若林 理央

知らないともだち

第5話

若林 理央書いた人: 若林 理央, 投稿日時: 2020.08.23

「なんなんよ。退院したら私とは関わりたくない? それ言いに来たん?」
 みのりの声が震えている。いつ激昂するかわからない。彼女の様子が急変すれば、看護師が来て面会は終わるだろう。終わらせられるだろう。

 いつも、そうだったし。

 私はみのりから目をそらした。
「あいちゃん、別人みたいや。あんなにやさしかったのに」
 あい。それは私の名前だ。夫からもしばらく呼ばれたことのない私の名前。
―――あいちゃんとえりちゃんは、ほんま仲が良いね。
 昔、私はみのりにそう言われたことがあった。だが状況が浮かばない。
「ごめん。覚えてへんのよ」
 返す私の声も震えていた。
「あんたのこと、詳しくわからへん。思い出せへんねん」
 言い終わったとたん、みのりはまたまくしたてた。
「なんや。あいちゃんも治ってへんやんか。病気のままやん。それやのに、なんで私らだけまた再入院せなあかんの? ずるいわ」
 みのりの声はどんどんと大きくなる。
「知ってる? あいちゃんが仲良くしてたジュンくんとかマリちゃん…あの頃入院してた皆、ほとんどあの病院か、私みたいに別の病院で再入院してるで。マリちゃんとは入院するまで連絡とってて教えてくれたんよ。かわいそうやけど自分はまだましなんや、再入院してないもんって安心してたら私もまた入院やわ。仕事もしばらくできへん。あんたもすぐそうなるで」
 呪いのように聞こえるが、みのりは言葉にしながら自分を慰めている気がした。
 私は仕事をしていない。今は結婚している。それを言うと、みのりは傷つくだろう。入院していないこと、普通の生活ができることは「幸せなこと」なのだ。あの頃の私がそうだったように。
「えりちゃんなんて、まだ高校生やったから…」
 そこでみのりの言葉が途絶え、彼女は嗚咽をもらさないように口を押さえながら泣き始めた。
「えり」と聞いて、踏みつけた貝の色と同じような白い肌がまぶたの裏に蘇る。
「もう会えない。親が他の病院に移したのかも知れへんし、どこかの施設にいるのかも知れへん。誰も知れへん」
「えりちゃんは愛着障害って診断されたらしい」
 言葉が滑り出た。みのりが涙を袖で拭きながら聞き返す。
「何それ?」
「私もよくわからへんねんけど…診断された後、あんた死ぬ? って親に言われたらしいよ」
「親ってどっち?」
「両方」
 えりの表情が、目の前にいるかのようによぎっていく。
 あの子の親には会ったことがない。だが、えりは家族との面会が終わるたび鬱状態になり看護師と長い時間話をしていた。親によって、えりは入院中に接した人たち全員と離れさせられ、私たちの知らない場所へ追いやられたのだろう。
 成人した私も例外ではなかった。自殺の恐れがあるとして、私は自分の意思に関係なく入院させられた。「医療保護入院」という大事に扱われているような言葉で包み込まれ、隔離された。両親の日常から私が姿を消すことは何よりもの親孝行だったようだ。
 それでも私は成人していたから退院した後は親から離れられた。しかしえりは未成年だった。
「えりちゃんの親、私の親よりひどいかもなあ」
 みのりがぼんやりとつぶやいた。


雑誌とWebで取材記事(漫画家・外国人・企業)や書評を書いています。好書好日/ダ・ヴィンチニュース他。 執筆実績 https://www.wakariowriter.work/entry/portfolio波乱万丈な人生はエッセイにhttp://note.com/wakario 編集者と日本語教師もしています。読書とフランスが好き。
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