「(愚か者は) 天使も踏むを怖れるところ (へ殺到する)」 という言葉を知っている人は多い。 しかし、 これを書いた 18 世紀英国の詩人にとって、 今の時代に詩や小説を書く人もそれを批評する人もほぼ例外なく 「愚か者」 に該当するだろう。 文学作品もそれについての批評も、 書くのはとても難しい。
落とし穴に落ちて笑いを取る芸人でもあるまいに、 「天使も踏むを怖れるところ」 にわざわざ飛びこむ 「愚か者」 たちの中に、 『インフィニット・ジェスト』 の翻訳をはじめてしまった私自身を加えたい気分だ。 今回は、 翻訳にひどく苦労して、 なのに実質的に実りはゼロだったなんとも手強い箇所、 まさしく 「天使も踏むを怖れるところ」 をお目にかける。 まずは以下、 原文と仮の訳文をご覧いただこう。
でも私たち、 その日の夜と次の日の午前中の分のヤクも手に入れなきゃならなくて、 次の日はクリスマスだったからヤクは事前に手に入れておかなきゃならない。 これって終わりのない奮闘。 ヤクをキメたままでいるのは片手間じゃできない仕事みたいなもので、 いつだってクリスマスだからって休暇はない。 人生はそういうとこがマジで大変。 そんなことないよとか言う奴にハメられちゃだめ。
[ ⋯ ] but we had to cop for that nite and tomorrow AM still which was XMas and had to cop in advance, its’a never ending strugle its’a full time job to stay straight and there is no vacation for XMas at anytime. Its’a fucking bitch of a life dont’let any body get over on you diffrent. (IJ, 129)
これは、 『インフィニット・ジェスト』 で最も重要な薬物依存の主題が凝縮されたセクション (IJ, 128-135) から。 一人称で語っているのはエミール・ミンティというゴロツキの男で、 とりあえず風貌や態度が比較的女性っぽいと思っておけばよい。 彼 (女) とプア・トニー、 そしてCと呼ばれる三人は全員ヘロイン中毒。 彼 (女) たちはどうやら男娼のようなことをして、 ちょっとした万引きやら恐喝やらをくりかえし、 手にした日銭は陽光を浴びた雪よりも早く溶けてヘロインの粉末に代わり、 それを熱して溶かしたものを静脈に打ち込む、 そんなギリギリの日々。
仮訳文の問題点は一目瞭然。 元の英文では、 アポストロフィ ( ’ ) の位置がおかしかったり、 スペルの間違いもある (× “strugle” ⇒ 〇 “struggle” あるいは、 × “diffrent” ⇒ 〇 “different”)。 しかし仮訳文は、 俗語・卑語が混じるとはいえ文法的には問題ない。 乱れて砕けた英語なら、 乱れて砕けた日本語をあてるべきだと私は思った。
ミンティの英語のスペル間違いは、 間違いではあるが発音には (ほぼ) まったく影響がない。 “It’s” でも “Its’ ” でも発音は同じだし、 英語のネイティヴスピーカーに “struggle” とは別の発音で “strugle” と言ってみてくれと頼んでも、 それこそ 「終わりのない奮闘」 になるだろう。
私は二つのルールを設定して翻訳した。 発音への影響はないが、 文字として書くと一目瞭然の間違いが日本語にもある。 つまり、 「私は」 の 「は」 を 「わ」 と書いたり、 「ルールを」 の 「を」 を 「お」 と書いたり、 「発音へ」 を 「発音え」 と書く間違いだ。 もう一つは漢字の書き間違い。 ワープロを使っているからいいものの、 「絶体絶命」 を 「絶対絶命」 と書いたり、 「完璧」 を 「完壁」 と書くような間違いは手書きの場合には往々にしてある。 耳で聞くと消えてしまうが目で見て読むとわかるこういったズレお利用しようと私わ思った。
すぐに自分の迂闊さに気がついた。 なるほど、 原文で “It’s” ではなく “Its’ ” となっている個所を、 「人生わそういうとこがマジで大変」 と訳すくらいは何でもない。 しかし、 「アポストロフィの間違いに、 “は⇒わ”、 “を⇒お”、 “へ⇒え” を対応させる」 というルールに従うということは、 アポストロフィの間違いが無い文では 「わ (は)」 も 「お (を)」 も 「え (へ)」 も使えないということだ。 場所の移動等を示す 「へ」 はともかく、 「は」 と 「を」 は主語と目的語にがっちり絡みついた基本的な助詞なので、 これを禁じられるとそりゃあもう 「マジで大変」。
こうなると、 “its’a full time job to stay straight” を 「ヤクをキメたままでいるのは片手間じゃできない仕事みたいなもの」 と訳すことはできない。 少なくともこの 「を」 と 「は」 のどちらかを使わずにすみ、 しかも十分読めるくらい自然な日本語にしてから、 残りの 「を」 or 「は」 を 「お」 or 「わ」 にしなければ⋯⋯ 「ヤクでぶっ飛んだままでいるのわ片手間じゃできない仕事みたいなもの」 ? いや違う、 この 「ヤク」 はヘロインで、 気分が高揚するんじゃなくトローンと鎮静化するから 「ぶっ飛んだ」 はおかしい⋯⋯てゆうか、 “stay straight” って 「薬物の影響が出ているまま」 という意味か? 薬物を断って 「クリーンなままでいる」 って意味にもなるんだけど、 それじゃ意味が正反対だし⋯⋯いやいや、 “straight” 「薬物を摂取していない」 に比べると用例は少ないけど、 “get straight” や “put oneself straight” で 「クスリを打って気分を落ち着ける」 という意味になる。 コカインや覚醒剤のような 「アッパー系」 とは反対の 「ダウナー系」 薬物であるヘロインなら、 やっぱり “stay straight” な人間は、 しょっちゅうヤクを打ってばかりいると考えた方がいい⋯⋯てゆうか問題はそこじゃなくて⋯⋯
