諸屋 超子

豚はいつ飛ぶ?

第5話

諸屋 超子書いた人: 諸屋 超子, 投稿日時: 2020.08.19

 翌朝、丸山くんと僕はまず、近所の郵便局のATMに立ち寄った。
「今日は2万円は財布に入れとけよ。カットアンドパーマアンドカラーで1万6千円だからな」
 1万6千円⁈ 丸山くんは騙されてるんじゃないかと不安になった。僕たちはなにしろカット2千円のバーバー山本の相場しか知らない。バーバー山本のアイパーは8千円だって書いてあったから、倍以上オシャレな美容室の値段が倍なのは妥当なのかもしれないけれど、そんなに出すなら、虹色リボンのコンサートに4回は行けるし、交通費出して別の県のコンサートに行くことだって出来たのに。
 しかし、帰りにオシャレなズボンを買うからと3万円引き出している丸山くんにそんなこと言うと、やる気がないとか、ケチだとか叱られそうだから、黙って2万円引き出した。どうせ金は貯まっているのだ。
 僕たちの暮らしは学生の頃と大して変わらないのに、収入が増えている。虹色リボンの何かを買うか、おやつや漫画を買う以外は、大した出費らしい出費もない。車でも手に入れようと貯金を始めてはいたが、誰に約束したわけでもない。
 しかしそれでも美容室に1万6千円もかかるなんて、本当にバカバカしい。不機嫌な僕に気づいているらしい丸山くんは、何気ないフリでこう言った。
「先月、佐々木くんが彼女に言われてそこの美容室に行ったらしくてさ、佐々木くん、その帰りに寄ったドトールで、年上の美人から電話番号の書かれた紙をもらったらしいよ」
 丸山くんは、雑誌の裏の宣伝じみた話で僕の機嫌を取ろうとする。魔法のブレスレットをつけた男が、札束のプールで美女二人と笑ってるやつ。くだらない。そう思いつつも、僕は魔法のブレスレットよりは、効果のありそうな美容室に向けての期待が高まっていくのも感じていた。
 初めて行った美容室「Mignon」はフランス語で可愛いと言う意味らしい。店の中は学生時代話すことのなかったタイプのひとだらけで、店名の通り可愛い美容師さんが僕の担当だった。コーヒー牛乳みたいなショートヘアに、クルクルとしたパーマをあてた姿は、さながら天使だった。僕は緊張した。黙っていると、先月たまたま見た美容師もののAVを思い出してしまう。丸山くんが勝手に渡した昨日の雑誌の切り抜きを片手に、僕の髪をめくったり直したりするコーヒー牛乳の彼女を見ないようにして、頭の中で元素記号周期表を最初から順に思い出して気持ちを沈めた。
「少しこの写真より髪が短いけど、こんな風になるようにやってみますね」
 コーヒー牛乳は微笑むと、僕に水色のケープをかけた。髪を切られている間中、僕は興奮を抑えるために、わざとややこしい話題で頭を使い続けられるように、ヒモ理論について解説し続けていた。どういうきっかけでそんな話になったかは記憶がない。
「えーすごい。頭いいんですね」
 コーヒー牛乳が感心してくれるのが嬉しかった。髪型を変えようと、決心したことで、すでに僕は生まれ変わったのじゃないかと思うほど、僕の話は彼女にウケていた。
 丸山くんの担当者はチャラチャラした感じの茶髪の男で、丸山くんはさっきからずっとブーツの話をしている。ちなみに僕は、丸山くんがブーツなんか履いているのを見たことがない。中学生の頃から同じ黒に白のラインの入ったスニーカーばかり履いている。
 いよいよ髪を染める段階がきて、コーヒー牛乳は僕のケープを水色から黒に付け替えた。
「ヘルプ入ります」
 とれかけのパーマみたいな、ロン毛の男がやってきて、コーヒー牛乳がチューブから搾り出したクリームをボウルに受け止め力強くかき混ぜた。コーヒー牛乳の彼女は、急に静かになり、僕がいくつか披露した宇宙についてのうんちく話への反応も少し薄い感じになった。
 二人で僕の髪へハケでクリームを塗り出したときには、ほぼ無言のようになった。僕は彼女が心配になり、何かもっと面白い話題をと、息を吸い込んだところで、男が静かに言った。
「今から15分くらい時間を置きます。飲み物のサービスがありますが、どれがいいですか?」
 手渡された小さなカードから、僕はカッコつけてアイスコーヒーを選んだ。本当はオレンジジュースが飲みたかったのだけれど。
 僕の頭はラップで包まれ、色の悪い肉まんみたいだ。同じく隣で肉まん化している丸山くんが僕の肘をつついたので、僕は読んでいなかった男性雑誌から目を上げて丸山くんを見た。ここには漫画本がないらしい。
「可愛いお姉さんと盛り上がってるじゃないですか」
 僕はクールにこう答えた。
「客商売なんてあんなもんでしょ」
 しかし内心は叫び出したかった。
「そうだろ⁈ 盛り上がってるよね⁈ 彼女僕のこと頭いいって。てゆーかあの子可愛いよね⁈ てゆーか、僕、もしかして今いい感じ⁈」
 そんなこと僕がいうと気持ち悪いから僕は黙って苦いコーヒーを飲んだ。
「あのロン毛がいなきゃもっと盛り上がるのにな。あいつやきもち妬いて来てたりして」
僕はニヤつかないように、もう一度元素記号周期表を最初から思い出して小さな声で唱えていたが、唇が変な風に曲がってどうしようもなかった。


長崎市にある本のセレクトショップ『Book with Sofa Butterfly Effect』店主。読書について、本について、文学について。好きなことは「しゃべって、読んで、無駄な時間を過ごすこと」。本を通じて人と人が交わる場所をつくりたい。月2~4回、本を読んでいなくても参加できる読書愛好会を開催。編集室水平線ウェブサイトにて連作『コロナinストーリーズ』連載中。
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