの経歴、 特に学業成績について疑問の声が上がりはじめる。 もちろん、 すかさずチャールズ・テイヴィスが助けに入る。
もし僕が、 そうさな、 “revenue-raising” なアメフトの天才児だとしたら、 スコアについての雲行きは怪しくもなくなるだろうかということを運動部局長にきいてみてはくれまいかとチャールズおじさんがホワイトコーチにきいている。
Uncle Charles is asking Coach White to ask the Dean of Athletic Affairs whether the weather over scores would be as heavy if I were, say, a revenue-raising football prodigy.
やや煩雑だが、 英語の授業のつもりでいくつか解説しよう。 原文二行目の “say” は、 「言う」 ではなく、 何か具体例を挙げたりする時に用いるはっきりした意味のない表現で、 「そうさな」 とした。 原文一行目では “whether” 「⋯かどうか」 と “weather” 「天気」 というほぼ同じ発音の語が並んでいる。 これは一種の言葉遊びと判断して、 「雲行きは怪しくもなくなるだろうか」 とした。 チャールズ叔父がテニスではなく 「アメフト」 の天才児といっているのは、 ハルの長兄であるオリン・インカンデンザが大学でアメフトをはじめて、 現在は NFL で活躍するほどの選手であることを踏まえている。
さて問題は、 “revenue-raising” だ。 意味するところは難しくない。 アメフトや野球やバスケのように人気のあるスポーツの有力選手は大学でも引く手あまたで、 そんな選手を獲得できれば試合の集客等で大学の収入 (revenue) が増す (raise) 見込みがある。
この場合の問題は、 果たして作者 DFW が、 どちらも “R” ではじまる単語をはっきり意図して二つ並べたのかどうかがはっきりしないということだ。 “revenue” を “raise” する (上昇させる、 増大させる) という表現は十分ありふれている。 「十分」 というのはつまり、 DFW が特に深い考えもなくこの表現を選んだ可能性が十分あるくらいに、 ということだ。 もしこの二つ並んだ “R” に深い意味がないなら、 何ということもなく、 「収入増大につながる」 と訳して構わない。 しかしもし DFW が意図してこの二つの “R” を並べたなら、 それに応じてやはり頭韻その他工夫を凝らす必要があるだろう。 迷った挙句、 ここは意図的な頭韻と判断して 「大学の懐事情をふかふかにしてくれる」 とした。
こうして問題が明らかになる。 つまり、 翻訳者は自然とその作品を細かく読み、 目立ちにくい特徴や、 見落としがちな齟齬に気づくことになるが、 そんな特徴や齟齬が作者の意図したものであるかどうか、 判別することはできない。 言葉とは、 そういうものだ。 言葉が人と人をつなぐとか、 能天気にそういったことを言う輩は十中八九ただの素人だ。 言葉とは、 人と人の間の、 超えられない無数の極薄の壁といった方がはるかに近い。
【上級編】
『インフィニット・ジェスト』 で最重要のテーマのうちの一つがコカインやヘロインや酒などの依存症の問題であることには前回の連載でも触れた。 21 歳の女性ケイト・ゴンパートは、 何度も何度も止めようとして止められなかった大麻のことを、 俗語で 「ホープ (希望)」 と呼ぶのだが、 鬱病になり自殺未遂で病院に運び込まれた彼女は、 もはやどう見てもホープレス (絶望的) だ。 『インフィニット・ジェスト』 の中でこういう中毒者を描いた箇所は、 何年も煙草を止められない私には胸に迫る。 ケイトは今、 運び込まれた病院で医師らしき人物相手に少しずつ、 自殺しようとした背景を語りだす。
「何もかも、 怖ろしいことになる。 見るものすべてが、 ひどいことになる。 Lurid って言うの。 ガートン先生が一度、 lurid って言った。 ぴったりの言い方。 で、 何もかもギザギザに聞こえる、 刺々しくてギザギザした響きで、 まるで聞こえる音すべてに突然歯が生えたみたい。 どこもかしこも、 またシャワー浴びなきゃいけないような臭いがするなら、 体を洗う意味って何? みたいな」
