杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第263回: できることをやる

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
07.17Fri

できることをやる

書かぬと書けぬと書く気になれぬではそれぞれが異なる。書かぬは意志である。わたしの言葉など求められていない。他人には迷惑でしかない。社会に害をなすよりほかにもっとやるべきことがある。読書なり何なり有意義に時間を使うべきで、そうする決断を下すのは前向きな行動だ。書けぬは未練たらしくしがみつく惨めな行為だ。求められぬばかりか迷惑にしかならぬのにまだやろうとする。さっさとあきらめて読書でもするがよい。もっともよろしくないのが最後の、書く気になれぬ、というやつ。ただの無気力である。なんら生産性がない。有限の人生を無為に費やすばかりだ。どうせだれの役にも立たぬ人生だから構わぬはずが、無駄にした、との思いが精神衛生によくない。現在はこのもっともよからぬ状態にある。字を憶えるなりずっと書いてきた人生だ。大抵のものを惰性で書くだけの筋力はある。つまらぬ、へたくそ、やめておけ。との内なる声に対しては、酒で感性を鈍らせ大音量のヘッドフォンで耳を塞げばそれで済む。しかしその気にならぬ。わたしにだって正気に近づく瞬間はあるのだ。つまらぬ、へたくそ、やめておけ。うん、そうだね。やめておくよ。過剰な暴力描写さえやれたらあとはどうでもいいZ級アクションで、荒唐無稽で真実味のかけらもなく、前作より劣ると書く前からわかっているものだから、内なる声につい従順になる。読み返したら冒頭としてはそう悪くなかった。年に一度は何かを書くと決めている。年の瀬までにはどうにかなるだろう。今月はまだ手をつけない。読書と飲酒を優先する。どのみち飲むのだ。700ml瓶半分で潰れる下戸のくせに。なぜか。屑だからさ。人生はしらふでいるには厳しすぎる。ちょっといいこといった。解説しよう。わたしのような屑を目にしたらわたしだって険しい態度になる。見下げ果てた野郎だ。臭うんだよ。お呼びでない。こりゃまた失礼しました。とばかり世間から退場するのがいちばんの良薬である。しかし生まれ出てしまったからには喰わねばならぬ、稼がねばならぬ。それがために顔をしかめられつつ世間と関わる。鼻つまみの運命が避けられぬならせめて余暇には引きこもりたい。精神衛生に確実に貢献するのはPHPやらHTMLやらCSSやらだ。画像の多用で表示が遅いのはやむを得ぬ、と諦めていた当サイトを、あの手この手を費やして軽量化した。PageSpeed InsightsやGTmetrixの数値ばかりではなく体感上も劇的に改善できた。プライベートモードのSafariでも問題ない速度で表示される。以前はね、ブラウザキャッシュが効いていなければ95年のダイヤルアップかと疑うくらいの緩慢さだったんですよ。それで逃した客も多かろう。わたしひとりが閲覧者だった以前はそれでよかったが寄稿者を迎え、読まれるべき作品を預かったいまではそうもゆかぬ。ほかにもちょこちょこと弄ってサイト内SEO、というほど大層でもないな、所詮は自己満足だ、網の目のような関連付けを強化した。寄稿者が世界の文豪と肩を並べ、著者紹介には連載が本のように表示され、クリックすれば記事一覧に飛ぶ仕掛けだ。このことをわたしはいつも得意満面、ドヤ顔で鼻息も荒く説明するのだが感心されたためしがない。まぁよい。世間はそんなものだ。D.I.Y.による極小規模の、インディペンデント出版のブランディングについて、四年前との違いを説明するつもりだったが長くなった。はしょって書いておくと、契約の法的問題が未解決で電子化が遅れ、かつKU以前でもあった当時は、プロと同等かそれ以上の品質でありながらプロにない独自性を有する、というプロでもアマチュアでもない第三の価値を捏造し、ブランドとして提示する好機だったのだが、へたくそなままで甘やかされたい有象無象に反感を持たれ、いやがらせが殺到し、有識者に恫喝され、殺人予告めいたものが密かに届き、切磋琢磨で底上げが期待できるし彼ら自身そのような向上を望んでいた(と当時わたしは信じた)参加者らにまで危害が及びそうになって、やむなく断念。断念と同時期にKUがはじまり、一年後にはプロの電子化もようやく進んだのでその試みは陳腐化した。今回やっているのはその改定更新版である。状況は何もかも変わった。プロと張り合う意味はなくなった。アマチュアのゴミは論外なので可能なら隔離してほしいが(現状はストアにとって旨味があるのでしばしば優先表示される)、品質の優劣は問題ではなくなり、単純に出版と流通の手法に差があるのみとなった。四年前のやり方では才能や向上心のないアマチュアともある程度、関わらざるを得ず、それゆえに失敗した。参加者のことではない。参加者につながる有象無象だ。星1レビューや関連付けのような表示の面でも、人格の面でも彼らは有害でしかなく、距離を置くに越したことはないと学んだ。手法に差があれば結果にも影響するが、さておき、ただ物語を楽しみたいだけなのに大金や労力や燃料を費やして、無駄に生産して保管したり、物理的に移動させたりするのはwith安倍、with女帝の時代に愚かしく感じられる。もしそれが取次の配本をただ受け入れるだけの、判を押したような没個性の店であるのなら、感染リスクに身を曝してまで混み合う街の書店へ足を運ぶまでもあるまい(もしどうしてもそうしたければ人格OverDriveの本は丸善、ジュンク堂、三省堂の店頭で注文して後日受けとることができる)。企業は個々の例外はあるにせよ構造上、判で押したように権力におもねる本しか出版しようがないし、隣国の言論弾圧を見るにつけ、ソーシャルメディアの表示アルゴリズムと資本関係を意識させられるにつけ、地下出版サミズダートの手法で将来に備えるのは有意義であるように感じる。暴動が起きた地域の平均年収と変わらぬ暮らしぶりでもあることだし、そんなこんなで、身の丈に合った出版をやっていこうと思う次第である。この件はまたいずれ気が向いたら説明する。WordPressについて何も知らなかった四年前よりは技能も向上した。WordPress、出版の民主化を謳うだけあって便利な道具である。InDesignなんかと較べて実に使い勝手がよい。だいいち名前がよいではないか。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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