うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第18回: 私を蔑んだ目をした教師たちのことを死んでも忘れない

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.07.25

 私の中学時代は、過酷な生き残りをかけた闘いであった記憶しかない。
 入学初年度はわりかしそうでもなかったのだが、二年生に進級したあたりから、サバイバルの様相を呈していき、同年代の万引き、タバコ、流血沙汰の喧嘩など、日々話題に事欠かなくなっていった。

 とくに私のクラスなどは、あえて集めたのではないかというほど、男子の半数以上が素行不良者で、数学の授業中、担任でもある男性教諭を小ばかにした言動や、度の過ぎたイタズラなどによって、学級崩壊寸前までいったほどだった。

 そんななかを必死で生き抜くための狡猾さや処世術を暗中模索ながら見つけていった。ときには友を犠牲にしたことも一度や二度ではない。私の番が来ないことを懸命に願い、それを避けるためなら多少の犠牲は厭わなかった。

 ある日、休憩時間に女子と談笑をしていただけで、違うクラスの素行不良者から、「お前、最近調子のっとんな?」と互いに名も知らぬはずの相手に肩を組まれ、私は冷や汗が止まらなかった。

 そいつは素行不良者たちの間でも、「あいつは頭がオカシイ」と囁かれるほどの危険人物であるということを風の噂で知っていた私は、「これ以上、やつを刺激してはならぬ」と己に言い聞かせ、以後、女子と楽し気に会話することは自分のなかで禁止事項となった。必要最低限の事務的な会話しかしない、そんな呪いは、後年、女子の前でおどおどとした態度で接することしかできなかった自分を形成するに足る、その後の青春期の足枷となった。

 文字通り、私は自分を押し殺した。ただ獲物に狙われず、彼らの見ている視界に映る「風景の一部」となるよう自分を改変し、自己というものから、図らずも飛び出した個性が、黄信号であると思えば、即、それを削ぎ落した。

 そうして命名されたあだ名は「真面目くん」。中学三年生のときだ。隣の席に座っていたスカートの丈の短い、ヤンキーという水に片足だけ突っ込んでいる女子に、とある雑談の最中、そう呼ばれた。

「……へえ~、なんかうへくん、真面目くんやんなあ」

 それは揶揄したというより、半ば素朴な感想であり、愛嬌のある者へ対するまなざしを含んだ表現であった。私は「やっとキャラクターを確立できた」と、その言葉に頬を染めながら、胸の内で小さく歓喜したものだった。

 成績優良者でもない私がそう呼ばれたのは、偶然ではない。侮蔑的でないほうの「真面目くん」という形容は、私が欲していた地位のひとつであった。人畜無害。放牧しておいても気にならない。圧倒的なほどの没個性。保護色に包まれたカメレオン。

 しかし同年代の目はそれで欺けても、大人たちの目には、それがなにか得体の知れない不吉なもの、ずる賢い立ち回り方であることを、無意識的にか見透かされてしまうもののようだった。

 素行不良者の目から漸く逃れられたと思った私は、知らぬ間に、「教師」という生き物の標的となった。

 抜き打ちの風紀点検、という名の、前日に告知がある検査に、私は引っ掛かった。アンパンマンを黒く焦がしたような理科の男性教諭だった。
 私は彼の授業も受けており、日頃の授業態度など知っているはずであるにもかかわらず、彼は目を疑うような方法で、私に「風紀が乱れている」という烙印を押した。

 風紀点検前日に近所の床屋で髪を短くしていた私は、当然、検査結果はOKだと思っていた。

 赤髪ヤンキーと、はんぺんのようにふにゃふにゃした検査という名のやりとりを終えたコゲパンは、私のところへ向かってきた。
 バインダーのチェックシートに、一つ一つマルを付けていく。爪の長さ、制服のズボンの長さ、靴下の長さ、ところが、あろうことか、私はその一番引っ掛かる可能性の低いであろう項目に、バツを付けられた。

「お前ほんとうに切ったんか?」

 さっきまでのヤンキーに対する対応とは違う、ぞんざいな口調の半笑いでコゲパンはそう言った。私は目を剥いた。いつもは教師に歯向かうことのない私も、さすがにこのときばかりは少し頭にきて、むっとした態度が出ていたのかもしれない。というより、焦りで口調が強くなっていたのかもしれない。

「昨日切りました!」と切に訴えかけた。

 それが彼の気に食わなかったのか、私の前髪を手で押さえつけるや、

「あー、やっぱり前髪が眉にかかっとる。アウトやな」

 なんの憂さ晴らしか。私はたしかにひょっとこ顔の垂れ眉で、おまけにクセっ毛あるカールをした前髪という組み合わせで、それをコンプレックスに生きてきた。だがそのコンプレックスを隠そうともせず、「明日風紀点検があるので、眉の上までカットしてください」と床屋でお願いまでしていたにもかかわらず、その短いけれど、うねった前髪を、押さえつけ、眉頭に無理矢理被せ、「アウト」と言ったのだ。
 隣にいた一緒に検査をしていた男性体育教師も、つまらなさそうな目をしているだけで、なんの異議も唱えなかった。

