うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第34回: 人間合格

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.09.22

 友達もいないのに、特別行きたい場所なんてないのに土日休みがいいな、なんて思ってたのは、いつかできる予定のために抑えておくつもりだったんだと思う。
 仕事のためにあまり遠くへ行けないと思うのは、いもしない君のことや、友人のことを思い浮かべて、あんまり遠くに行っちゃうと会えなくなるからな、なんて想像をしていたからなんだと思う。

 よくさ、新卒の頃は「就職の成功がゴール」だ、なんて勘違いをしちゃって、それでいざ内定を勝ち取り、実際に勤務してみると、理想と現実のギャップに苦しめられ、鬱になる、あるいはすぐに辞めちゃう、みたいな話があるけど、私にしてみれば、就職することは、すなわち「ジ・エンド」だと、ずっと思って生きてきた節がある。

 じつのところ私には、大学に進学するつもりで、推薦入試を受けた過去がある。
 特段通いたかったわけでもなかったのだが、かといってこんな未成熟な自分のまま「就職する」「社会人になる」なんて恐ろしいことだと思っていた私は、半ば親に勧められるがままに「大学進学」という道を選ぶことにした。

 私が推薦入試を受けられたのには理由がある。
 通っていた高校が特殊だったため、たとえテストの点数が思わしくなくても、授業態度や学校指定の出席日数をクリアしていさえすれば、5段階評価のうちの「4」を比較的簡単に取ることができた。
 そのじつ、私のテストの点数などいつも散々で、必死で勉強した高校最後の中間テストでさえ、最高点で72点、苦手な数学に至っては28点という目も当てられない悲惨な結果だった。
 数学のテストを返却されたとき、「あんた、手抜いたやろ」と、日頃親しくしていた数学の教師に、半分本気で、半分冗談混じりに放たれた言葉が、いまもまだ忘れられない。
 先生、あれは冗談ではなかったのです。全力を出して、自信を持って臨んだ結果が、あれだったのです。

 私は昔から努力のベクトルがおかしい。それはこの歳になってもなお、改善されておらず、マークアップエンジニアとして働いていたときも、その努力の総量に対しての習熟度の低さに苦しめられ、自己嫌悪に陥り、死にたくなる毎日だった。

「努力は報われる……ただし、正しい方法で取り組んだ場合に」

 他の高校で評価「4」を得るというのは生半なものではない。なぜ、この高校独自の評価基準が、他校の基準と同じ扱いをされ、同じ土俵で戦えるのか、今にして思えば、とても不思議な話だ。

 だからきっと勘違いされたのだと思う。
 私は担任の内申書とその「4」だらけの通知表によって、推薦入試の受験資格を許された。そして面接と小論文、国語と英語の二教科の簡単な試験を受けたのち、合格の通知書が届いた。
 当時はもちろん喜んだ。周りの友人たちにも「すごい!」「もう決まったとか、いいなあ」「卒業までずっと遊べるやん」などと称賛され、羨ましがられた。私は恥ずかしくて、俯きながら人差し指でさするようにして鼻の下に触れた。

 このとき私は思った。やはり人間には「見えない部分」というものがあって、それは現実的な評価だけには依らない、なにか滲み出した「特別なその人の才能」のようなものがあって、それを敏感にキャッチしてくれる存在が、世の中にはあるのだと、これまで報われなかった努力が、天の采配によって結実したように思われた。

 入学するまでの長い期間中に、大学から与えられた課題のひとつに小論文があった。それは課題本を読んで、思ったことを書きなさいというものだった。その本のタイトルは『生きる意味』という人文書だった。

 普段ほとんど本を読まなかった私は、学校の机で、カッコつけてその『生きる意味』なる本を、カバーも付けずに読んでいた。
 「なに読んでるの?」そう友達に聞かれ、「大学の課題でね、読まなきゃいけないのよ」とその表紙を見せると、みな一様に口をうっすらとOの字にあけて感心した。私にはその反応がたまらなく心地よかった。

「なに読んでるの?」

 同じクラスではあったけれど、それまであまり接点のなかった黒縁メガネのT君と話すようになったのは、この本がきっかけだったように思う。

 彼は中学生の頃からの文学青年であるらしく、好きな作家は「サリンジャー」と「カートヴォネガット」だと言った。

 学校で習った日本の文豪と言われる作家とその代表作くらいしか知らなかった私は、聞いたこともない、異国の作家の名前を耳にしただけで、T君のことを眩しいものでも見るような目で眺めた。

「うへくんも、本読むの?」

 私はそれまで生涯を通算しても、図書館で借りた本は30を越えなかった。
 
「ぜんぜん読まないよ~、これは大学の課題」
「推薦受かったっていってたもんね、おめでとう」
「うん、ありがとう」

 そんなとりとめもないやりとりだったと思う。

「本って、なかなか面白いよ」
「たしかに、これも読んでてなかなか読み応えあるもん」
「『生きる意味』ね……」
「ねえ、〈生きる意味〉について、うへくんは深く考えたことある?」と彼はそう尋ねた。

