コイディシュ・ブッフ
第18話: ギンプルよりベルゲンソンへ
親愛なるロゼ・ベルゲンソン
この手紙が届く頃を考えると、返信が遅くなってしまっているだろうからまずは謝罪したい。君が住む南アフリカと、ぼくが住んでいるサウス・ブロンクスはとても離れている。しかし、こうやってやり取りをしていると、不思議なほど距離を感じない。
昨年、『言い換えると』という曲を耳にした。月に連れて行って欲しい。そのような歌詞だったと記憶している。ぼくたちが月に行くはできない。しかし、本当に不可能なことなのだろうか? 困難さと不可能であることの境界は曖昧になってきている。いずれ、この境界は消えるかも知れない。
前回の手紙では興味深い話をありがとう。
マンハッタンとブルックリンの間にはイースト川が流れていて、ここはブルックリン橋が結んでいる。橋の近くは南米からの移民が多く住んでいる。レンガ造りのアパートが建ち並び、階段には黒い鉄柵。歩いていると、子どもが階段を掃除しているのが見えた。子どもは小さく、箒がとても大きなものに見えた。ドアが開き、中から父親と、お腹が大きく膨らんだ母親が出てきた。父親はランニング姿で首からラジオを垂れ下げていた。大音量で流れる陽気な南米の音楽。音楽に合わせるように父親が踊り出した。ワルツのように旋回せず、好き勝手に手足を動かしていただけだが、肯定したくなるようなものがあった。やがて、箒を持っていた子どもが箒をギターのように持ち、刷毛を右手で弾いた。音楽を聴きつけた住民たちがどこからともなく集まり、太鼓や打ち木が叩かれた。父親が膝を出すと、その上に母親が腰を下ろした。父親がぼくのほうを向き、黄ばんだ歯を見せた。ぼくは手を振り、歩き去った。
この国には様々なものが生きている。それぞれが独立し、時に反目しているが、大きな力が渦巻いてもいる。ここではぼくたちの言葉も生き延びることができるだろう。
編集長のボリス・ミジェレツキは君が仲買しているコーヒー豆を気に入っている。身体に気を付けてくれ。
シャバタイ・ギンプル