若林 理央

知らないともだち

第6話

若林 理央書いた人: 若林 理央, 投稿日時: 2020.09.17

 病院を出る前に、私はみのりに貝を拾った場所を教えてもらった。みのりは「遠いところ」と言っていたが、二時間あれば行ける距離だった。
 電車とバスを乗り継ぎ向かう。
 体は疲れ果てているのに、自動的に心が目的地へと向かってしまう。この数年、自分の中に存在していないと信じ込んでいた行動力が暴れ出している。
 もちろん海に行ってもえりに会えることはない。

 電車の中でえりの現在の姿を想像してみたが、うまくいかなかった。私の心に浮かぶえりは十代のままだ。今はもう二十代半ばになっているはずなのに。
 ふとみのりに冷たくしてしまっただろうかと思った。みのりは入院していた頃のことを思い出しながら貝を拾い送ってくれたのだ。もう少しやさしく接すれば良かった。
 そこまで考えて、私は思考を止めた。そもそも人と話したいと思ったのが久しぶりだから仕方ない、と自分に言い聞かせた。
 電車の揺れは疲れを癒してくれた。夢の中で最後に見た寂しそうなみのりの顔が浮かんでは消えた。浅い眠りからさめると窓の外に海が見えた。電車を降りると潮の香りがした。
 十月なので駅から海に向かう道は静まり返っていた。飲食店もいくつか見つけたが、中は暗い。電車の中の心地よさは消え疲れが戻ってきた。私はなぜここに来たのだろうと考えながら歩いた。
 目の前に広がる海を見ても感慨は得られない。曇っているせいで泥水のような色をしていた。海に近づくと寒さが増した。
 砂浜に降り、貝を探してみる。どれも土で汚れている。きれいな白い貝は、数分探しても見つからなかった。怠さが限界に達し、あきらめてすわりこんだ。紺色のスカートに砂がつく。
 いつも家でするように、寝そべってみる。髪が、手の甲が、足が砂の中に沈むようだった。
 体の下にいくつかの貝があった。みのりから届いた貝を踏んだことを思い出した。あのときのようなかすかな痛みは感じなかったが、色は違っていても同じ貝だ。私は大きく息を吸った。
「会いたいね、えり」
 つぶやいてから、なんだかおかしな気持ちになった。
 私は会いたいのだろうか。えりに。

 目を閉じて再び開けると、空は私の家の天井と似た色をしていた。

 隔離病棟で泣いていた自分の姿が蘇る。
 入院する前、理由のない息苦しさを紛らわすためによく手首にカッターをあてた。心が落ち着くのは痛みを感じているときだけだった。親にカッターを取り上げられた後は睡眠誘導剤をたくさん飲んで眠りに落ちた。死ぬまでの長すぎる日々を耐えるにはそれしかないと思っていた。精神病棟に隔閉じ込められた後、私は何度も泣いた。
 記憶が鮮やかな色を帯びていく。

 まぶたの裏にえりが浮かぶ。
 やがてえりは白い貝になった。
 まぶたから体の奥深くまでえりが詰まっていく。蘇った記憶が白い貝に覆い隠された。
 目を開けて立ち上がると、体が前より重くなっているような気がした。砂浜には今も白い貝がたくさん埋もれている。だけど私は、みのりのように貝を探すことはもうしないだろう。
 鼻をつく潮の香りがどんどんと強まり、波の音が迫ってくる。
 心の奥に埋めた貝を一つずつ外に出した。白い貝が砂浜に散らばっていく。
 えりに二度と会うことはない。白くて柔らかい手をつなぐことももうない。
 その事実が、ゆっくりとしみ渡っていった。


雑誌とWebで取材記事(漫画家・外国人・企業)や書評を書いています。好書好日/ダ・ヴィンチニュース他。 執筆実績 https://www.wakariowriter.work/entry/portfolio波乱万丈な人生はエッセイにhttp://note.com/wakario 編集者と日本語教師もしています。読書とフランスが好き。
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