諸屋 超子

豚はいつ飛ぶ?

第7話

諸屋 超子書いた人: 諸屋 超子, 投稿日時: 2020.09.02

 髪の毛が魔法みたいに乾いていく。僕の頭上を行きつ戻りつするコーヒー牛乳の赤く荒れた繊細そうな指のスキマから、僕の無駄に艶やかなハリのある髪が飛び出す。
 さっきまで漆黒だった髪は、今やコーヒー牛乳より濃くてテラテラした茶色。その色は僕の情けなく垂れて途切れがちな眉や、さっきの爆弾投下以来、急激に上がった脈拍を示すように紅潮した頬を際立たせる気がした。
 ちなみに、服装規定の緩い職場に勤める丸山くんの髪は僕より大胆な金髪で、しかし、それはどことなく垢抜けない、いやに赤っぽい金になった。
 おまけに丸山くんは剛毛で、眉は二匹のまるまると肥った毛虫のように存在感を誇示し、チャラチャラした男が何やら塗ってアルミホイルでそれを隠した。
「緩めにパーマかけていきますね」
 コーヒー牛乳が何やら青っぽい筒状のものを僕の髪に巻こうと奮闘を始めたが、髪が短くて滑るらしく、なかなか上手く巻けない様子だ。
「吉田」
 ロン毛のとれかけパーマは横柄にコーヒー牛乳に呼びかけて、顎をしゃくった。コーヒー牛乳は顔を赤くしてとれかけパーマが立てるだけのスペースを譲った。
「失礼しますね」
 ぞんざいな態度で僕に声を掛けた取れかけパーマは、ひと巻くるくると僕の髪を巻き、パチンとゴムで留め、人差し指でコーヒー牛乳改め吉田さん(クリスタルケイが好き。シャンプー時に知り得た情報)に近寄るよう指示し、せっかく留めたゴムを外して、また髪を束で掴んでくるくると巻き、今度はゴムも留めずに筒をひっくり返したり、捻ったりして見せてから立ち去った。
「ごめんなさい、竹村さん」
 可愛らしく駆け寄った吉田さんが、少し元気のない顔で言い、今度は滑らずに髪を巻き始めた。
「いや、なんかすみません、僕の髪が短いせいで」
 僕は生まれて初めて髪の毛について謝った。今まで頓着せずに過ごしてきたけど、確かにこれは僕の髪だ。吉田さんのためにもう少し伸ばしておけばよかったよ。その猶予もくれなかったアルミホイル丸山を恨む。
 吉田さんは、そこから髪を必死に巻きながら、髪を巻く技術を競う大会があること、そのために閉店後遅くまで残って練習すること、さっきの先輩(ミスターとれかけパーマ)は地区大会で優勝していることなどを話して聞かせてくれた。
 僕は、よくわからない大会が世の中にはあるもんだなって気持ちと、でもよく分からないことに必死になっている吉田さんのいじらしさへの感慨と、とれかけパーマは自分の髪でも巻きなおせよって気持ちと、ところでさっきの質問の意図はなんだったんだって強いじれったさからこんな間抜けな返事をした。
「寝不足、疲れは美容の大敵ですよ」
 面白くない。不適切。少しも心を掴めていない。この発言の間抜けさは、吉田さんの曖昧な笑みでよくわかるのに、僕はまるで自分が気の利いた冗談を言えた時みたいにクククククと一人で笑った。
 もし君が、僕の笑い声を聞いたら思ってくれよ。あれはあいつの泣き声なんだって。なんだかよくわからないタイミングで、支離滅裂な言動をしてしまう。それが僕みたいなタイプの男の悲しいサガだ。
「あの、体が資本ですからね、無理のないよう頑張って」
 そう言えたなら、きっと不器用な男として認められやすいのだろうな。丸山くんの金色に染まった眉と、うっすら赤くなった眉周辺の地肌を見つめるフリをして、僕は胸の内で大いに我が身の不幸を嘆いていた。
 丸山くんは無邪気に、
「まつ毛も染めなくていいんですかあ?」
 なんて恐ろしいことを尋ねて、チャラついた兄ちゃんが腹の辺りから二つ折りになるくらい笑わせていた。


長崎市にある本のセレクトショップ『Book with Sofa Butterfly Effect』店主。読書について、本について、文学について。好きなことは「しゃべって、読んで、無駄な時間を過ごすこと」。本を通じて人と人が交わる場所をつくりたい。月2~4回、本を読んでいなくても参加できる読書愛好会を開催。編集室水平線ウェブサイトにて連作『コロナinストーリーズ』連載中。
butterfly-effect