杜 昌彦

GONZO

第8話: 恫喝

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.09.21

 わたしたちは信じがたい情景を目にするたびに映画みたいだと感じる。そう刷り込まれているのだ。生まれる二年前、テロリストにハイジャックされた旅客機が異国の高層ビルに突っ込んだときも、八歳のとき、そう遠くない土地が津波に呑まれて原発が吹き飛んだときも、知るかぎりだれもがそう口にしたようだ。
 疫病で暮らしが大きく変わったあの年にしても、パンデミック映画がたびたび引き合いに出されたように記憶している。現実のほうが設定もプロットも遥かに雑で、荒唐無稽に感じられたものだが。あの一連の事件にしてもZ級アクション映画にしばしば喩えられた。爆破と絶叫が連続し、ひたすら大勢が惨殺されるだけの雑な脚本のようだと。姫川家の暮らしぶりは同級生のわたしたちにも、戦前の財閥を描いた昼メロのように思われていたし、梶元権蔵が生まれ育ったカルト教団についても、やはり俗悪なフィクションさながらに報じられたものだ。
 いいわけがましくこんなことを述べたのは、これからまさにそのように嘘臭い逸話を語らねばならぬからだ。困惑させられるのはただそれがつくり話めいているからだけではない。確かにそれも理由のひとつではある、というのは、巻き込まれた探偵が手を引くよう恫喝されるお決まりの場面を思わせるからだ。たちの悪いことにカーチェイスまである。幸いにも銃撃戦は出てこない。少なくとも、いまはまだ。
 細谷がゴンゾと初めて顔を合わせたこのときの行動には、わたし自身、とある記事で知って腑に落ちぬ思いをさせられた。読者の気を惹くための捏造かと思ったほどだ。脅して圧力をかけるだけなら何も車で追跡しなくとも、屋敷を出る前に呼び止めれば済むはずだ。なぜ最初から素性のまともな人物を雇わなかったのか。それこそ闇の世界の顔役めいた田澤老人から、いかがわしい人物を紹介されておきながら、そんな真似をするのは筋が通らない。
 ひとつの説明は、ゴンゾを雇ったのは姫川宗一郎の独断であり、細谷には何も知らされなかったというものだ。ゴンゾに自ら説明したように、田澤老人は姫川会長と古くからの友人だった。秘書の立場にありながら蚊帳の外に置かれては、細谷はさぞおもしろくなかったろう。悪い予感は的中、御曹司が暴力をふるわれたとなれば、けまわしてどこの馬の骨か突き止め、二度と姫川家に近づかぬよう警告したくなるのも無理はない。
 そうであってもやはり屋敷で声をかけなかった理由にはならない。無言で顎をしゃくってみせるなり、家政婦に連れてこさせるなりして、応接室へ呼びつければよかったのだ。なるほど相手は、子守を命じられた登校拒否児をいきなり殴り倒すような、物騒な輩である。一刻も早く屋敷から追い払いたかったというのはあるかもしれない。であるならば改めて後日、弁護士に訴状など用意させ、強面とともに差し向けるのが筋ではないか。
 そもそもなぜ姫川工業会長の秘書はこの時刻に屋敷にいたのか。自分を除け者にして選ばれたゴンゾを危ぶみ、あえて泳がせて身辺調査をするつもりだったのかもしれない。しかし、だとすれば姫川宗一郎はなぜ秘書の勝手なふるまいを許したのか。記録を信ずるなら会長はこの日時には、青葉市中央区にある本社ビルの執務室にいたはずなのだ。秘書が離れていて不自由も疑問も感じなかったのか。
 あるいは細谷はのちに明らかになる姫川尊への執着から、勤務先を抜け出してまで、正体のばれぬ距離を保って監視しようと試みたのかもしれない。いずれにせよ憶測の域は出ない。おかしな登場人物がひしめいて踊り狂うようなこの物語の、ばかげた滑稽さもおよそ繕いようがない。ゴンゾとミコトを巡る逸話はとかく筋の通らぬことばかりで、それらの矛盾を説明した書物にはいまだ出逢わない。
 わたしたちは真実味に欠ける邪悪な喜劇の世界に生きている。神という脚本家はいつも取材の手を抜き、辻褄の合わぬおざなりな混沌へ登場人物を放り込む。行き当たりばったりで破綻した物語は、伏線の回収すら忘れられ、人気の出ない連載のごとくあっさり打ち切られる。わたしたちは人生の脇役でさえない。せいぜいが編集で棄てられる見切れた通行人でしかない。逃亡生活中にゴンゾがたびたびミコトに語ったように、愛や成功はよその世界の見知らぬ他人のためにあるのだ。
 梶元権蔵が屋敷に滞在していた時間は短かったが、ロードスターはじっとりと濡れて冷えていた。エンジンをかけ、蛇行する暗い道を降りながら、ゴンゾは熱い湯に打たれることを考えていた。普段は強迫的に手を洗ったりうがい薬を買い占めたりする輩をばかにしていた。乾いた血で膚が痒くなっても、鼻の奥に焦げた髪の毛の臭いがこびりついても、お気に入りのビートル・ブーツを糞尿で汚されても、この午後ほど風呂に入りたくはならなかった。
 和洋折衷の広大な屋敷、女装少年の邪悪な目つき、頭のおかしい家政婦……。あたかも汚染された空気に被曝したかのような思いだった。歪んだ闇が粘膜から侵入し、身中に火をつけるかのようだ。そのように心を動かされたことはそれまでになかった。そのことをゴンゾは奇妙に感じた。
