杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第268回: いない言葉

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
08.05Wed

いない言葉

こんばんは荒野の狼ですどうもわたしは気難しい偏屈爺と誤解されがちだだから本がとっつきにくそうに思われて売れないのかもしれないあるいは滑る冗談のせいで敬遠されるのかお気楽な老犬が狼に見えるかはさておき草一本生えない不毛の荒野をうろついているのは否めない若き日のわたしはそうわたしにだって若い時代はあったのだ)、 小説はそれ自体の絶対的な価値によって読まれるものと勘違いしていた優れた作品が広く読まれるのだとそうではなかった作品の質には一ミリも関係ない世渡りに秀でた人間が広く認められ高く評価されるだけのつまらぬ話だ読まれぬ本は出版されなかったのと変わりないいいねや共有や言及がひとを存在させる愛されなければ見えないし見えなければいないのとおなじ地上の愛の総量は一定で寄り集まる性質があり限られた人間が握りしめて生まれてきて死ぬまで離さない他人から受け入れられる人間がわたしには脅威だ当たり前のように恋愛や性交をする有能なひとびとが怖ろしい年収や支持者やいいねや拡散といった愛の  値付けエビデンスによってのみひとは可視化され存在しうる表示機会は遺伝と生育環境であらかじめ定められている生産性とはそういうことで持たざる者は異常者によって安楽死させられ国家によってその正当性を裏づけられる本人の主張や志がどうあれ ALS の議員は難病でも有能でいられるからこそ生命に価値があるとしか世間には思わせないALS にはホーキングがいるサヴァン持ちの発達障害にはエジソンやアインシュタインが彼らは身近なひとびとからも社会からも愛されたそれでただの無能は? 見咎められたくはないけれどいなかったことにもされたくない欠陥遺伝子を抱えて異常者らのもとに生まれ育ちかように世渡りのできない無能はどうすればいい世間にとって書くことも出版も世渡りの換金装置でしかない政治家や演歌歌手とおなじで顔を売ってだれそれさんの本だからと買ってもらい、 「だれそれさんを応援したいからと好意的なレビューが書かれ、 「だれそれさんを応援したいからとその好意的レビューが拡散される徹頭徹尾それだけだ自主出版の品質を引き上げてブランド化する手立てを提唱しようがぼっちの帝国を書こうがなかったのとおなじことにされる訓練でどうにかできるものならそうしたい有能なら生育環境も努力で克服できよう欠陥を受け継いで生まれつき無能なら異常者にならなかった幸運をせいぜい感謝するのみだいやあ世渡りってほんとうにむずかしいですね社会に愛されぬのなら愛せる社会をつくればよいだれともつながれぬ独りを尊重する手段を求めて分散型ソーシャルメディアについて調べた最近使いはじめた GNUsocial は点在する島がゆるやかな連合をつくるイメージだけれど結節点が分散した大国家をめざすのもあって六年前にはそれが狂信的テロ組織に利用された民主主義のための仕組みがあべこべに個を抑圧する暴力を助けたのだ疎外された個を拾い上げるということは孤独なだれかに付け入ってあたかも稼ぎや支持者やいいねや拡散のような数値あるいはその代替が得られるかのように騙し人権に対する世界規模の犯罪にまで利用できてしまうということだそれらの投稿は運営によって削除されたそうだすべて抹消しきれたかは怪しいけれど結局はその場そのときで力を持つ者が言葉の表示を決めるのだ民族離散ディアスポラと名づけられたそこは約束の地ではなかった人権を求めてかえって脅かされるのでは安心して書けない書いて出版することはどうにもならぬにせよ読書にはまだ希望が持てると信じたいソーシャルにおいてはやはり世渡りの手段でしかないにせよ本来はだれともつながれぬ個/孤を尊重する営みであったはずだ時間の浪費はもうよそうほかのだれかなら腕をへし折っていたはずだ今後は読むことに関心を向けるはたしてほんとうにそれができるのか? 書いて出版することからは呪いのように逃れられないそういう性分なのだ欠陥遺伝子を抱えて生まれ異常者に虐待されて育てばあなただってそうなるしだからこそだれにも愛されず読まれないたまたま免れたに過ぎないのだ


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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