D.I.Y.出版日誌

連載第267回: 人間になるための厄介

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2020.
08.07Fri

人間になるための厄介

きらわれものだから読んだり書いたりするのだがきらわれものだから書いたり出版したりする権利がない他人に受け入れられたければその努力をすべきだというのは正論だしつねにせいいっぱい努力はしているしかし自分なりの努力など社会的になんの意味も持たないし受け入れられる最低条件がわたしでないことであるのはそりゃもちろん別人になろうと努力するところではあるけれどでもそもそもがむりがある生まれ育ちはどうにもならない自力で努力して得られるもので自分がどのような人間であるかを決めたいのにわたしがわたしであるために出発点に立てないtwitter をやめたことで懸念しているのは寄稿者との距離だもとより親しくはない文章に惚れてむりに頼み込んで掲載させていただいているしかも原稿料すら払わずだけの間柄だ若林さんとは最初からメールでやりとりしているからおそらく変わりはないと思うしそもそもプロである彼女からなぜ原稿を預かれているかがふしぎだ)、 諸屋さんは日記で言及したら反応してくれたっぽいから問題ないと思うけれど彼女がプロでないのは単純にこれまで書いていなかったからにすぎないような気がする知らんけど)、 うへさんは twitter すら投稿しなくなっちゃったしかなりの蓄積があった質の高い書評サイトをちょっと前に抹消されたので心配だ)、 ノヴォーク氏近しいひとはイシュと呼んでいるらしくその距離感がちょっとうらやましいにいたっては距離がさらに遠ざかった気がする彼らの小説うへさんのはエッセイとのことだけれどわたしは小説として読んでいるが読めなくなったらどうすればいいわたしひとりの問題なら諦めもつくが彼らは実際よく読まれているつづきを楽しみにしている読者はわたしばかりではないのだ。 「ごっこなりに編集者として他人とうまくやれる能力がわたしにあればよかったのに人格が歪んでいるわたしは他人とうまくやれないしかしより必要なのは世渡りの才覚でそれは対人能力とは必ずしも関係がないようだ傲慢で尊大でまったく他人の話に耳を傾けず他者の人格をまったく尊重しない人間のほうがむしろ評価されやすいのをたびたび目の当たりにするなにゆえ評価されるのかといえばいわゆる生産性だ他者の尊重は生産性とは対極にあるなんかこの辺にヒントがあるような気がするなぁ世渡りは生産性のゲームだ他者を尊重できるひとでも評価されることはなくはないから人間性とはまったく関係なしに何かゲーム的な才覚であるらしい社会的に評価されるポイントを効率よく稼げるというソーシャルではふつうの人間であることが求められるふつうの人間とはだれとも区別のつかないだれともおなじ言動をするひとだ独自の感情や個性人間性は見せてはならない平均値を表示するだけがふつうの人間だであるならば AI 的なもののほうが人間として受け入れられやすいそう考えるとツール的なものを使えば生身でやるよりソーシャルで受け入れられるのではないか問題はそれらしいツイートを自動生成するツールはいまだ存在しないだろうということだ平均的といってもどこの平均かというのがあって評価されるふつうがあるわたしだって無能ばかり集めて統計をとればきわめて平均的な人間であるはずだ社交的に評価される投稿を自動生成するツールってないのかな定型化された発想を定型化された言葉でつづったものである必要があるのでそのようなものこそ生身の人間よりアルゴリズムに向いているはずだ特定の単語と行動パターンフォローいいねリツイートの親和性で自動的にフォローをくりかえす機能もほしいそういうツールがあればわたしもせめてインターネットでは人間扱いされるかもしれないああ人間になりたい好きでこんな屑であるわけではないのだ


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。