うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第22回: 蟻の巣観察記

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.08.21

 私は無職になった。このままなにも計画を立てず、惰性で生活を送ることになれば、転職はおろか一人暮らしの計画すら頓挫しかねない。
 傍から見れば、タワマンの実家暮らしなんて、暮らしぶりは快適で、お金も溜まっていいじゃないかと思われるかもしれないが、その思考はテンプレすぎやしないか。
 選択肢の中から選んでその場所にいるのなら、それは幸運と呼べるかもしれない。
 だが、私にはこの選択肢「しか」ないのだ。他を選ぶことは現時点で色々に複雑な事情が重なり合い、家から出ることが叶わぬのだ。これは蟻地獄ならぬ、蟻の巣地獄だ。
 そんな蟻の巣地獄とは如何ほどのものか、人様に御覧に入れるため、「蟻の巣観察記」と称してここに記録したい。

 さて、私は以上のような事情から怠惰な生活を送らぬよう、日課表を作った。そのルーティンを守って生活を送ろうと心がけている。少なくとも早朝のランニングだけは、欠かしたことがない。

 私が早朝、ランニングのために早起きをし出すと、それまでの母の朝の時間の使い方が変わった。帰宅後のシャワーが終わる頃には、朝食が用意されるようになっていた。
 そして母はいつも、私と食卓を囲みたがる。そう、姉ではなく、私なのだ。
 夕飯も「出来たよ」という声掛けがあり、向かい合って食事をしたくない私は30分ほど遅らせてから食卓へ向かうと、まだ母も食べておらず、私が現れたのを契機に「よっこいしょ」などと言ってリビング続きの寝室からヌッと姿を表し、馬鹿げたテレビ番組のチャンネルからNHKに切り替える。そのまま馬鹿番組を見ていればいいものの。馬鹿は馬鹿らしくしておけばよいのだ。私の目を気にしてチャンネルを繰れば、馬鹿である上に息子に媚びるという恥の上塗りである。その低能さは、いっそう際立ち、私を余計にイライラさせる。
 それから母はご飯をよそい私の正面に腰を下ろす。すると今度はそれまでくつろいでいた、もう一年以上無職を続けている姉がリビングから出ていく。いつもの光景だ。一日の大半を寝るときは自室、活動するときはリビングとしている姉が移動するのは、私が訪れたときだ。思い込みではないかと諭す輩のためにあえて説明するなら、私が食事を終え、すぐに自室へ引っ込むとその3分後に姉は再びリビングに舞い戻り、また母とのくだらぬ会話に興じる。
 口にこそ出さぬし、態度にも出さぬよう堪えているつもりなのだろうが、筒抜けである。私は姉に嫌われている。よかった。このような低俗な姉に好かれるなど願い下げだ。

 飯を噛まずに流し込み5分もしないうちに食事を終えると、「あんた、ちゃんと噛みようとね?ちゃんと噛まんと栄養にならんってよ」ともう百回以上は聞かされたセリフを一言一句、声のトーンまで同じ調子でのたまう。痴呆が始まっているのだろうか。だとしたら嬉しい。早く私のこのようなくだらぬ思考回路諸共くたばってほしい。痴呆症になった母と姉を残して家を出て行く。そんな残虐な想像に心躍らせながら、済んだ食器類を姉のテーブルに押しやり、自室に引き上げる。そんなことはしない。想像するだけだ。

 2042分。我が家の晩飯が完成する時間だ。これは平日も土日も変わらない。担当は無職の姉だ。19時過ぎににようやくその重い腰を上げ、夕飯づくりに取り掛かる。そして二時間以上をかけて、3品ほど作る。主食・主菜・副菜。
 たったこれだけを作るのに二時間かかるものなのか。はっきり言って姉は子供の頃から鈍臭い。よく言えばのんびりしている。寝るのは大抵3時を回る。朝は早くて正午すぎだ。こんなだらけた生活が送れるのも、大病した母の世話をしているという名目で、金に困らぬ実家暮らしだからこそ為せる技だ。
 はた迷惑だ。私は、私の生活を回すとき唯一思い通りに行かぬのが、この晩飯の時間制御なのだ。
 姉の裁量で晩飯の時間が決まる。仕事をしていたあるとき、時刻は21時を回っていたため、腹が減りすぎてリビングを覗きに行った。すると、ちょうど料理が出来上がったところらしく、飯を茶碗によそうかと頭でシュミレートしていたところ、「はあ?ちょっと待ってよ」などと抜かした。言外に「あんたは飯を喰らうだけでいいね」という含みを持たせた言葉が飛び出したのだ。私はたまげた。別にあんたと私は夫婦でもなければ、飯を用意してくれていることを感謝する筋合いはない。いやむしろ、家に居ても晩飯を作るか母への「手かざし」をするかしかせぬから、そのせめてもの罪滅ぼしのつもりで働いているようだが、それに付き合わされている私に対しての罪悪はないのか。
 こうして無職になるずっと前から苦しめられていた。2042分とは晩飯ができる最速タイムであり、21時を回ることのほうが多い。
 そもそも惰眠を貪るか、母とテレビを見ながら画面の向こうの仕事人を貶すかイケメン俳優に夢想するかしか脳の無い姉の、この先の未来が私には恐ろしい。と同時に、どんな奈落へと歩んでいくのか、という他人行儀な興味本位の好奇心はそそられる。いいだろう。その未来を担保にして、現在の所業には目をつむることにしよう。
 これに加えて、姉の得意技に「人のせいにすること」がある。自分の非を絶対に何があっても認めない強固な態度だ。些末なことから大事に至るまで、姉が「これは私が悪かった」などといった科白を過去一度として聞いたことがない。これは誇張などではない。私の物心ついた頃から所有している姉の悪癖だ。
 これでいわゆる「三高」男性との結婚願望があるのだから笑える。本人は晩飯作りもその嫁入り修行の一環と考えているのかもしれないが、新メニューと称した料理の味付けはいつも濃いし、自分の都合で夕飯の時間が決まるし、手際が悪い。
 以前たまたま材料を切っている姿を見たが、本当に毎晩作っているのか?と目を疑いたくなるほど包丁裁きが下手くそで、精巧な時計を仔細に観察する職人の如く食材に顔を近づけ、ひどく丸めた背で慎重に切れ味の悪い包丁で野菜を切っている姿は見ていてこちらが悲しくなった。そのまま包丁を取り上げ、左目に突き刺して、いっそ楽にしてやろうかと思ったが、げっぷをして思い留まった。という夢想をする。

