杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第283回: iOSの仮名漢字変換は行動履歴まで拾うようだ

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
10.10Sat

iOSの仮名漢字変換は行動履歴まで拾うようだ

単純に表示させるだけでは導線にならないし、それよりは文章で言及したほうがいい、という指摘をいただいて、なるほどなと思った。でもどう活かせばいいかわからない。わたしは文章で他人に言及できるし、読みたくさせることもたぶん、ある程度はできる。逆はない。自分と違って他人はコントロールできないから言及させることはできない。他人から好意的に受け入れられることもない。人間性という技術に欠陥があるからだ。それを補正できれば、と思うのだけれど、どのみち書いたものに価値がないのであまり意味がないか。結局読まれるだけの才能がないのだ。見出される能力以前に書くものに価値がない。それは人として最低限の能力が欠けているからだ。見せかけの補正ではどうにもならない。やっぱり評価される人は人間としての価値が実際に違うのかもしれないな。そのあたりがわかっていない時点で能力がないということなのだろう。能力がないからその重要な差が見えない。太宰を検索してうへさんにたどり着くことはあるかという話で、それはないだろうという話だった。逆ならあるだろうと。太宰の情報はどこにでもあるがうへさんの連載はうちでしか読めない。ではうへさんを検索して訪れた客がわたしを見いだすことはあるか。レーベルとしてのブランディングに成功すれば……と夢見ていたが、画面遷移を説明したところ、どうもそれもなさそうな感触だった。導線をうまく提示できていない、デザインできていないという次元ではないのかもしれない。そしてそもそも見出されやすさの話ではないのかもしれない。ソーシャルメディアやモールの表示アルゴリズムがどのようであっても、寄稿者のみなさんは遅かれ早かれいずれだれかに見出される。わたしはそうではない。読まれないのは見出されやすさの問題ではない。すごいひとの書くものを追いかけていると、やはり人間の次元が異なるのを感じる。頭の出来というか。能力がないからその本質的な差異に気づかない。目の当たりにしても理解できない。理解できないから自分の書くものにも価値があるかのように錯覚する。いや、でもレーベルとしてのブランド価値の提示はこれからだな。やはり単行本を出さないと。ウェブサイトという、ひらかれた媒体ではやはりだめだ。ばらけていてつながりがない。個々の商品がパッケージとして閉(綴)じてないと。閉じられた個々の提示があってはじめてつながりが見えてくる。ブランド価値? わたしのやることにそんな価値があるのか? 寄稿者それぞれにわたしと関係なくあらかじめ価値があるだけではないか。せめてわたしと関わることで価値を貶めてなければいいが。寄稿者それぞれのファンが別の寄稿者を見いだすことは、今後のやりようによってはあり得るかもしれない。それとわたしの無価値は切り離して考えるべきだ。あるいは単純に、楽しいから同人誌ごっこをやってます、でいいのかもしれない。ばかなのに考えようとするからいけないのだ。シンプルに考えよう。寄稿者はあらかじめ価値がある。わたしにできることは何もない。わたしのやることには価値がない。わたしにできることは何もない。あ、でもウェブサイトのデザインは割とだれに見せてもそこそこ好感触だな。でもそれ、なんか役に立つの。立たない。デザインは何をどう実現したいかで、目的を達成するための手段なわけだけれど、個々の作品を読ませる、という次元でしか機能できていない。その先に行くデザインではない。行けないだろうという感触を得た。「本の網」や「特集」の関連付けはまったく機能していない。うへさんの読者がそのようなリンクの存在に気づいていない、あるいは見てもピンとこない、あるいは素人くさく感じる、ということは、この方向での考えやデザインは失敗しているということだ。見た目は別に不評ではなさそうだからつづけるけれど、意味はない。価値のある人間が売れるものを書くしかないんだろうな。ブランディングなんてことがあり得るとしたら。価値がない以上それはわたしには関係がない。肯定の言葉に悩むからなのか、小説を書き上げるなんてすごいねといわれることがある。もちろんすごくない。書きはじめて最後まで書けば書き上がるし、やめればそこで止まる。それだけだ。むかし、はてなの有名人に同じことをいわれて、明らかにそのひとは価値があるので、むりやり最後まで書かせたことがあった。もちろん価値のある傑作が完成したのだけれど、あれ、どうなったんだろう。出版されたという話は聞かない。それ考えるとわたしはむかしから似たようなことやってるな。独善家で一方的で進歩がない。そういえばはてなの有名人でセルフパブリッシングしてる人は多いし、よく売れてるけど、小説で成功した例は知らない。小説は嗜好品だから売りにくいんだろうな。あらかじめコミュニティの支持基盤があれば売れる。なくても価値があればモールで優先表示されてそこで見出されて売れる。インターネットに適性がないから見出されず売れない、と考えていたけれど単なる認知の歪みだったかもしれないな。見出されるのは社会性の問題なのか。それとも固有の価値の問題なのか。社会性の問題ならおそらく技術的に克服できる。そっちだと思っていたけれど違うのかもしれない。たぶんわたしは努力しなきゃいいんだよな。努力するから見返りがほしくなる。他者との関係性でしか結果がはかれないことに関心を向けるからつらくなるのだ。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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