 私は本読みではなかったものの、生きる意味や友達というものの定義について、中二病にありがちな範囲内で、つまみ食いをする程度には考えたことがあったため、まあね、という返事をした。

「生きる意味を考えるのが嫌じゃないなら、小説もきっと気に入ると思う」

 なにか同年代とは違う落ち着きを放っているT君の態度や雰囲気、そして言動に、私は次第に魅了されていった。
 あわよくば、小説を読むことで、彼のような落ち着きを手に入れることができるかもしれない、という下心もあった。

「小説、興味あるかも」
「じゃあ、週末本屋一緒に行かない?」

 ――大型書店の文庫本コーナー。
 いままで立ち入ったこともなかった私は、どこに何がどういう並びで置かれているかもわからぬまま、T君の後ろをついて歩き回った。

「なにがおすすめ?」
 そんな乱暴な質問にもかかわらず、彼はほとんど迷うことなくおすすめを挙げていった。

「『ノルウェイの森』なんか、いいんじゃないかな」
「じゃあこれにしよう」

 読書好きでなくても言わずと知れた有名作家の作品であれば、はずれることもないだろうと思い、その他大勢の聞いたことがない作家の本の中から、まず私が購入したのは、『ノルウェイの森』だった。
 上下巻を持って、レジに並んでドキドキしたのを覚えている。
 私もついに小説デビューか、と胸躍らせていた。

 陰気な作品を、大学進学の決まった宙ぶらりんな学生が読むものではない。
 私は『ノルウェイの森』を読み終えて、彼に感想を聞かれたとき「よかったよ」としか答えられなかった。

「それなら、太宰治とかいいかもね」

 太宰治。あの片肘をついた白黒写真の人。代表作は『人間失格』。その陰気な風貌と、どこか陰のある人間的な部分を見るにつけ、「こういうのも、カッコイイかもしれない」という理由から、手を伸ばしたのが間違いの始まりだった。
 彼と誕生日が同じだったことにシンパシーを覚えたことも、私の背中を押した。そこが奈落であるとも知らずに。

「なんだこれは」
 私は冷や汗が止まらなかった。
 私がこれまでの生涯で働いてきた嘘や演技の数々を、次々と指摘されたような気がした。
 そして私は、T君を恐れた。いや、正確には関わりを持ち出したそのときから、少し恐れていた。

 ある日、古典の授業に遅れて入ってきた女生徒がいた。
 その後、友人と思しき生徒の隣に腰掛けると、
「また遅刻ー?」
「えへへ、あたし朝弱くてさ〜」
 そんなとりとめもない会話が繰り広げられていた。

「あれ、見た?」
 古典の授業が終わったあと、T君はおもむろにそう尋ねてきた。
 なんのことだかわからず、先を待っていると、例の女子同士のやりとりだという。
「あれは、〈朝が弱い私〉に酔っている人間なんだよ」
「〈朝が弱くて、遅刻する私〉に酔っているんだよ。あざといよね……」と。
 私は背筋がヒヤリとするのを感じた。
 それは、太宰の『人間失格』を読んだときに感じたものと同じ感覚だった。

 T君がどういう立場でそれを言ったのかはわからないが、私は私という人間も、そうした嘘や演技を行っているということが、彼にバレてしまうことを極度に恐れた。
 いずれそのことがバレて、指摘された暁には、これまでの私の人生を頭から否定されるような気がして、彼の前では絶対にそんな姿は見せられないと思った。

「一冊だけでは、足りない」

 私はそれから、彼に悟られないよう、自ら小説を読み漁った。
「ああならないためにはどうすればよいのか」
「なにが道化で、なにが道化でないかの判別は如何にしてできるのか」

 私は大学を半年で中退した。なにもかもが嘘だと思った。これまで生きてきた人生も。これから起こるなにもかもも。
 かくして私は、人生設計を狂わされ、これほどの捻くれた人間になった。
 なにも彼のせいではない。
 いずれこうなることはわかっていた。いや寧ろ、彼に文学という世界があることを教わったのは、得体の知れぬ感情を得体の知れぬ感情として、それ以上考えることができず、暴発して、他人に手を上げないための予防薬として最良だったとすら言えるかもしれない。
 私の犯罪を未然に防いでくれているのは、彼の声かけのおかげなのだ。

 地位、富、名声。よほど器用で頭がきれない限り、それらを手に入れるためには、鈍感である必要があると思っている。

 何を為したとか、何に貢献したとか言われるのは、決まって目に見える「成果」や「行動」が求められる。
 だが私は「起こっていないことを未然に防ぐ」という形で社会に貢献しているのだ。
 それは、誰の目にも映ることはないが、そう考えることで、10年間の空洞を埋め合わせて、今日も生きていくことができる。
 それだけで、人間合格なのである。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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