 ビッグ・マザーがあなたを見ている。

 普段はあまり近付かないようにしているのだが、洗濯物を取りに行ったり、飯を食ったりするときにはやむを得ずリビングを訪れることになる。そのとき母は必ず私のことを視界に入れる。こちらに背中を向けて姉と話し合っていても、わざわざ体を捻ってまで私を眼中に一度収めねば気が済まぬらしい。
 そして私が次にどんな行動をするのか監視している。冷蔵庫を開ければ「漬物は二段目にあるよ」と言い、コーヒーを飲むための湯を鍋で沸かしていると「なん作ると?」と言い、乾いた洗濯物を取りに行けば「靴下はそこにあるよ」と言う。
 私の目の内部に入ってくるのはいい加減止してほしい。

 「ぜんぜん(部屋から)出てこんけん、どうしよっちゃろーと思ってね」
 母は私が部屋に籠もっている時間が8時間を超えると、毎回そう言ってノックして部屋をギョロギョロとした目で覗き込み、演技めいた口調で確認してくる。
 「なんや」
 ドスの利いた低音でそう声を出すと、たちまちしどろもどろになってリビングへと帰っていく。その後ろ姿は叱られてしょんぼりするバカ犬のようだ。そんなことは言わない。夢想するだけだ。

 日課のルーティンを回し始めてから9日目。今日は起床するまではよかったのだが、朝の読書をしているうちに二度寝してしまい、早朝7時のランニング計画が狂った。目を覚ましたのは9時過ぎで、一瞬走るのをやめようかと思ったが、それでは何も変わらないと思い直し、支度を始めた。
 母はすでに起きており、寝室で正座をしていた。私が冷蔵庫を開けると「卵一個あるよ!」などと声をかけてきた。
 いつもなら私がランニングから帰宅する頃合いを見計らって、ベーコンエッグを2つ調理する。だが今日は卵が一つしかないという。つまり母は私を優先して、卵を一個残したのだ。朝食は外で摂ろう。母の言葉を無視し、冷蔵庫の扉を閉めた。そんなつもりを示したくはなかったのだが、閉めた拍子に自分でも制御のできぬ沸々とした怒りをぶつけてしまったため、あるいはそれも察知されたかもしれない。背後から受ける沈黙の視線にそれを感じた。

 恋人関係であってもこれほどの監視はすまい。浮気の証拠を抑えようと狙っているのであればまだわかる。だが、私には疑われるような何かをしているわけでも、まして母の恋人でもない。
 おかげでその日はハンカチと腕時計を忘れた。

 こんなこともある。私が夜分、トイレに起きると、その数分後に母もトイレに起きる。いや、私がトイレに向かわずとも、真夜中にふと私が目を覚ましたその数分後に、廊下を歩くズンズンという足音が聞こえ、ちょろちょろちょろ…と力のない水音が静まり返った廊下を伝って私の耳に届いてくる。なぜドアを閉めないのか。罵倒してやろうかと思ったが、腹に力を込めて盛大に放屁すると、忽ちどうでもよくなった。という夢想をする。

 間違いを「やれやれ」とは言うくせに、それがなんであるのかは相手に伝えようとしない。しかもその「間違い」というのも、「母の中での習慣から導き出された正解」であって、万人に対する効力はないはずだ。
 それをば母はいつも盛大なため息と不愉快そうな態度でもって、私に全面的に非があるということをわからせようとする。子供の時分にはその姑息なやり方にまんまと騙されていたものだ。「肯定感」がこうしていつも損なわれている感があるのは、母の教育の賜物かもしれない。子に学習されたのでは、自身が「見捨てられる」という不安や恐れから、「学ぶ」という機会を奪ってきたのかもしれない。
 この家に家事のルールがあるというのなら、それを明示すればよいだけのことではないか。なにもそんなルールにまで逆らおうなどという理不尽な思考回路はしていないつもりだ。
 私は自己不全感だけ無暗に肥大している手触りをいつもいつも覚えていたのだが、どうやらこのこととは無関係ではなさそうだ。
 受動的支配。私のこれまでの人生はこういった言葉で形容できるかもしれない。

 こうした誰のためにもならない戯言や愚痴の類も、書いているうちに自分でも気付くことのできなかった発見があったりして、そういう意味では「無意味なこと」と思えるものも、価値がある。
 価値があるという言い方は好かないが、少なくとも無駄ではなかったと思える。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
amazon