イシュマエル・ノヴォーク

コイディシュ・ブッフ

第8話: クーズーの角

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2020.07.17

 あたしと、目の前に座っているシャルロットは全然違う。あたしはワルシャワにあった、小さくて黒ずんだ家で生まれて、彼女は南仏のゆったりした、多分、お城みたいな家。そんなあたしたちがどうしてカフェで向かい合って座って、こうやってお喋りしているのかしら? 夢みたい? 本当は、あたしは戦車に轢かれてぺしゃんこになっている? パパがワルシャワに戻っていたらそうなっていたかも。
 シャルロットは大学生で、人類学を学んでいる。人類学っていうものについて聞いても、あたしの頭では理解できない。とはいえ、彼女はボタンを縫い付けたりできないから、似たようなもの。お互いが知らないことを知っている。
 もし、世界中の人を一か所に集めて、自分しか知らないことを言い合えば、全部の知識が集まる? 多分、そうはならない。たとえ、全部の知識が集まっても、きっと同じようなことが起きる。だから皆が違う言葉を喋る。コーヒーを飲み干したシャルロットが「ブラジルに行くことになったの。秋には戻ると思う」
「何をしにブラジルに行くの?」
「先住民の調査。具体的には彼らの氏族とトーテム、刺青について」
 あたしにはサッパリわからないけれど、精一杯、聞いてみる。
「どういうことをするの?」
「彼らの話を聞いて、生活を見せてもらうの。辛抱強さが試されるわね。口で言うことは今一つ信用できないし。村で暮らしている先住民たちなら、一人ぐらいはポルトガル語がわかる。通訳をしてくれるけれど、言葉が違うと必ず齟齬が生まれる。ちょっとした意味の違いが全く別の答えに行きついてしまうの。だから、ひたすら彼らを観察する。彼らが私たち調査団を見ても気にならないようになるまで」
「どれぐらい?」
「彼らは時間の捉え方も違うから、そこは何とも言えないわね。本当なら、ヨーロッパ人たちと会ったことがない先住民を調査できればいいのだけれど、もういないでしょうね」
「ワルシャワのユダヤ人みたいに?」
「かもね」
「ねぇ、教えて。先住民の生活を調べると、どういうことがわかるの? 役に立つ?」
「役になんて立たない」
「じゃあ、どうして調べたりするの? ブラジルなんて簡単に行ける場所じゃないのに」
 シャルロットが黒縁メガネの縁と髪の毛を撫でた。その仕草が映画みたいで、なんだか可笑しいと思ってしまう。
「彼らの生活様式を私たちに当てはめてもうまくいかない。彼らの社会は全く違うの。一九世紀、それより前の学者たちは、先住民は原始人と同じで、野生動物と大して変わらないと考えていた。当時の指導者、政治家は彼らを文明的にするため。そんな思い上がりで彼らを服従させた。家畜みたいにね。最近の研究によると、先住民の暮らしには複雑なルールがあることがわかってきた。たとえば、結婚。彼らは気ままにセックスして子どもを作ると考えられがちだけど、実際は違う。血縁者間での結婚を避けている」
「どうやって?」
「トーテム。ようするに象徴。文字がないとそういうものが必要になる。あたしのフォンテーヌっていう姓を別のモノにたとえてみるけれど、動物、クマでもヤギでも、チョウチョでもヘビでもいい。その象徴を家のまわりに飾っておけば、ここにはどんな家系の人間が住んでいるのかがすぐにわかる」
「どうして、そんな面倒なことをするの? 言葉じゃ駄目なの?」
「言葉、文字は万能じゃない。その点、トーテムはすぐにわかる。彼らの社会も外に向いているの。密林の中で暮らしているからって、決して閉ざされているわけじゃない。社会は他の社会と接点を求める」
 あたしはぬるくなったコーヒーに角砂糖をいれる。スプーンの上にのせた角砂糖がゆっくりと、日干し煉瓦が崩れていくみたいに溶けていく。口を開いたシャルロットが
「彼らにもヨーロッパ式の暮らしが入り込んできている。数十年後には消えてしまうかも知れない。でも、彼らを保護という名目で押し込めるのも違う。滅びはどんな文明にもある。少し後には私たちも消えてしまうかもね」
 
 お勘定を済ませて、カフェを出ると「さよなら」を言って別れた。彼女は秋までには戻ると言っていたけど、もう二度と会えないような気がした。

 帰り道、裏通りを歩いていると、店じまいをしていたザベルと会った。さっきまで別のカフェにいたから、少し気まずく感じてしまう。ザベルは店の前を掃き掃除する手を止めて
「若い娘が夜に一人歩きは良くない」
「開口一番、お説教?」
「年寄りは説教臭いんだ」
 ザベルが開けっぱなしのドアに向かって
「ゲツル! いい加減、出て行け!」と叫ぶと、中から灰色の上着を着た男の子が出てきた。ゲツルって呼ばれた男の子がポケットから「お勘定」と言って小銭を出すと、ザベルは首を横に振って「リリを送ってやれ。お前さんの家の途中だからな」
 ゲツルがうなずいて、あたしたちは二人で歩き出した。彼は俯いたままで、何も喋ろうとしない。
「ザベルのお店にはよく行くの?」
「……たまに」
「学生?」
「違うよ」
「あたし、この先のアパートに住んでいるの。〈骨折アパート〉って知ってる?」
「うん、知り合いが住んでいるから」
「誰?」
「ギンプル、知ってる?」
「いいえ」
 それきり、ゲツルは黙り込んだ。

 アパートの前に来ると、あたしは「ありがとう」と言った。ゲツルは「うん」と言って、そのまま歩き去った。

 階段を上っていると、上からパパが駆け下りてきた。あたしが「どうしたの?」と言うと、パパは「昼に中庭にドミノをやっていたんだが、牌が足りないんだ。まったく、とんだマギンズだ」
「明日の朝にでも探せばいいんじゃないかしら?」
「そういうわけにもいかん。あれはワルシャワから持って来たものなんだ。なくすわけにはいかんよ」

 パパが階段を駆け下りて行く。あたしが階段を上っていると、廊下の先からサックスの音が聞こえてきた。イツホクが練習しているのね。角笛が戦いの音なら、イツホクは? 

 なんだか考えがまとまらない。くたびれたのね。おやすみ。


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
amazon