杜 昌彦

GONZO

第10話: 転落がえし

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.09.30

 本物の悪人は絶対に捕まらぬとか、あり得ぬものは社会的に存在しないとかいったご託を、さも本気で信じているかのごとく、ことあるごとに吹聴した梶元権蔵であったが、実のところそれは折りたたみ傘を忘れた日に限って大雨、とかいった類の人生への皮肉、いわゆるマーフィーの法則の変種でしかなかった。これだけ日常的に公然と、次から次へと殺して歩き、血や吐瀉物や糞尿はおろか、屍体も指紋もほったらかし、ときには仕事を終えたその部屋で、飲み散らかし喰い散らかしてもきたというのに、駐禁切符一枚、切られたためしがないのはジンクスのせいなどではなく、田澤老人が背後で手をまわしているからだと知っていた。老舗の中華料理屋は、役職つきの警官や役人、政治家、金持連中とやけに縁が深いらしかった。
 親の名前すら知らず、さながら人体実験のごとくに育てられ、カルト教団が集団自殺で消滅したのちは、特技を見込まれて田澤老人に身請けされ、以来ずっと自暴自棄。早くだれか殺してくんねえかな、とそればかり念じて淡々と仕事をこなしてきた。愛される者ほど早世し、死を願われる悪人ばかりが長生きする。どうも当分、死ねそうもない。まったくひでえ世の中だと笑うばかりで、だれのいかなる目的のために汚れ仕事をさせられているのか、突きつめて考えたこともなければ関心もなかった。とはいえ依頼は田澤の親しい筋からと見当がついたし、標的の大半もそうだった。翌日の朝刊には病死やら事故やらと書かれており、派手に散らかした案件では、だれかが後始末に奔走したのか数日後に記事が出ることもあった。殺し屋の「こ」の字も出ておらず、自力で手脚を縛って窓から飛び降りるなんてたいした曲芸だなと彼は感心した。記者を殺したことはなかった。ほかに専門家がいるのだろう……鏑木のような。
 田澤老人がいま幾つなのかわからない。初めて出逢った数十年前から年寄りに見えたし、ことによれば刻文町で囁かれる噂が本当で、くだんの薄暗い中華料理屋を、敗戦直後に創業したのが彼自身であったとしてもおかしくない。おおかた田澤を殺して成り代わったのだろうが、得体の知れぬ薬やら儀式やらに親しんで育ったゴンゾには、旧日本軍が開発した秘薬やら、邪教の呪いやらのおかげで田澤が生き長らえているのだとしても、それほど驚きではなかった。親代わりに面倒を見てもらい、教団では知り得なかったまっとうな暮らしや、字の読み書きまでをも教わって、家畜が飼い主に抱く程度の恩義は感じてはいたものの、きょうは東のあいつを黙らせろ、明日は西のこいつに道理を教えてやれと、いいように利用されるばかりの毎日で、唯々諾々と従いながらも、都合が悪くなればあっさり切り棄てられるだろうことはつねに意識していた。
 というわけで大学町の古書店が全焼し、焼け跡から性別不明の屍体が見つかったあとも、ゴンゾは自分が何に巻き込まれたのか、まるで気にせぬではなかったのである。死を待ち望みながら警戒するのも妙な話だが、彼にとって矛盾はなかった。その瞬間を見逃したくなかったのだ。普段なら関心を持たぬ依頼者のことが、俄然気になりはじめた。彼のような職業にとって習慣を変えるのは、決まった習慣を持つのと同じくらい危険だった。しくじった同業者たちの顔を思い浮かべ、連中にもかように中途半端な「自我」が芽生えたのかなと考える。将棋の駒が自ら考えるようではろくな事態を招かない。気が進まぬながら一度は請けた仕事を、あっさり投げ出して逃走した手前、詮索しようにも田澤老人の店には顔を出しづらい。
 集団自殺で灰燼に帰した「実家」と今回の件が、何か関係があるかのごとくにほのめかされたのも気になった。糞だめに生まれたら這い上がっても一生臭う。そんな地獄の答えがあたかも得られるかのような口ぶりだった。あの狸爺は何を知っているのか。信者の財産を巻き上げて逃げようとした幹部らを、火事と狂乱のどさくさに紛れて若き日のゴンゾは殺害した。連中に教わった通りに、恩を返すかのごとくに。教団の内外を蝙蝠のように出入りしていた男の仲立ちがあったとはいえ、戸籍も人間としての最低限の常識も、名前すら持たずして現世にまろび出た少年を、あの老人が絶妙な間合いで拾い上げたのは、大人たちのあいだで自分の知らぬやりとりが、そのずっと以前からあったからとしか思えない。前世紀末のあの事件を、よもや田澤は背後で操っていたのか。信者らを狂わせ、自分をかくのごとき化け物にした黒い錠剤の出所を、教えてやらんでもないとの釣り餌を、四半世紀も過ぎた今になって目の前にぶらさげるとは、いったいいかなる魂胆か。単純なゴンゾにしては珍しく心中モヤモヤし、苛つくうちに腹が減った。
