うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第20回: 憂鬱コレクション

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.08.08

 両手が空いていないと気が休まらない。だから私は極力手提げ袋の類を持たない。
 街中にいるブランドものや、ファストファッションの買物袋を大量にぶら下げた人間などを見かけると、それまですっかり忘れていた、人間がとんでもなく粗野で野蛮な存在であることが思い出されて陰鬱になる。
 つかつかと歩み寄って行き、頭を叩いてやりたくなる衝動をぐっと堪え、足元のコンクリートの凹凸や幾何学模様を眺めやる。

 片手ばかりでなく、両の手を塞いでもいいというのは、この世に対して信頼や安心をしていないと出来ない芸当だ。

 だから雨の日は嫌いだ。
 傘を持てば、必ず片手が塞がる。私の半身が世の中に対して無防備になってしまうからだ。でなくても、雨は酸性雨という毒であり、当たってはいけないと教えられて育った私は、今でも雨への恐怖がある。
 傘を畳む拍子にやむを得ず、留め具のついたバンドを触るときは呼吸が乱れるのを感じる。私は汚染されたのだ。
 幼少期に雨中で大口を開け、曇天から滴る雨水を口に受ける素振りをしたとき、少し離れた場所に居た母は、穢れたものでも見るような目で私を見つめた。
 以来、漫画やアニメで見るようなあのシーンは、毒を食らっているのだという印象がこびりついた。それから私はそんな真似は二度としないと心に誓って今日に至っている。
 そして大人になった今は、雨に含まれる放射能に悩まされている。311以来、私は空間線量を気にするようになった。雨が降ると、空気中に漂っていた放射性物質は雨粒に含まれ、それが地上に降り注ぐという。それにより、雨の日は地上付近の空間線量が高くなる。
 それはなにも原発事故に始まったことではなく、自然の摂理である。御用学者も、それを殊更に強調している。だが、その数値は如何なものか。などと猜疑心の強い私は思う。

 まあそんなわけで、私にとって雨の日というのは、片手が塞がる問題と酸性雨と放射能という三つの事柄によって、憂鬱と緊張の度合いが晴れの日と比べて二倍以上なのである。
 といって、晴れの日は晴れの日で、紫外線、大気汚染物質、黄砂、花粉などといった恐ろしい物質が空気中を舞っているので、私は常に外界に対して警戒心が常人の数倍なのである。

 それはもはや到底意識でどうとできるものではない。すでに無意識の領域にインプットされてしまったシミだ。私が痴呆症になるか、死ぬかしないと消えないのかもしれない。

 私の憂鬱コレクションはこのように多岐に渡っており、毎日が生きづらさのバラエティに富んでいる。
 それでもわりと平然に生きられているのは、おそらくそれに見合うだけの脳味噌、知能を持ち合わせていないからであろう。不幸中の幸いとはまさにこのことである。神に感謝せねばなるまい。ジーザス。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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