うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第37回: 好きの気持ち

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.10.05

「やっぱり出てきたね……」
「……確信犯かもなあ」
 時刻は夜の8時を回っていた。季節は確実に冬へと近づいているその証拠に、暖房を切ると車内には徐々に冷気が侵入してきていた。
 ここはそれなりに広大なスペースを有した公園の隣の公道で、疎らに縦列駐車されたうちの1台のレンタカーの車中だ。そこから150メートルほど離れた場所にある一階のアパートを我々男女4人で見張っている。運転席に座る彼女が二度目の電話をかけたとき、またもや男はアパートから姿を現した。

 浮気の疑いがある、と彼女は言った。私がなぜこのようなメンバーに所属できたのか不思議でならないのだが、気が付くと私はその調査のメンバーに加わっていた。中学からの同級生でお調子者のYと、そのYの彼女A。そして今回この探偵紛いの偵察を計画した、浮気疑いのある彼氏を持つM。
「一人でこういうことするのは心細いから、みんなでオールするつもりで、そっちがメインみたいな感じで楽しく集まろう!」
 そんなMの言い分から、自分にも声が掛けられ、これまで友達とオールなどということをしたことがなかった私は、母の目から一夜だけでも逃れられるという悦びと、男女四人でドライブオールというパリピさながらのシチュエーションに、(そんな素振りはつゆ程も見せたつもりはないが)心躍る気持ちで「まあ、行ってもいいよ」と承諾した。

 結果は黒であった。Mが男に電話をかけても一度では繋がらず、必ず数分後に相手から折り返しがあった。その電話のたびに、寒そうに背を丸めた影がアパートの外に出てスマホで電話をかける。
「いまなにしてたのー」
 二度目の電話で何気ない風を装ってMが尋ねると「タバコ切らしてて、いまコンビニ出たとこ」などと目の前で見られているとも知らずに平然と男は嘘をついた。
「明日は三時でよかったよね?」
 平静を装って会話を続ける彼女の声が震えているのを、あの男は見抜けなかったのだろうか。電話を切ると、すぐに踵を返してアパートの部屋に戻っていった。助手席に座っていた私は、その男を睨みつつ、運転席のMを横目でチラリと見た。彼女は目を潤ませていた。

「付き合ってくれてありがとー! 油山行こ! 油山〜、日の出見よー!」
 みんなが声をかけづらい雰囲気になったのを自ら払拭するかのように、Mはそう言って明るく振る舞い、車を発進させた。

 眼下に広がる街の明かりは、きれいだった。あのときは4人全員が、同じ気持ちを共有していたのかもしれない。少なくとも私は、あの夜景の美しさを今もまだ思い出すことができる。
 「明日は日の出見るぞー!」ということで、我々はオールと言いながらも、深夜一時を回った辺りでそれぞれが眠りに落ちていった。そんな中、私だけは目が冴えていた。どういう経緯でそうなったのかは覚えていないが、当初前の席に座っていたMと私は、YとAと入れ替わるようにして後部座席に移り、シートを倒して眠っていた。
 ドストエフスキーの小説を持ってきていた私は、自前の懐中電灯を照らしながら文字を追ったが、目は何度も同じ行の文字を上滑りするだけで、いっこうに頭に入ってこなかった。当たり前だ。好きな人がいま、自分の横で、安心しきって寝息をたてているのだ。読書はおろか、落ち着いて眠れるわけがない。
 私は懐中電灯の明かりを消して、月明かりを頼りに彼女の寝顔を、眠ったふりをして薄目を開けて眺めた。その寝顔を見て私は胸が苦しくなった。たぬき寝入りに乗じて、彼女の指先にもそっと触れてみた。それでも彼女はぐっすり眠っていた。私はそれからそっと手を離し、寝返りを打って窓の外を眺めた。なぜか私の頬は濡れていて、その気持ちを抱きしめるようにして、そのまま眠りに落ちていった。

 翌日。アパートの留守を確認し、借りていた鍵でMが男の部屋に入ると、女子高生が書いたような愛の手紙が炬燵の上に置いてあったという。電話で問い詰めると、男は素直にそれを認めた。彼女は男を許した。
「だって、好きだもん」
 面食いを自称する彼女は、誰の意見にも耳を貸さず、己の意志を貫いた。きっと、また浮気をする。彼はJKが好きなの。私はもう、あと数カ月で高校生じゃなくなる、きっとその時は捨てられるかもね。そんなことをいう彼女は馬鹿だと思った。

「将来の夢は、お嫁さんになること!」
 屈託のない笑顔でそう宣言していた18歳の彼女も、いまではほかの男性と結婚し、1児の立派な母親になったと風の噂で知った。たまたまSNSで見かけた彼女のアカウントは、子供の写真で埋め尽くされていた。私のこの気持ちは誰も知らない。今まで誰にも、どこにも、インターネット上でさえ語ったことがなかったからだ。だけど、こうした話はきっとありふれていて、誰もが一度は経験したことがあるのだろう。みんなはそれを言葉にすることもなく、大人になっていく。私は偶然、それを言葉にする術と時間を持て余していたから書いたに過ぎない。もう10年以上前の話になるが、あれが「好き」って感情だったんだな、ということを思い出したりした。うへへ。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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