D.I.Y.出版日誌

連載第280回: 補正できない

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2020.
10.09Fri

補正できない

旅行でわたしの街を訪れた方に逢ってもらったこんなに一方的にしゃべる人間だったのかと自分でもびっくりしたあまりに昂奮してしゃべり倒したので帽子を忘れて取りに戻るほどだったこれ名刺ですと自著を押しつけたのだけれどつまらないものですがと口走ってしまってからこの慣用句がこれほどぴったりくる例はほかにないなと思った人間性はわりと単純なしくみで再現できるのではないかと熱弁をふるったのだけれど表層の人間らしさのほかにもうひとつその背後に走る何かの両方がないと再現できないのではないか的な意見が小説のプロットとバックストーリーの関係みたいでおもしろかったもうちょっとそこ掘り下げて訊いとけばよかった)、 よく考えたらわたしは生物学上の定義では人間であるにもかかわらずあの店内では人間のふるまいとして常軌を逸していたにちがいなく社会的に人間とは見なされない状態だったのではないかという気がするのでやっぱりそう簡単に再現できるものでもないのかなと思ったりしたAI で手塚や星新一や J・K ・ローリングを模倣したと称するコンテンツは不気味の谷レベルというか、 「人間のように見えるけれども何かがおかしいというちょうど統合失調症のひとと話すときに似た感触を受けるのだけれどそのことと実在する生身の人間であり一応は人格障害でも精神病でもないと診断されているわたしが社会的に人間として成立していないこと父や著名な政治家のように明らかにおかしいにもかかわらず好ましい人間として社会的に通用してしまう人物が実在することのあいだにはなんらかの関係があるような気がするこの二十年ずっと考えているのは人間が人間として愛されるのはあくまでゲーム的な技術で機械によってより効率よく再現させ得るのではないかということと一方でわたしのような人間は実際に人間であるがゆえに何か虫のようにきらわれるのではないか生身の人間だからかえって社会的に機能しないのではないかということだ人間は機械に肩代わりさせることによってできることの幅を広げてきた飛べないから飛行機を長距離をはやく移動することができないから車を発明したおなじように人間であるがゆえに人間扱いされない人間があたかも人間であるかのように愛されるための手段を機械によって手に入れることはできるはずだ小説なんか書いている人間のなかにはわたしのようにそうした社会的な技術において欠陥があるがゆえにうまく商品化できない人間がいると思うきょう話して知ったのはわたしの文章があたかもプロの出版社や編集者を敵視しているかのような印象を読者に与えるということだ書いている生身のわたしにはまったくそんな気持がなかったけれど読んだひとにおいて結ばれた意味は実際にそのようなものだったそういった愚かしいふるまいの積み重ねで社会的に機能しなくなり人間として扱われなくなるそれを機械的に補正する手段があればあたかも人間であるかのように受け入れられ、 「このひとの商品を買いたいと思わせ得るのではないかそういうツールがあればそれは金になるはずだあるいはそうしたツールで社会的に受け入れやすくした才能はそれがなければ得られなかった商品価値を獲得するはずだそうした能力は現代社会で生きていくうえで必須だしにもかかわらず持ち合わせているのはごく限られた一部の個人や企業でしかないその落差を温存するあるいは拡大することで現在の多くの企業note とかは利益をあげているのだけれど逆に手軽に縮めるあるいは縮めたように見せかけることも金になり得るはずだ格差を広げるほうが金になるから広げる方向だけで発展しているのだろうとは思うでも限られた才能から金をひりださせようとするよりは個々は少額にしかなり得なくても金を生む余地のある才能が増えたほうが商売の機会は増えるはずだしそのほうがおもしろいとわたしは思う


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。