「クソ教師どもめ」

 今の私ならその場で決闘を申し込んでやるところだ。だが当時の私は、そんな理不尽が、学校という公的な場所で行われるなど、思いもしなかった。激しいショックやら悲しいやらで、体の震えを抑えるので精一杯だった。

 こんなこともあった。男勝りな女像を己のアイデンティティーとし、それで男子生徒を懐柔するスタイルで生きているような、転任してきた社会科の若い女教師に、はじめての授業で私はふるいにかけられ、そして落とされた。

「授業で使う重たい荷物がけっこうあるんよね。力持ちな男子にお願いしようかね」

 そう言うなり、彼女は教室をくまなく見渡していった。

 ひとり、またひとりと指名制で選ばれていき、ヤンキーには免除制度でもあるのかというくらい当然の如く選出されていった。

「はあ? めんどくせー」

 ヤンキーどもは口先ではそう言いつつ、その整った顔立ちの女教師に選ばれたことはまんざらでもない様子で、にやけ顔を必死に隠そうとしていたのが非常に滑稽で、見苦しかった。

 どうせ選ばれないだろうとは思うものの、「ひょっとすると」という期待を込めて、その女教師の選別に預かろうと視線を送っていたが、2秒間ほど目が合うや、サッと目を逸らし、

「ま、とりあえずこのくらいで足りるかな! はい、名前呼ばれた人は付いてきて~」

 と、私と視線を合わせたことを後悔するかのように、パン、と手を鳴らして無かったことにしようと振り払い、大半のヤンキーを引き連れて教室を出ていった。

 私はこの貧相な体型を恨んだ。こんな体だから、選ばれなかったのだ、と。

 またあるときは、信頼を置いていたと思っていたはずの担任女性美術教師にも、裏切られた。

 昼休みの休憩が終わり、チャイムが鳴って皆が席に着くころ、道徳の授業のため入ってきた女教師は、前の入り口から教室に入るやいなや、ピタリと棒立ちになり、「はあ」と大きなため息をついた。

 汚れたままの給食の配膳台が、片付けられることなく放置されていたのだ。

「当番は誰ね? それに当番じゃなくても、誰か気付いて片付ける、くらいのことはしてくれてもいいんやないの?」

 と、本当に呆れ、疲れたような口調で女教師はそう言った。

 私は配膳台に席が近かったこともあって、なにか自分が言われているような気がして居たたまれなくなり、自然と率先する形で椅子から腰を浮かせ、専用の雑巾をとって廊下にある洗面所へ向い、それを濡らして教室へ戻った。
 その間中、彼女は教壇に立って、教室のみんなに小言を言っていた。私はただ黙々と配膳台を拭き、元の位置に戻した。

 別に褒められよう、などという気はさらさらなかった。ただの罪悪感から起こした行動だった。

 だが、一連の作業を終え、席に着くと自然と女教師と一瞬目が合ったので、なにかひとこと言われるかな、と思ったのだが、彼女はそのままなにも言わず、暗い調子のまま道徳の授業へと移行していった。

 あのとき見せた瞳の中に、私へ見せた一瞬の憐憫のような色は、忽ち焼き付けられた。
 礼の有無が問題なのではない。あれは、私という人間の、「真面目」という枠に囚われているからこそ、起こしたであろう行動に対する憐れみの目であった。
 彼女の慧眼けいがんはたしかに間違ってはいない。だが私はもはや、「真面目さ」を獲得したいわけでも、まして内申点を気にしての行動でもなかった。
 それを彼女は見誤り、私にそういう「残念な人間」の烙印を押していたのだということが窺い知れた。次第に私の、彼女を慕う気持ちは薄れ、霧散した。

 ある種の真面目さを持った人間というのはどうしてこうも割を食う存在なのだろうか。報われない存在なのだろうか。ただでさえ真面目な者の人生は損の連続だというのに、学生時代だけでなく、社会人となったいまも、己が開き直らない限り、疎ましい存在として、ぞんざいな扱いを受け続ける。

「出る杭は打たれる」という言葉があるが、「(意図的に)出ない杭」もまた、日本という国においては打擲したくなる存在なのかもしれない。

 彼らの名など、とうに忘れてしまったが、あの侮蔑や憐憫や嘲笑を含んだまなざしを、私は一日として忘れたことはない。そしてこれからも、死ぬまで忘れることはないだろう。

 子供の頃に受けた傷は、いくつになっても消えぬ。そしてそれを未だ引き摺ったまま、「大人」となった人間は、社会性に欠け、さらに敬遠されていく。

 私に居場所などあるのだろうか。
 私のような者も、決してこの社会には少なくないだろう。そんな境遇を経験した同士である彼らは、今、どこでどんな生活を送り、なにを思っているのだろう。あなただけの居場所を、もう見つけてしまったのだろうか。そうであれば、うれしい、そして少し、さみしい。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
amazon