うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第16回: 「染まるよ」で蘇る思い出。奈良で童貞を捨ててきた話(Part4)

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.07.12

「翔也と同じこと言ってはる(笑)」
 彼女は突然、堪えきれない、といった様子でクスクスと笑い出した。
「……翔也もな、あたしのあそこをな、『こぢんまりしてる』っていうたねん」
 小声で恥じらいながら、私が言った言葉を受けて、彼女はそう述べた。「翔也」とは、さやかが中学二年生のときに惚れ込んだ5つ上の自殺した彼のことだ。
「翔也はな、赤マル吸っててん。ほんでな、真似してあたしも吸おおもたのが始まりやねん」
 そう言って彼女はソファーに腰掛けたまま、濃厚な煙をフゥーっと中空に吐き出した。その所作はなにか神々しい。
 マルボロの赤、通称「赤マル」。それが意味するところを知ったのはたしかこの時だったと思う。煙草の銘柄でその人となりがわかる、とまでは言わないまでも、「何を吸っているか」がある種のキャラクターを表したり、ステータスになったりすることがあるようだ。
 その線でいけば、マルボロの赤というのは、たいてい若いときに粋がった未成年などが買い求める、という揶揄がある反面、その「世間的認識を押し切ってでも吸っている」というのがときに、一目置かれることもあるようだ。なにせタールもニコチンも他の銘柄に比べて格段に高い。それはつまり肺に悪いということであり、「健康なんかクソくらえ」という社会へのメッセージでもあるのかもしれない。
 彼女が吸っていたのは赤のLarkだったが、赤マルと同じニコチンとタール値だ。それをスパスパと吸いながらバスタオルを巻いている彼女はテーブルを挟んだ向いに座っている。
 童貞は捨てられなかった。奈良までの遠征での疲労と、待ち合わせ場所が、生まれてはじめてのラブホテルということもあり、私の息子は完全に機能不全に陥っていた。
「損をした」という考えが脳裏に過らなかったかといえば嘘になるが、女の人の肌に初めて触れたことは、童貞卒業証書を授与されたという認識でも差し支えないのではないだろうか、などと一人で悶々と脳味噌の端っこで自分会議が開かれていた。
 彼女はことあるごとに翔也の名を口にした。それは感傷に浸るふうでもあり、ただただひとり回想しているふうにも見えた。

「もう、帰らなきゃ……」
 実をいうと、親には内緒で来ていた。なので日帰りである。友人でも居れば、「泊まりに行く」とでも適当な理由付けができたのだろうが、なにせ私は天涯孤独の身に自分から進んで落下し、当時は家族と仕事以外の連絡先をなにひとつ持っていなかった。いわゆるブッチというやつを、これまでの友人関係すべてに対して行っていた。そしてそれを、母親に話していた。
 風の噂さえ入ってこなければ、孤独に感じることもない。だが、これは10年を経てわかったことだが、その代償として、生ぬるい生活に満足し、引き比べる対象がないばかりに、向上心のかけらもなく、ただただ惰性で人生の第二の青春期、成長期ともいえる時間を棒に振ってきた。
 少しだけ己が丸くなり、すきま風の噂程度が入ってくるようになると、そのあまりの置いてきぼり感に、私は一人で赤面し、ハンカチを食い縛り、布団の上でもんどりうった。そう。彼らは30を目前にして、立派な父となり母となり、子を成したり、或いは会社のなかでも重要なポジションを担っていたり、独立して働いているものまでいたりと、年収150万にも満たない私は、この歳になってようやく、なぜみながこぞって「正規雇用」を目指していたのか。その意味がはっきりとわかってきたのである。温室育ち、実家暮らし、技術なし、資格なし、生きる資格なし、孤独気取りの半ニート半フリーターの末路である。なぜ誰もそれを教えてくれなかったのか。ずるいじゃないか。馬鹿にもわかるように説明してくれ。
 話が逸れた。
 そんなわけで時間を奈良時代に戻そう。こんな狭い地域、どこに誰の目があるかわからないから、と、外での逢瀬は最初から叶わぬ夢であった。そして彼女は無類のセックス好きである。私たちが出会える場所など、ラブホテル以外に選択肢はないのだ。
 四時間半ほど前にやって来た片道5時間半の道を、また引き返す。
 だが、なにか、いつもと風景が違って見えた。(自分会議の末、「童貞卒業証書」は授与されていた。あの後、打ち解けていくうちに事も無げに二度も三度もいたしたのだった)
 駅のホームで待つ時間。奈良はこんなにも空気が清いのか、と胸いっぱいに吸い込んでみる。おいしい。
 日がとっぷりと暮れていく。学生やサラリーマンがぼちぼち帰宅を始めている。揺られる電車の外に広がる風景。それらすべてがなにか、愛おしく感じられた。向かいに座る、この人も、あの人も、私が童貞を喪失したことを知らないのだ、という不思議な気持ちであった。
 そう、私は童貞を奈良で捨てたのだ。家までの帰路は、そんなふうにして放心したまま、いつの間にか自宅に収まっていた。