まったく救いの道が見えない、 どうしようもないこの気分。 自ら命を絶つ前の DFW も、 こんな風に思っていたのだろうか。 言い忘れていたが、 『インフィニット・ジェスト』 に並ぶ大作になっていたはずの 『蒼白の王』 (The Pale King) を未完のまま残して自殺した作者 DFW も精神に不調をきたして、 この引用部のケイトと同様の辛い治療をうけていた。 そう考えると尚更、 この箇所は念入りに訳さないといけない。
上級編はもちろん、 英語のままにしておいた形容詞 “lurid” だ。 辞書を引けば 「赤く輝く」 とか 「けばけばしい」 とかいう意味が出てくる。 そういった訳語としてまずどれを選ぶのかが難しいが、 問題はさらに広がる。
というのも、 この “lurid” という単語は、 ケイト・ゴンパートが感じたどうしようもない絶望以外のものについても用いられていて、 その都度微妙に意味が異なる。 ハルと同じテニス・アカデミーに通い、 違法薬物の調達役を引き受けているマイケル・ペムリスという少年がいるのだが、 彼は特にお気に入りの薬物の影響で眼球が小刻みに震える 「眼震」 を起し、 そんなときの目はいつもよりも 「ルリッド」 だとされる。 充血して赤い目? しかし、 視界が赤くどぎつい色に染まるのと、 目自体が赤くなるのとは違う⋯⋯この場合、 果たして二つの 「ルリッド」 に同じ訳語をあてるべきだろうか?
ここでも中級編と同じ問題が浮上する。 「派手に赤く輝く」 といった意味の “Lurid” を、 作者 FDW はどれくらい意識的に使っているのだろうか。 特に意識してしていたわけではないというなら、 あえて同じ訳語に統一するとかえって不自然になるが、 意識していたのならやはり作者の意図を反映させて、 せめてふりがなで 「ルリッド」 としなければならない。
そして、 「ルリッド」 の登場箇所はまだまだある。 マイケル・ペムリスのみならず、 ハルの兄オリンを調べている巨漢の諜報部員が何故だか女装する時にかぶるかつらの髪の毛の色もルリッド。 ハルを中心とした人々の人生の、 それぞれの一コマにこの “Lurid” という一語が紛れ込む時、 私はどうしたものかとその都度頭を抱える。
こうして、 気がつけば以前にも書いた問題にもう一度直面している。 翻訳とは、 絶対に答えてはくれない誰かに向けて呼びかけ続けるようなところがある。 まるで、 そうしていればいつの日か、 死者が返事をするかのように。
デヴィッド・フォスター・ウォレス 『インフィニット・ジェスト』 を訳していて何度も何度も思うことは、 要するに、 「こんな作品を隅々まで読む人間がいるなんて、 ウォレスは本当に正気でそんなことを考えていたのか?」 ということだ。 作家たちは、 こんな恐れを感じているのだろうか? 何の光も見えない闇の中をただひたすら進み、 自分が前へ前へと進んでいるのか、 むしろ大きな円を描き堂々巡りしているだけじゃないのか──そんな底なしの恐怖の中で、 それでも何か輝きのようなものが見えるとしたら、 それは本当に夜明けの光なのか。 あるいは、 夜明けなど時間が経てば必ずやってくるのだから、 夜明けとは違う光を見てしまう人間だけが、 作家になるのかもしれない。
ところで、 冒頭で言及したウラジーミル・ナボコフの自伝 『記憶よ、 語れ』 の冒頭はとても美しい。 「深き淵にて揺りかごは揺れる」 “A cradle rocks above an abyss.” 似たような音 (“C” と “R” と “A” と “B”) を重ねつつぎゅっと圧縮するこの冒頭の一文を、 ナボコフはきっと練りに練って書いただろう。 そんな作家たちの労苦をくみ取って訳すことはもちろん難しいのだが、 本当にそんな労苦の結果として出来上がったものなのかどうかすらわからない場合は、 もはやどうしようもない。 私はただ、 深き淵をぐるぐると回りながら、 いっそその中に落ちてしまいたい誘惑に耐えつつ、 翻訳をすすめていこうと思う。
第三回 了