イシュマエル・ノヴォーク

イシュマエル・ノヴォーク短編集

第2話: カウチ・ポテト

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.09.26

 すべてが変わってしまった。

 有機液晶パネルに映るイランの指導者は苦しそうな顔でインタビューを受けていた。この禍が人類の生息を脅かすに足るものだと、大勢の人が感じたことだろう。何節かは忘れてしまったけれど、ヨハネによる福音書を思い出す。つまり〈我に触れるな〉
 いつの間にかデスクは我が家に変わった。あまりにも急なことだったので、デスクに置いていた観葉植物をそのまま置いてきてしまった。きっと枯れているだろう。アオイ科アオイ目、サバンナの乾燥地帯で生まれたはずの彼を〈バブー〉と名付けたのは、我ながら安直なことだと思う。それでも、アフリカの諸言語や〈サン・テグジュベリ〉と名付けるのも気が引けた。次にオフィスのデスクに戻った時、大きく成長した彼の根がオフィス中を這い回るようなことになっていたら、ぼくはどうなるのだろう? 訴訟を起こされ、損害賠償を言い渡されるのだろうか? CNNにインタビューを受けることになるだろうか? そんなことはない。皆、そこまで暇じゃない。
 暇を持て余すことが、贅沢だということを多くの人が知った。自宅で仕事をして、会議はノートパソコンの前でパンツを履かずにいても笑い飛ばす気力がない。どうして、家にいるのにこんなに疲れているのだろう? 家は心と身体を癒すものではなかったのだろうか? ノートパソコンに搭載されたカメラの前で友人たちとお喋りしながら甘ったるいチリ産ワインを飲んでも愉快だとは感じられない。

〈我に触れるな〉

 多くの人が触れ合うことを避けている。性衝動はハードコアポルノを観れば十分なのだろうか?

 フランツ・カフカやエドガー・アラン・ポー。もしくはボッカチオが、かつてのフレデリック・フォーサイスやスティーブン・キングのように売り上げを伸ばす時代。とても奇妙だ。チャンネルを変えると右派や左派のコラムニストたちが、ひょっとすると正義論や観念論に基づいて持論を述べていた。多分、彼らの著書の焼き回しだ。その中に一人、禿げて太った男が座っていた。男の顔には見覚えがある。元テキサス州知事で、俳優で、その前はレスラーだったジェシー・ベンチュラ。彼のことを思い出すことはなかった。普通の生活をしていて、思い出す必要は何一つないのだから。スクリーンの中の彼は、鍛え上げられた身体を見せつけていた。『バトルランナー』あるいは『プレデター』どちらも脇役だ。それでも、カウボーイハットをかぶり、ガムを噛みながら大きな銃を振り回す姿は一つの時代を象徴するようなものだった。チャンネルを映画専用チャンネルに変えると、リドリー・スコットの『ブレードランナー』が放送されていた。この映画を観たのは去年のことだ。ルドガー・ハウアーが亡くなったばかりの頃で、その日は霧吹きのように細かな雨粒が窓ガラスを濡らしていた。微小なホワイトノイズが木霊し、家の前の舗装されていない砂利道を自動車が踏みしめ、タイヤの溝にはまった小石が遠心力で跳ねて車体にぶつかる哀れっぽい音が聞こえた。隣に腰掛けていたレイチェルは不満げな顔をしていた。
(どうして、こんな古い映画を観るのか?)
 彼女は表情で訴えていたが、ぼくは知らん顔を決め込んだ。ぼくは『ブレードランナー』をビデオショップで借りた。借りたのはDVD、銀色をした薄い円盤だというのに、どうして今でもビデオショップと呼ぶのだろう? 今、ビデオテープを家に持っている人は変わり者か、ガレージに置いたまま捨て忘れてしまった。あるいは、時代の変化に戸惑った末に変化を受け入れられず頑迷になってしまった人だけだ。映画を観ながらレイチェルがぼくに話し掛ける。

「この人、あの映画に出ていた俳優よね? 信じられない! 別人みたい」
「昔の映画だからね」

「なんで、この男はヌードルを四つも頼むの? 呆れられているじゃない?」
「君だって、この前、ケーキを四つ注文しただろう? ぼくが〈よしたほうがいい〉って言ったのにさ」

「あの漢字、なんて書いてあるのかしら?」
「さぁ?」

「ピラミッドみたいな建物。お墓かしら?」
「多分ね」

「Cビームって何? 結局、この人って人間なの? それとも……」

 映画を観終えると、ぼくたちの戦いがはじまった。言い合いは一時間ほど続いた。とはいえ、ぼくが口を開いたのは、最初の五分だけ。残りはすべて、レイチェルの一方的で偏った主張だった。うんざりしたぼくはデッキからDVDをとり出し、半透明のケースにしまうとビデオショップに歩いて出掛けた。
 ビデオショップは埃の臭いがする。返却ごとにアルコール消毒され、滅菌処理されたディスクにそんな臭いがするはずはないのに。ぼくは、これが記憶から生み出されたものであることを知っている。昔、家の近くにあった小さなビデオショップと同じ臭い。隣にビワの木が植えられていて、甘ったるいオレンジ色。熟れて、落ちた果実が踏まれて土と混ざる。家に帰ると、相変わらず霧吹きのように細かな雨粒が窓ガラスを濡らしていた。

 思い出は消えてしまう。雨の中の涙のように。

 カウチから立ち上がり、水で薄めた漂白剤をしみ込ませた雑巾で、ぼく以外が触るはずのないドアノブを拭き、仕上げに窓ガラスについた結露を拭き取る。そして、ヒーターのスイッチを押す。
 
 何事にも終わりがある。今回だって……


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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