杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第275回: 光の射すほうへ

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
09.13Sun

光の射すほうへ

やっぱりtwitterはやらないよりはやっていたほうが本が売れるようだ。金を投じて広告すればしないよりはやはり売れる。広告もtwitterもやめたらKENPが死んだ。綺麗さっぱり読まれなくなった。かといってtwitterには当分、近づきたくない。広告に金を投じるのもいますべきことではない気がする。あるいは読まれていてもKENPに反映しないのか。Amazonが何をどう表示しているかなんてこっちには知りようがない。売れ行きは徹頭徹尾、彼らに気に入られたかどうかでしかないんだよな。以前は気に入られたかったし、別人でなければ相手にされないことが納得できず、つらかったけれど、そもそもわたしの価値とは相容れない事実を受け入れたので、いまの不満はどちらかといえば、自分に適した場所が存在しないこと、存在したとしても見いだせないことにある。でもそれは自力で切り拓いていかなければいけないことなのだろうな。昨夜は朝までかかって四枚しか書けなかった。無理して書くんじゃなかった。無意味なゴミだ。映画を観ていれば贅沢な休日になり得たのに。要するに初期のナボコフみたいなことをやろうとしているのだけれど、つまらないんだよ。しょせんは小手先の小賢しい技術でしかない。物語そのものがおもしろくなければ、それこそ話にならない。われながらよくやったと思えるのは『Pの刺激』と『ぼっちの帝国』だけだな。『悪魔とドライヴ』はたいした出来ではないけれどわたしの本としては金になった。『逆さの月』は、まぁ一冊くらいあの程度のがあってもいい。『GONZO』はだめだ。書く前からわかっている。つまらないし、ひどい。文章がまるで意味をなさないし物語としても成立していない。こんなにグズグズと時間ばかりかかって少しも進まないのは最初から失敗だとわかっている五百枚の長編を書くのが初めての経験だからだ。2005年に『Pの刺激』に行き着くまでの若書きはどれもゴミ以下だったけれど、取り組んでいるあいだは傑作のような錯覚を得ていた。2004年の『KISSの法則』は失敗作ではあるけれども、あれでコツを掴んで『Pの刺激』につながったので、個人的には意味があった。他人に読ませられる出来ではないけれど。去年の『ぼっちの帝国』は細かいところまで最初からイメージできていて、あとは書くばかりだった。書く端から鮮やかなイメージが湧いてきていくらでも書けた。あれが売れていたら何かが違っていたかもしれない。腐っていたら思いがけない手紙が届いた。すっごい原稿だ。諦めていただけに嬉しさも大きい。読者にお目にかけられるのが楽しみだ。文章家の書くものは、やっぱりいいねぇ。作品ばかりか手紙に至るまで深い味わいがある。うまいウィスキーみたいに。暑い夏にジムで汗を流したあと、風呂上がりにごくごく飲んじゃうビールもうまいけど、秋の静かな夜に時間をかけてじっくり味わうウィスキーが何より好きだ。読者にも楽しんで味わってほしいな。手紙は見せてあげないけど。そればかりは醸造所の特権だ。くそみたいな自分の小説なんか書いてる場合じゃないよ。いまのところ口説いた作家には全員ご寄稿いただけている。しかもどの作品も狙い通り、というか予想を遥かに超えてすばらしい。人並みの知能を有していたら本物の出版社を興していたかもしれない。金と法律に疎いのでepubやPODやWordPressを利用したD.I.Y.のサミズダート以外やるつもりはないけれど。ソーシャルな機能を人格OverDriveからオール・トゥモロウズ・パーティーズに切り分けたのは正解だったな。内輪受けみたいに思われかねない。読ませるサイトは読ませることに厳しく特化したほうがいい。ATPは現状わたしが独り言を垂れ流すだけの場になっているけれど、今後もそうとは限らないじゃないか? 人格OverDriveはActivityPubを話すので見かけ上、ATPのアカウントと区別がつかないけれど寄稿者へのファンレターはATPの各アカウント宛にください。人格OverDriveのお問合せフォームからでもいいけどね。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告