D.I.Y.出版日誌

連載第265回: 何をしたいんだ?

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2020.
08.04Tue

何をしたいんだ?

結局わたしは何をしたいのか他人に認められたいのか? どうもそうではないようだ他者は自己肯定感の手段でしかないわたしを除く全人類わたしが人類に属するか否かは別としてが突如消失してウィトゲンシュタインの愛人みたいな世界になっても書くだろうむしろそのほうが気楽に書けそうな気がするいまさら 14 歳の頃のようにシャープペンで大学ノートには書けないし日本語で打鍵して書くには電気が必要なので実際には書きようがなかろうが技能を自分に対して実証しそれによって自己肯定感を得たい突きつめればそれだけなのだが書いた以上は何ひとつまともにやれぬのが他人の評価で可視化され結果として自己肯定感を低下させるばかりその問題を解消するには売らねばならず世渡りがまずいので悪循環が深まる無能は何をやっても無能なのだだれもいない世界でだれにも気兼ねせずに好きな言葉を好きなように読んだり書いたりしたい現実にはそうもゆかぬから苦しむそれこそが我が出版Publish活動だわたしのような無能はそう珍しくはないのだしtwitter や Amazon や営利出版社使ったことはないけど投稿サイトのような資本主義サービスと相性が悪いだけなのかもとも思う似たような人間にリーチできる手段があれば読まれるはずだわたしのような言葉が売られていないからにはだれもわたしのような言葉を知らないわけでだれも知らぬ言葉は売りようがない大手出版社が判で押したように素人がゲーム世界を空想して書いた小説ばかり売りたがるのは判で押したようだから知らない要素がないからだ編集者らの言葉を借りれば前例やらコンセンサスやらエビデンスやらがあるからだ。 「読書とはそういうものという糞みたいなコンセンサスを四半世紀かけて出版社が醸成してしまった手間がかからず実績テンプレートがあるからあるいは自転車操業に博打は打てないからとの理由でそのような商売を拡大再生産しつづけて読者を育てる努力をしなかったというかむしろそういうすでに知ってるアニメやゲームみたいな本しか読めない読者を意欲的かつ積極的に育ててきたしかしそれは読みたい本が出版されなくなり読めなくなった理由であってわたしの言葉が社会にとって無価値でありつまらぬ迷惑でしかない理由ではないな翻訳小説でなら読みたい本も出版されないわけではないしウィリアム・ギブスンの三部作の三冊目みたいになぜ翻訳されないのかわからない本も多いけどなわたしの言葉が無価値なのはそんなこととは関係なく単にわたしが無能だからだ有名大学を出て大出版社に就職した名刺が立派なだけで実際にはわたしと大差ないほど無能すぎる編集者が社内会議のプレゼンでフォロワー数くらいしか根拠ある数字を出せないのもわかるような気がする独自の視点や個性は商業出版では売りにならぬどころか売る妨げにしかならないのだ一方で独自の皮肉に満ちた豚はいつ飛ぶ?はすげえ読まれる調べたら Facebook からの流入だった諸屋さんのフォロワーがそこに三百人いるからだFacebook のフォロワーは質が高いんだよなおなじ三百人でも twitter だとそこから読まれることはまずない千人でちょぼちょぼ二千人でようやく意味をなしはじめる印象じかに顔を知っている間柄が支持者の力としては強いのだやっぱり政治家や演歌歌手とおなじで名刺を配って握手して顔を売るしかないんだろうなtwitter を健常者のように使えるようになれば多少は読まれるようになるのではと考えたりもしたけれど自分にはむりだったその努力に至る前に挫折したそのはるか以前の問題だった現状の問題としてはわたしがわたしである以上はわたしの言葉はだれからも受け入れられない受け入れられない言葉は存在しないもおなじだであるならば書く意味はあるのかない別になくとも構わないがであるならばわたしは何をやっているのだ他人はどうにもならぬが自力でどうにかできることはどうにかしたい。 『ぼっちの帝国は表紙がゴミだった何かひとつでも人並みにやれることがあればよかったのに十年間これだけ努力をしてこのざまだもっと強烈に自己満足できることを探さねば作品の価値と社会的評価はまったく関係がなくわたしは救いようのない無能なので小説についてはやればやるほど無能を意識するばかりだけれど他方だれも見ていない GNUsocial で好きなことを書き散らすのには自由を感じる中央集権の資本主義サービスに××握られずに好きなことを好きなように書きたいまさにそれが理由でかつてKISSPUNKを Fedora core1 で書いたのだが日本人技術者は日本語を軽んずるらしく縦書きで日本語の小説を書くという単純な目的すら果たせないので Mac に乗り換えた日本人は権力に与えられた枠組でしか考えることができない抗う者を嘲笑したり威圧したりして潰すことしかできないウェブや電子書籍の日本語縦書きを実現したのがイラン系米国人女性だったことでもわかる恥ずかしいことだMastodon のお気軽ホスティングサービスはどれも個人が運営していて長期的な信頼性はないしとりわけ日本のサービスはどれもペドフィリアや差別主義者による一過性の流行のときだけ機能していたGNUsocial なら自由度が高いし発想がブログの延長だし PHP で書かれていてとっつきやすい何よりインストールが数クリックで済んだしかし通信方式が古すぎるのが気にくわない安定版と先進版があるらしくて後者に更改すれば ActivityPub を使えるらしいことがわかった利用しているサーバにはすでに git が入っているしMac のターミナルから ssh でいじることもできるらしくどうやら不可能ではなさそうだ次の休みにでも試すつもりでいるだからなんだという話だが


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。