イシュマエル・ノヴォーク

コイディシュ・ブッフ

第20話: ウォーム・バード

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.08.07

 昼近くになってフェルドマンはベッドから起き上がった。ランニング姿のままキッチンで湯を沸かしてコップにお湯を注ぎ、缶に入ったバター味の湿ったビスケットをお湯で流し込むと紙巻煙草に火を点け、煙草をくわえたまま窓を開けた。窓の下には中庭。雑然と生えたシュロと、ベンチにうずくまって眠る男が見えた。フェルドマンは外に灰を落とし、饐えた臭い灰皿に煙草を置いた。天井に向かっていく煙が風に舐めとられていく。
 ケースからアルトサックスをとり出し、マウスピースにリードを装着すると、フェルドマンはマウスピースに息を吹き込んだ。長調と単調、モーリス・ラヴェルやクロード・ドビュッシーらが再発見するまで百年以上も忘れられていた教会旋法。オリヴィエ・メシアンやデューク・エリントンが実験的に導入したコンビネーション・ディミニッシュ。これらは分散和音で、規則的なパズルのように奏された。
 フェルドマンはレコードプレイヤーのスイッチに手を伸ばす。針が落とされたのは二年前にカナダのトロントで行われたクインテット。チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピー、バド・パウエル、チャールズ・ミンガス、マックスローチのライブ録音。この日、デューク・エリントンによる数多の代表的な楽曲から『パーディド』を選び演奏をしようと言い出したのは誰か?
 看護婦付き添いで車椅子に乗せられて会場にあらわれたバド・パウエルか? それとも、ドラッグ渦の中でもがいていたチャーリー・パーカー? 吹き込まれた録音の音量が小さいことで、後日、改めて一人でベースを録音したチャールズ・ミンガス?

 フェルドマンはチャーリー・パーカーのソロはもとより、メロディのフレージング、笑い声すらなぞる。贖罪の日にすべての命が死に、生き返り、悪が消え失せるために。数秘の中で輝くゾーハルに触れるフェルドマンは『ホットハウス』を吹く。

 受話器が鳴り、マウスピースから唇を放したフェルドマンはレコードプレイヤーの針を上げると受話器を手に取った。
「……取り込み中だ。だから? おれに何をして欲しい? ……わかった。明日の一九時だな。おれのバンド? ウォーレンは病院だからトリオだが、それでいいか? 何って、頭をやられたんだ。詳しく聞きたいのならウォーレンに会いに行け。どうせ、ヘラヘラ笑うだけだが。あぁ、そうだ。いや、いい。ハモンドとマカロックにはおれから連絡しておく」

 受話器を置いたフェルドマンはコップに残ったぬるま湯を飲み干して紙巻煙草に火を点けた。


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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