うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第26回: 父とインターチェンジにて

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.08.26

 父は日帰り旅行が好きだった。だからといって、一家水入らず、家族との会話が弾むかというと、そんなことはない。
 むしろあまり家族との会話に楽しみを見い出している風には見えなかった。
 日頃から、自身では面白いと感じているのであろうつまらぬジョークを披露するとき以外、あまり笑っている印象のない、寡黙で無粋な人だった。
 そう、自分が面白いと感じたジョークを飛ばしているときにだけ、臆面もなく、子供のように声を上げて笑うのだ。
 そんな自分のジョーク以外ではめったに笑わない父が、なぜ家族を連れた日帰り旅行にこだわっていたのか。その本当の理由を知ることはもうできないが、推測することならできる。
 考えられる理由は二つ。一つは彼なりの不器用な優しさからだったのかもしれない、ということだ。
 あの頃は、レジャーという言葉の全盛期だった気がする。週末は家族との思い出作りに勤しむ。そんな父親を持つ家族像が車のCMやなんかで持て囃されていた時代だったかもしれない。そういえば父はあの頃、執拗に「イプサム」を欲しがっていた。母の許可が貰えず、長くごねた末、断念したようだったが、あれこそ家族団欒の象徴ではなかっただろうか。
 そんなイメージの枠の中に、子供たちを入れてあげようとしたのかもしれない。
 と思ったが、違った。
 ウィキペディアで調べたところによると、「CMは家族向けというより、まるで子供向けの玩具のようなコンセプトで製作された」のだそうだ。父はただ、自分の玩具を欲していたようだ。
 二つ目の理由は、単なる見栄だ。
 父は我が強いようでいて、世間体をひどく気にしているように私の目には映った。私が不登校になったとき、「学校は友達なんか作りに行くところじゃない! 勉強だけしに行けばいいんやろが!」と怒鳴り散らされた。それはそのまま、自身への言い聞かせだったのだろう。
「会社は人間関係なんか作りに行くところじゃない! 金を稼ぐことだけ考えていればいいんやろが!」
 自分の子供が「不登校」という、そのまま進めば「社会不適合者」となりかねない未来を想像して、極度に恐れたのだろう。
 父の想像は、半分当たって半分はずれたと言える。

 そんな父との印象深い思い出がある。私が小学校低学年だった頃、その日も家族で日帰り旅行に出掛けていた。
 よく晴れた日で、いつもなら「ガソリンがもったいない」という理由から、車の停車中は真夏でも真冬でも極力エアコンを付けようとしない父が、あまりの暑さにエンジンをかけ、低い温度設定でガンガンに冷房を効かせていたことをよく覚えている。

 私は日帰り旅行そのものよりも、高速道路のインターチェンジで売られている、熱々の竹輪が大好物だった。食べた回数は数えるほどしかないのだが、家で食べるそれとは明らかに違う食感に一目惚れし、インターチェンジで竹輪を見かけるたびごとに、そのメニューから目が離せず、涎が垂れるのを我慢していた。
 父は「ド」が付くほどのケチで、子供が欲しいものをおねだりする行為そのものに目くじらを立て、露骨に機嫌が悪くなった。
 だから私はいつも欲しいものがあるときには、母にお願いした。しかし、ほとんどの場合、母に決定権はなく、私が母にお願いするのは「父にねだってもいいか」という許可を得ることだった。

 その日、母と姉は土産物コーナーへ向かい、父と私はふらりと建物内を一周したあと、買い物に長くかかりそうだった母と姉を残して車へ戻った。
 私はそのとき、このままでは母に「父に竹輪をねだってもいいか」という許可を得るタイミングは訪れないと思った。なぜならその密談は、父のいる前では決してできないからであって、母らが車に戻ってくれば、そのまま車は発進してしまうに違いなかった。
 一か八か。私は父に直談判した。ストレートに。竹輪が食べたい、と。
 すると父は何も言わず、おもむろに車のエンジンを切った。
 車から降りて慌ててドアを閉めて父の背中を追うと、父は竹輪の売ってあるキッチンカーの前で足を止めた。
「やったーーーーー」
 今日は父への「ご機嫌取り」が好感触だったのは錯覚ではなかったようだと安心し、私は心の中で勝利の雄叫びを上げた。私は私の仕事を誇りに思った。そのご褒美がいま、竹輪となって授与されようとしている。
「竹輪、ひとつ」
 父はポケットから小銭を取り出して店員に渡すと、すぐに踵を返して車に戻った。私ははやる気持ちを抑え、この手に竹輪が渡されるのを待った。

「うんまっ」
 咀嚼音が間断なく私の脳内に響いている。
 そしてゴクリと飲み下す。しかし飲み下したのは「竹輪」ではなく、「唾」であった。

 父は熱々の竹輪を「はふはふ」と言いながら旨そうに食している。
 私はといえば、魂の抜け殻となって放心し、旨そうに竹輪を喰らうその様を助手席から時折ちらちらと窺うだけであった。
 これ以上の申請は、ご法度であるような気がした。それでも勇気を振り絞り、私は父の機嫌を損ねぬ程度に、遠慮がちに哀願した。
「少し分けて……」
 すると父は「もう食った」と言うなり、最後の一口を口に放った。

 私は心が潰れる音を聞いた。ちょうど水中で変な具合に耳の中に水が浸入し、耳殻が麻痺し、遠近感のつかめない感覚に襲われるような心許なさが私を包んだ。

「これ、押してみ」
 水が入ったままの耳に、遠くから聞こえてきたのはそんな声だった。
 父が指差す方向に力なく顔を向けると、そこには赤い三角のマークが入れ子になっている図形が描かれた丸いボタンがあった。
 よく意味がわからなかった。しかし何か言わねばという気持ちと、潰れた心の修復に手間取り焦っていると、続けて父は言った。
「これを押すとな、おにぎりが出てくるんばい」
 父はそう言って満面の笑みを浮かべ、声を上げて笑った。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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