 刻文町の焼き鳥屋でカウンターの隅に陣取り、ハツや砂肝をアテに脂で白く曇ったグラスの地酒を啜りながら、梶元権蔵はこれまでの経緯を反芻した。発端はいつもの仕事だった。鏑木なる痴漢を片づけるよう田澤の親爺に命じられた。依頼者は被害者の妻だという。性被害ではなく殺人の被害者ということだ。その哀れな男は痴漢を目撃し、犯人を鉄道警察に突き出そうとしたところ階段から突き飛ばされ転落死したとか。いまとなってはでまかせなのは明らかだ。鏑木の慣れた手口からして前科があるのはまちがいないが、未亡人も殺害された男も実在しまい。ではだれの依頼か。次のおかしな仕事と無関係ということはあるまい。偶然なんてものは世の中に存在しない。姫川家のいかれた御曹司の警護を命じられ、秘書にけられて手を引けと脅された。実際に脅したのはこちらだがそれはどうでもいい。古本屋へ引き返すとアプリで簡単バイトの困窮学生が、包丁と灯油で店主を殺害しようとしていた。わかるのは親爺と姫川の爺さんがつるんでだれかと戦争をおっぱじめたってことだけだ。おれと古本屋はそこに巻き込まれた。将棋の駒みたいに使い棄てられるのだ。
 もとより頭がよくない上に義務教育すら受けたことのない殺し屋である。考えたところで謎は解けない。彼は老眼鏡めいたサングラスの、長方形の小さなレンズ越しに、天井際に設置されたテレビへ何気なく視線をやった。そしてあんぐり口を開けた。読者諸氏がとっくに忘れたであろう第三章の端役がここで再登場する。駅の階段を転落せず、重傷を負うこともなかった記者がその夕暮れ、何者かに突き飛ばされて死んだのである。屍体が持参した油をゴンゾが撒いて火をつけたのとほぼ同時刻だった。ゴンゾは本来テレビを好まなかった。わめき叫ぶタレントを見ていると標的の命乞いを連想してげんなりする。休日にまで仕事のことを考えたくないのは殺し屋も同じだった。真実味のない同業者がドラマに登場するのも気にくわなかった。しかしどこのだれとも知れぬ若者の屍体を燃やして、古書店主を追い払ったこの夜、彼は画面に映し出された男から視線をそらせなかった。それは紛れもなく鏑木が殺そうとした青年だった。
 前途有望なその記者は、姫川工業会長のインタビューを終えた帰途、ホームから転落し列車に撥ねられて死亡したという。IT関連を得意としていて、工業系の制御システムや、セキュリティを題材とした記事で何度か賞を受けていた。遺骸の一部はキオスクを直撃し窓を突き破って、店員に怪我を負わせたそうだ。こりゃのんびり晩飯喰ってる場合じゃないな。ゴンゾは焼いた内臓を碌に噛まずに地酒で流し込み、中折れ帽を被って会計を済ませ、店を出た。ジンクスを吹聴するくせに彼は偶然など信じなかった。殺しで飯を喰って数十年、仕事を中途で放棄するのは初めてで、気まずさのあまり報告を避けていたが、さすがにそうもいかなくなった。昂奮と苛立ちの入り混じった心境だった。中華料理屋へ向かって歩いているとまたしても尾行に気づいた。今度は姫川宗一郎の秘書ではなかった。姫川家に近づかぬ確約をゴンゾから得て、なおかつあれだけ脅されたにもかかわらず、細谷がなおも付きまとう道理はなかった。もし仮にゴンゾが古書店主を襲った学生のような素人だったとしても、さすがにそのくらいは理解したはずだ。まして彼はこの道数十年のベテランだ。
 ゴンゾはいきなり踵を返した。尾行者は逃げた。
 気取らせるほどの素人だ。教団から田澤に請け出されたばかりの若きゴンゾなら、たちまち追いついて組み伏せていたろう。あいにくいまの彼は年齢相応の肥満体だった。脚だってもとより短い。おまけに酒まで入っていて息が切れた。現実は映画のようにはいかぬのである。マスクがその最たるものだ。顔半分を覆う不織布は酸素の補給を妨げた。アクション映画の登場人物はこぞって疫病に耐性があるのか? ゴンゾにはわからなかった。理解できるのはいまあいつを逃がさぬほうがよい、という職業上の経験則だけだった。
 尾行者はホテルの裏口へ逃げ込んだ。このご時世でどうしてそうも防犯意識が甘いんだ、施錠しておけよとゴンゾは内心で罵った。得体の知れぬサイコパスが侵入してパーティ会場を血の海にするかもしれないだろ。そうなったらどうするつもりだよ。
 どうするつもりかは次章で明らかになる。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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