諸屋 超子

豚はいつ飛ぶ?

第8話

諸屋 超子書いた人: 諸屋 超子, 投稿日時: 2020.09.09

 美容室mignonは、僕にいろいろなことを教えてくれた。うつ伏せにならないシャンプー台、髭の剃ってもらえない整容、それだけでは役に立たず整髪料の助けを必要とするパーマ、いつの間にか足されていくオプション料金。
 丸山くんは、ブーツを買う予定で余分にお金を持っていたけど、眉染や、パーマの種類がトリートメント効果の高いなんとかにして、スパ気分ののマッサージ付きシャンプーまで追加したらしく、会計は予定の1万6千円を大きくオーバーしていたし、チャラいお兄さんに、「イケてる」ブーツは4万円近くするものだと教わって、帰りに買うのは、ヘアワックスに変更していた。物販は、もちろんチャラいお兄さんの懐が潤う仕組みだ。
 僕のパーマ放置中、コーヒー牛乳吉田さんは、シャンプー台でモゴモゴ言ってた女の子に雑誌を持って行ったり、ジュースを出したりしていた。モゴモゴ姫は、吉田さんに会釈こそするが、関心はなくミスターとれかけパーマにご執心だ。
 とれかけパーマはニコニコとうなずいたり、驚いてみせたり、さっきの無愛想さとは打って変わって、とても魅力的な人物然としてモゴモゴ姫を盛り立てていた。僕は、鏡の前に並べられた3冊の雑誌を代わる代わる手にとっては、話題の映画コーナーと、見たことのあるやけに顔の整った俳優たちのインタビュー「限界にチャレンジしたいんです」「新しい自分への挑戦です」「休日はただただ空を眺めています。僕、わりと根暗なんですよ(笑)」を拾い読みして暇を潰していた。
「ごめんなさい、竹村さんのお好きな雑誌じゃないですよね?」
 突然、吉田さんが隣にやってきて、代わりの似たような雑誌をいくつか手に立っていた。
「いえいえ、僕、映画とか割合好きなんで、映画の最新情報を読んでました」
「映画かぁ。私しばらく観れてないなぁ」
 雑誌を交換しながら、中の一冊を手に取って、吉田さんはパラパラとページをめくった。そのリラックスした様子が、とても色っぽくて、僕はドギマギした。
「あの、竹村さん、彼女募集中って言ってましたよね?」
 僕はとっさの質問に、混乱した。言っていたか? いや、言ったのかな? 彼女はいないと返事したけれど、(しかも見栄をはった色男然とした口ぶりで!)募集中なんて言ったかな? 僕は彼女がいないことが、イコール募集中になっているらしいことを理解するまでに、時間を要した。しかし、僕が答えにたどり着く前にもっと驚く一言を吉田さんは言った。
「ご迷惑でなければ、連絡先をお聞きしてもいいですか? 個人的に」
それはごく音量を抑えたひそひそ話の聴き方で、しかし地獄耳の丸山くんは聞き逃していないらしく、いやらしい視線をこちらへ繰り返し送ってくる。僕はイエス以外にあり得ないはずの言葉がなかなか喉から出てこない。
「ご迷惑ですか?」
 あまりにも長く沈黙している僕に不安になったらしい吉田さんが尋ねた。僕はいやいやいやと、顔の前で右手を大きく左右に振るという、なんとも中年じみた返事をやっとこさ返した。
 そこからは素早くペンと紙を渡されて、僕はミミズの這うような文字で滅多に人に教えることのない電話番号とメールアドレスとなぜだか家の住所まで書いて渡した。なぜ住所だったのか。彼女が手紙を出してくれるとでも? 
 住所の書かれたカードを見て、吉田さんは少し笑って、代わりのカードをくれた。
「これ、私のアドレスです」
 そこには、彼女の髪色には似つかわしくないような達筆で名前とメールアドレスが書かれていた。
 その時の僕の気持ちはあまり話したくない。君みたいに共感能力の高いタイプに限らず僕が少なからず浮かれていたことくらい容易に想像できると思うし。
 慰めてもらう気なんてないんだけど、誰だって浮かれるよね? 丸山くんなんて、僕よりウキウキしてるように見えたよ。


長崎市にある本のセレクトショップ『Book with Sofa Butterfly Effect』店主。読書について、本について、文学について。好きなことは「しゃべって、読んで、無駄な時間を過ごすこと」。本を通じて人と人が交わる場所をつくりたい。月2~4回、本を読んでいなくても参加できる読書愛好会を開催。編集室水平線ウェブサイトにて連作『コロナinストーリーズ』連載中。紹介記事:朝日新聞長崎経済新聞西日本新聞
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