アメリカの作家デヴィッド・フォスター・ウォレスは、 私がその名前を耳にしたとき既に死者だった。 彼の大長編 『インフィニット・ジェスト』 (Infinite Jest, 1996) を翻訳するにあたり考えた事柄を書いていこうと思う。 この 「人格OverDrive」 での連載を杜昌彦氏から打診された当初、 私はかなり消極的で、 しかし結局は引き受けた。
ここはひとつ試験問題風に、 翻訳中の 『インフィニット・ジェスト』 の一節をあげて、 私が直面した問題を紹介しよう。
問1 以下の文章の英語部分の訳語を書け。 (配点:無限小/制限時間:無限大)
それぞれ 12 歳、 11 歳、 10 歳のピーター・ビークとエヴァン・インガソルとケント・ブロットが並んだロッカーの前の白っぽい木製ベンチに座っていて、 タオルを巻き肘を膝がしらにつけ、 話には加わらずにいる。 それはゾルタン・チクセントミハイも同じで、 彼は 16 歳だが英語はほとんどしゃべらない。 今年からの新顔で人種的には曖昧なイドリス・アルスラニアンは 14 歳で、 “all feet and teeth” ロッカールームのドアのすぐ外に影のように潜んでいて時折その非白人的な鼻先を突きだしては引っ込め、 ひどく内気だ。 (IJ, 97-98)
舞台は、 ボストンにあるとされる架空のテニス・アカデミー。 これはプロのテニス選手を養成する小中高一貫の全寮制学校のようなものであり、 あの日本人プロテニス選手 K.N. もこうした学校に通っていたそうだ。 主人公である 18 歳の少年ハル・インカンデンザが通うエンフィールド・テニス・アカデミー(ETA) では、 今日も壮絶な練習を終えて、 少年たちがシャワーを浴びる。 問題文では、 いわゆる 「三人称の語り手」 が半ばハルの視点を借りて、 そんな生徒たちを外側から見て語っている。
私が面食らったのは “all feet and teeth” という表現だ。 ネット上のスラング辞典等でもこんな表現は見つからず、 “foot” (脚) と “tooth” (歯) はどちらも不規則な複数形になる名詞の代表例! といった英語初心者向けのサイトばかりだ。 このイドリス少年について描写・説明している一節の意味は一体何か? 「すべて脚と歯」 ? 「脚と歯しかない」 ?
なるほど、 肌の色に関係なく、 暗がりの中にいる人間がニタリと笑って歯を見せるとその白い歯だけが浮き上がって見えることはあるだろう。 トマス・ピンチョン 『重力の虹』 にもそういった描写がある。 しかし脚の方は? わからない。 全くわからない。 私の脳裏には、 歯を見せて笑う口元からにょきっと二本足が生えた妖怪の姿が浮かんだが、 この妖怪ですら正確には唇があるので、 “all feet and teeth” なイドリスの正体が私には全くつかめず、 仕方ないので昼食に出かけた。
コンビニに向かう途上で私は 「あぁ!」 と叫ぶ。 答えは、 最初から私の目の前にあった。 明らかに、 ETA には英語圏以外からの留学生もいる。 そしてテニスの実力が重視されるため、 英語の語学力は入学・編入にあたっての重要な要件ではないようだ。 苗字からすると東欧の家系と思われるゾルタン・チクセントミハイは、 英語がほとんどしゃべれないと直前に書いてあるではないか。 妖怪じみた姿になるところだったイドリスも同じだろう。 イドリスは英語が苦手で、 「脚」 や 「歯」 に関する単数形/複数形の使い分けができないために、 単数形 (foot / tooth) であるべきところでいつも複数形の “feet / teeth” を使ってしまう。 つまり、 “all feet and teeth” というわけだ!
この解答にウキウキしていた私は、 即座に鼻っ柱を折られた。 わずか数頁先に、 こう書いてある。 「イドリス・アルスラニアンの靴と前歯が束の間、 入り口のところの湯気の中に現れて、 そして引き下がる」 (IJ 101)。 何だこれは。 ということは、 やっぱり “all feet and teeth” は、 複数形にする時不規則変化をする単語のことではなく、 文字通りイドリスの両足や歯のことだったのか⋯⋯。
拍子抜けだが、 こういうことはいくらでもある。 『インフィニット・ジェスト』 翻訳についての連載を打診された時、 私が消極的だった理由もお分かりいただけるだろう。 小説とはその全体を通じてある種の効果を与えるものなので、 全体を翻訳しない限りこの作品について何か書くことはできないと思ったからだ。
だが、 それでも連載を引き受けたのは、 結局全体を読んだところでわからないものは分からないだろうと確信しているせいでもある。 なにより、 「イドリス・アルスラニアンの靴と前歯が束の間、 入り口のところの湯気の中に現れて、 そして引き下がる」 という状況を、 私たちは映像として思い浮かべられるだろうか? 靴を履いている両脚の太腿や脛は何故見えていないのか? 何故歯の周りの唇や、 顔の鼻や目が描かれないのか?
私は、 案外自分が閃いた解答が間違っていないのではないかと思いはじめた。 主人公であるハルは、 テニスの実力もさることながら、 OED (『オクスフォード英語辞典』) を丸々暗記しているらしい言葉の天才であり、 他人の言葉の間違いには敏感である。 ハルには世界が言葉として見えており、 言葉のフィルターが常人よりもはるかに強い。 “feet / teeth” に関する間違いをする人間としてイドリスを認識したハルには、 イドリスの脚と歯だけが特に視界に飛び込んでくるのではないか。 ハル・インカンデンザは、 言葉の中に閉じこめられた人間ではないのか。
ところで、 すでに死んだ作家の作品を訳す私も言葉の囚人である。 私が抱く疑問の答えを知っていそうな男はすでにこの世にない。 だが、 本当のことを言えば、 作者が死んでいようがいまいが、 小説の翻訳や、 それを単に読むことですら、 本来はそんな牢獄に似た体験なのだ。 この連載は、 不可能な脱獄に向けた試行錯誤となる。