 いつかカラオケに行きたいね、などという他愛もないメールのやりとりから、「なに歌ってほしい?」と彼女からのリクエストが届いた。私はさやかの声から想像して、聴いてみたいと思ったソングを、率直に思い浮かべ、さして深く考えもせずに提案した。
 それがチャットモンチーの「染まるよ」である。それまでこまめにメールのやりとりをしていた彼女からの返信が、半日経ってもない。
「これはおかしい」
と思い出した頃に返信が来た。
「ずっとこの曲ばっか聴いてる。翔也のこと思い出してつらい」
「ごめん、しばらく連絡とれんわ」

 大人だから、一度くらい煙草を吸ってみたくなっても勇気が出ず、肺が黒くなるのが怖いし、年老いたときに嚥下する能力が落ちて、呼吸器系がやられるのはキツイ。という理由から大人になっても煙草を吸ったことのない私でさえ、胸にジンと染み入る曲を、その経験が痛いほどある人間に提示するという真に馬鹿なことをしてしまった私は、彼女の精神を闇に引き摺り込んでしまった。
 あの頃の私は、他人が与えてくれる承認欲求を満たしてくれる行為に飢えていた。厳密には突っぱねていたのだが、いざ心を開いた相手には、とことん寄りかかるということを、依存するということをやった。だから私はさやかから連絡のない日々は非常に病んだ。病んで仕事を休んだ。恋の病で仕事を休む。お前は中学生の乙女か。
 メールをしても返信がない。電話をしても切られる。こんなときは待つ以外にないのだ、そして待てど暮らせど音沙汰がないようなら、それはもう終わったことなのだ、と。いまなら辛抱強く待つことも、潔く受け入れることもできる。若かったなあ。
 結局、二週間もしないうちに彼女は立ち直った。
 あの頃はそうと認識していたわけではないが、今だから言えることがある。
 さやかにとって、影でありながら光となった死人と、今を生きている私を引き比べられていることに苛立ちも覚えていた。だが、身近にそうした経験のなかった私は、そうした経験がない人間と同様に、月並みな同情的な言葉を述べるにとどまった。そんな自分に不甲斐なさや悔しさを募らせていたことも、仕事を休んだ一因だったかもしれない。
「お前を残して死んだやつのことなんか、見るなよ! おれだけを見ろよ」
 彼女はそう言って欲しかったのだと、あとになって聞かされた。果たしてそんな台詞、いまの私にだって言えるだろうか。取り繕って、その言葉を構築することぐらいならできるかもしれない。でもそれは、狡猾さを身に付けただけの話であって、情熱的な想いから生まれてきた台詞ではない時点で、湿気た煙草みたいに、火は付かないかもしれない。

「会いたい。もう我慢できひん。これんのやったら、ほかの誰かとする」
 私と彼女の逢瀬は、こうして頻度を増していったのである。互いに依存する形で。

いつだって そばにいれたら
変われたかな ましだったかな
プカ プカ プカ プカ
煙が目に染みても 暗くても夜は明ける

チャットモンチー『染まるよ』


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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