 モーターが唸って監獄めいた重い門がひらき、解放されるかのような思いで滑り出た。街が遠く感じられた。姫川邸は小高い丘にあり、敷地を離れてもしばらく建物はまばらだった。バックミラーに映る黒いクラウンに気づいたのは市街地に差しかかったときだ。いつからけられていたかわからない。姫川邸の敷地内にはいなかった。どこかで待機していたのだろう。ゴンゾはアクセルを踏み込んだ。スキール音を立てて急ハンドルを切り、強引に割り込みをかけた。華々しいクラクションを浴びる。大きく引き離した。追っ手は車列に消えた。
 相手を振り切っただけでやめるつもりはなかった。たまに人間を殺害して稀少な古書を報酬として受け取り、それを換金して暮らしているほかは、ゴンゾの日常に漫画的なところはなかった。せいぜいが戸籍がないとか税金を払っていないとか、田澤老人に紹介されたアパートに無料同然の家賃で住まわせてもらっているくらいで、あとはわたしたちと何ら違いはなかった。コンビニやドラッグストアで食料や日用品を買い、仕事のないときには水まわりの掃除や靴下の洗濯をする、日雇い肉体労働の独身中年にすぎなかった。殺し屋にとっても交通法規違反は非日常の体験だったのである。
「ジョニー・B・グッド」を演奏する若きマイケル・J・フォックスさながらに彼はノリノリだった。煽り運転の常習犯は自己愛型妄想のサイコパスであり、弱者のみを標的とすることが知られている。彼はサイコパスではあっても現実主義者であり自己愛者ではなかった。そしていささか破滅願望のきらいがあった。相手が高級車に乗っていようが、自分と同様かそれ以上のサイコパスであろうがお構いなしだった。この時点で細谷がいかなる人物であるか、姫川尊の人生に何をなしたか、ゴンゾには知り得なかったわけではあるが。
 迂回してクラウンの背後へ回り込んだ。今度はゴンゾがクラクションを鳴らしてやる番だった。向こうのバックミラーに運転手の怯えた顔が映った。眼鏡をかけた神経質そうな男だ。しばらく煽って遊んでやってからパチンコ屋の駐車場へ追い詰めた。日中の郊外店に車はまばらだった。
 ゴンゾはロードスターを降りてクラウンの助手席側へ歩み寄った。屋根に手を置いて運転席を覗き込み、チェシャ猫みたいに笑った。マスクとサングラス越しでも気色の悪い薄笑いは伝わったようだ。痩せた眼鏡の男は視線を合わせなかったが、携帯で通報するような素振りも見せなかった。ゴンゾは窓を拳の中指でノックした。男は観念したように窓を開けて「何か」といった。平静を装ったよそよそしい声だった。
「こっちの台詞だよ。用があるなら話そうじゃないか」
「用などない」
 ゴンゾはおもしろがるように眉を上げ、ほう、と歌うようにいうと、上衣の内ポケットから携帯を出した。電話の相手と短い挨拶を交わしてから携帯を窓から差し入れた。眼鏡の男は眉をひそめて受けとり、電話越しの声に身をこわばらせた。短いやりとりを終えてドアを解錠し、助手席に乗り込んだゴンゾへ携帯を返した。
「いい車乗ってんねぇ」
「社用車だ」男は意地を張るように前方の派手な看板を見つめた。
「知ってるよ。秘書の細谷だな。会長はなんて? 尻に接吻キスしてやれと?」ゴンゾはそれがあたかもおもしろい冗談であるかのように含み笑いを洩らした。「老人のご機嫌取りは大変だな」
「何が目的だ。どうして姫川家に入り込んだ」
「そっちが呼んだんだろが。子守だよ。家庭教師をしろとさ。あのにずいぶん手を焼いてるそうじゃないか。じゃじゃ馬ならしかお目付役か知らないが、こっちにも大人の事情があって断れなかったんだよ。あんた秘書のくせに聞いてないのか」
「家庭教師なら当家は一流の……」細谷は蔑むようにゴンゾを横目で見た。
「だからさ、だったらなんでおれを呼んだのよ。話が噛み合わねえな」
「ミコト様に暴力をふるったそうだな」
「おいおい、逆だろ。ミコト様暴力をふるったのさ。怖ろしくて泣いちまったね。どういう教育をしてるんだ。一流が聞いて呆れるね」
「姫川家の問題に首を突っ込まないでいただきたい。お引き取り願おう」
「……ったくわからない奴だな」ゴンゾは大げさに溜息をついて肥満体を車から降ろした。「安心しろ。こっちから願い下げだよ。大金摘まれたってお宅らとは金輪際、関わりたくないね。違約金が欲しけりゃ田澤の親爺に請求しな。あんたのボスにもそう伝えといてくれ」
 読者諸氏には殺し屋が饒舌にすぎると感じられる向きもあるかもしれない。すでに触れたように、古書店主には無口と思われていたのだからなおさらだ。実のところ目撃者のあいだでも、彼を岩のように寡黙と描写する者もあれば、ひっきりなしに喋り倒す騒々しい奴と述懐する者もあって、要は気分によって口数が極端に変動する男だったのである。どの証言にも共通するのはその口調が、現実にはあり得ないような芝居がかった台詞まわしであったことだ。「……だぜ」「……なのさ」などと喋る人間が、果たしてこの世に実在するだろうか。だれに話しても信じてはもらえまい。だからこそ彼は不可視であった。
 とはいえこの午後、梶元権蔵が去り際にあばよ、と発語したとする伝記作家もあるが、さすがにそれは創作であろう。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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