⋯⋯こうして暗中模索の末にできた訳文が日の目を見ることはない。 なぜなら、 訳文を読み返して、 もう一つの難点を発見したからだ。 くりかえすが、 このセクションで語っているエミール・ミンティはスペル間違いが多い。 そのため、 “heart” を間違えた “hart” には 「心臓」 ではなく 「心蔵」、 “casually” のつもりの “cusually” には 「何気なく」 の代わりに 「何下なく」 のように書くことで私は翻訳をすすめた。 しかしここにも似たような落とし穴があった。 というのは、 もちろんミンティもあらゆる単語の綴りを間違えているわけではないが、 正しく綴っている単語には、 日本語にするとそれなりに難しい漢字になるものもあるからだ。 たとえば彼 (女) は、 「図書館」 を意味する “library” は正しく綴っている。 しかし、 「心臓」 や 「何気なく」 を正しく書けない人間が、 「図書館」 と書けるのだろうか。 書けるはずがないとは言わないが、 私にはどうしてもそれが不自然に見える。 こうして私は、 己で設定したルールで身動きがとれなくなる。 自縄自縛とはこのことだ。
ところで、 今回私がほんとうに書きたかったのは、 こういうとても具体的なことだけでなく、 少し抽象的なことだ。 自分で設定したルールという縄で自分を縛って自爆する? こんなことが起きたのは、 そもそも翻訳がほとんど不可能なくらい難しいからだ。 当たり前だが、 あらゆる言語にはそれぞれのルールがある。 翻訳者は二つの異なったルールに同時に従わなければならない。 一方のルールでは良しとされても、 他方のルールで禁じられることが、 必ずある。 それは、 ぎゅっと圧縮すると、 「私の命令に従うな」 という命令だ。 神様からそんな命令をされたら、 さしもの天使も二の足を踏むに違いない。 まして私は、 羽根など生えていない人間なのに。
私が、 小説を書いたり書こうとしている人たちをほぼ無条件で尊敬する理由がここにある。 デヴィッド・フォスター・ウォレスのように、 読みはじめて数ページで天才だと確信してしまう作家など、 私の目にはほとんど天使みたいなものだ。
もしかすると小説だけが、 「どのように生きるべきか」 を教えてくれる。 何故なら、 (優れた) 小説家は、 自分が使っている言語のルールに従いながらも、 そのルールを必ず超えていくからだ。 異なった二つのルールに同時に従う、 あるいはそれ自体で矛盾した命令に逆らいつつ従うということはそういうことだ。 そして、 小説など書いていようといまいと、 私たちはそんな板挟みから逃れられない。
「天使も踏むを怖れるところ」 は、 実はいたるところにある板挟みのことだ。 『贈収賄の構造』 の W. M. リースマンによれば、 いわゆる賄賂が行われるのは、 社会が矛盾した二つのルールに支配されているためだ。 つまり、 一方では誰もが金では買えない価値を称賛するが、 にもかかわらず他方で金がものを言う。 『ハマータウンの野郎ども』 のポール・ウィリスによれば、 学校でいわゆる不良少年たちが出現するのも、 学校が矛盾したルールを子供たちに教えているからだ。 試験で優秀な成績を収める優等生はごく一部だし、 ごく一部でなければ順位付けのための試験の意味がなくなってしまう。 それなのに、 まるで勉強すれば誰もが一番になれるかのように先生は生徒を励ましたり叱ったりする。 ルールが厳しすぎるというより、 二つ以上のルールを同時に課されて、 何をしようと罰される可能性が消えないから人生は難しい。 「そんなことないよとか言う奴にハメられちゃだめ」。
作家は自分の作品が売れてほしいとは思うけど、 だからって売れるために書くわけじゃない。 それは、 子供が失敗しても親は温かく見守るけれど、 だからって失敗してほしいと思っているわけじゃないのと同じだ——保坂和志がどこかでそんなことを書いていた。 板挟みにならず生きていける人などいないから、 あらゆる板挟みを言葉として引き受けて書く小説家は、 人間ではなく天使になろうとしている。 有機化学では、 ある物質 X を作り出す前の段階の物質のことを、 その X の 「誘導体」 と呼ぶ。 作家とは、 天使誘導体である。
以前、 何も考えず英語の辞書の例文をつらつらと読んでは書き写していたことがあった。 その時、 面白い例文を見つけた。 試しに、 “His wings are sprouting.” をどう訳すか考えてほしい。 直訳すれば、 「彼の羽根が生えてきている」。 つまり、 「彼は天使になりかけている」 ⇒ 「彼は天使みたいに素晴らしい人だ」。 私は天使みたいに素晴らしい人になりたいとは全く思わないが、 「天使も踏むを怖れるところ」 へ、 あたかも羽根が生えるのを待ちきれないかのように踏み込んでいく書き手を応援しているし、 どれほど困難でも、 デヴィッド・フォスター・ウォレス 『インフィニット・ジェスト』 の翻訳を続けようと思う。
第二回 了